2012-03-01から1ヶ月間の記事一覧

春の落語

春めいてきた。 朝、出勤時に遊歩道を歩いていると、あちらこちらに花が咲いているのを見つける。桜の芽はまだ硬いが、雪柳は三分ほど開き始めている。黄水仙、西洋タンポポ、東菊(あずまぎく)などが路肩に競い合うようにほころび始めた。 そんな、春の陽…

反省のときは終わった

先の戦争で日本は敗北した。敗北したことにつけこまれて、戦勝国のアメリカなどにずいぶん遠慮を強いられてきた。戦勝国ですらない中国、韓国にも、言いがかりをつけられて、巨額の金品をせびられてきたことは言うまでもない。 韓国にいたっては、戦後のどさ…

72.9

12月16日に野田首相が福島原発の終息宣言を出した。 http://www.j-cast.com/2011/12/16116749.html?p=all しかし、現実はこれだ。 http://www.asahi.com/special/10005/TKY201203270702.html 福島第1原発の格納容器内で、72.9シーベルトの放射線が…

大変な滋賀出張

昨日は、朝から滋賀県大津市に出張していた。某研究所の所長の特別レクチャーを受けるためである。このレクチャーが我社の次の10年の方向性を決める、重要な機会になるかもしれない。 午前8時30分、朝の打ち合わせをすませ、部下に仕事の指示を出し、副…

クリヤといえばクリアファイルしか思い当らなかった

厨川白村(くりやがわはくそん)って知ってますか? 呉智英さんの「春講義」に出なければ、絶対に知ることはなかった人だと思う。明治14年に生まれ、東京帝国大学英文科を卒業して、後に京都帝国大学英文科助教授となる。大正時代を代表する著述家であり、…

勉強は楽しい!

濃厚な週末だった。 土曜日は東京で、ジャーナリストの日垣隆さんのセミナーが開催された。内容については明かせないが、「人生を前向きにアクティブに生きていくためにはどうしたらいいか」というようなことを、6時間にわたって、日垣さんの講義を受けたり…

miracle

2010年6月14日のことである。前日に燃え尽きた小惑星探査機「はやぶさ」が地上に返した、人類に孵したカプセルがオーストラリアのウーメラ砂漠で発見された。これは、人類史の中でも快挙と言っていい。JAXAの大手柄だった。この一事をもって世界…

窓はどこを向いている

コラムニストの勝谷誠彦さんが、朝日新聞夕刊に載った第84回選抜高校野球の選手宣誓を絶賛している。石巻工業高校の阿部翔人主将の全文を引く。 《宣誓。東日本大震災から1年。日本は復興の真っ最中です。被災をされた方々の中には苦しくて、心の整理がつ…

奇貨居くべし

鎌倉後期に無住一円(むじゅういちえん)という禅僧がいた。この人が説話集である「沙石集」を著している。この中にこんな言葉がある。 「万事人ノ心ヲ守(まぼり)テ、時ニヨリ機ニ随(したがう)ベシ」 何事も、人の心によくよく注意をして、好時好機を逃…

寵臣の出世

3月16日の日記「石の反乱」で明治の元勲である田中光顕が、時流にのってトントン拍子に出世したことを書いた。ところが世の中というものは広いもので、もっとトントンと出世した人がいる。 徳川家の家臣、柳沢吉保である。NHK大河や民放の「忠臣蔵」で…

日記を書く楽しみ&お知らせ

この日記でなんども言っていることなので、皆さんには耳タコかも知れないが、この日記を書き始めた切っ掛けは、ジャーナリストの日垣隆さん主催のライターズセミナーに参加したことによる。 たまたま日垣さんが言われた「文章力をアップしたければ、文章を公…

めてに血刀 ゆんでに手綱

血刀とは物騒なタイトルだが、これは「田原坂(たばるざか)」という唄の詞の中に出てくるフレーズである。 「雨は降る降る 人馬は濡れる 越すに越されぬ田原坂 右手(めて)に血刀 左手(ゆんで)に手綱 馬上ゆたかな美少年」 ワシャはこの唄がとても気に入…

お能は楽し

名古屋城正門前の能楽堂で、名古屋宝生会の定式能があった。 JR、地下鉄と乗り継いで市役所駅で降りる。瓦葺の7番出口を上がると、小雨が降っている。曇りの予報だったので傘がない。7番出口から、能楽堂まで800mほどあるだろう。小雨とはいえ「春雨…

寝た子を起こすな?

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120316-00000082-mai-soci 少し記事が解かりにくいので補足する。 2006年、当時の広瀬研吉保安院長(現内閣府参与)は、内閣府原子力安全委員会から重大事故対応のために国の原子力指針の見直し着手したという報告…

古代に想いを馳せる

681年3月17日、時の天皇の天武帝は、日本の正史の編纂を命じている。その結果が『古事記』、『日本書紀』となる。古代日本の大乱だった壬申の乱は、ここからさかのぼること9年前、飛鳥の政変劇である大化の改新は36年前のことになる。 少し、その時…

石の反乱

ときおり、歴史は、さしたる器量を持ち合わせていない人物を表舞台に押し出すことがある。 例えば、田中光顕伯爵である。『国史大辞典』(吉川弘文館)で彼の項を見れば、きらびやかな経歴がずらりと並ぶ。明治元年、25歳のときに、兵庫県権判事になってい…

自分さえよければいいのか

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120315-00000295-mailo-l17 輪島市民は1,215人が震災瓦礫の受け入れ反対に署名した。総人口は28,985人なので、4%の人が受け入れを反対している。「石川の里山里海、子どもたちの未来を放射能から守る会」…

被災瓦礫をめぐる問題

今朝の朝日新聞に「東海発大震災1年を考える」という記事がある。 その中に愛知県あま市議会に「瓦礫処理は受け入れ反対」の請願を出した女性(38)の話が載っている。女性は言う。 「復興支援は必要だけど、わずかでもうちの近くに放射能が出たらいやです…

歪んだ茶碗

ワシャは陶器が好きだ。とくに志野茶碗がいい。今、愛用しているのも、志野の茶碗であり、湯呑である。ワシャの使っている志野は、無名の雑器でしかないが、これを見て下され。 http://www.mitsui-museum.jp/collection/collection.html 三井記念美術館にあ…

三河の追悼式典

昨日、地元で400人ばかりの小さな催しがあった。3月11日のことだからもちろん「東日本大震災」に関わるもので、ワシャの友人のNPOの理事長が主催した。途中で雪が舞う寒い天候となったが、それでも東北に思いを寄せるには冷たい雪は塩梅がよかった…

欠けたる月

《望月の円(まど)かなることは、しばらくも住せず、やがて欠けぬ。心止めぬ人は、一夜(ひとよ)のうちにさまで変わる様(さま)も見えるにやあらん。》 『徒然草』の第241段の書き出しである。 午前5時、新聞を取りに玄関を出た。庭が明るい。見上げ…

チベットの悲劇

コラムニストの勝谷誠彦さんが、今日のメルマガでチベットの悲劇について書いている。このひどい状況を読んでいただきたい。 http://sankei.jp.msn.com/world/news/120305/chn12030520390007-n1.htm 支那中国のチベット弾圧に対し、少女が抗議の焼身自殺をは…

奉天へ

3.11を明日に控え、新聞もテレビも震災関連の話が盛りだくさんだ。だから、少し視点を変えて、景気のいい勝った話をしたい。 1905年、明治38年の今日、満洲奉天の野において、ロシヤ軍32万、日本軍25万という空前の大兵力による会戦が行われた…

帰化する人

司馬遼太郎がこう絶賛している。 《すくなくとも日本文化という一個の世界からみればあの戦争がなければこの文化はドナルド・キーン氏という天才を所有することができなかったであろうということだけはいえる。》 司馬さんの言う「あの戦争」というのは「太…

花盛りだがラフレシアばかり?

今朝の朝日新聞に「自民愛知県連が1年ぶり政治塾」という見出しがおどった。1年ほどやっていなかったそうだが、大村知事や河村市長が矢継ぎ早に「政治塾」を打ち出したので、あわてて再開するのだそうな。 再開初回は、小泉進次郎自民党青年局長を招へいす…

今週の『週刊現代』はおもしろい

一押しは、なんといっても連載の「なんなんだこの空気は」である。日垣隆さんのメディア考現学で、今回は、先般、都内で行われた勉強会のことが取り上げられた。ワシャはその現場に立ち会っていたのだから、この記事が倍おもしろいことは言うまでもない。や…

忙中に朗報

仕事に関して言えば、今が一番忙しい時期かもしれない。でも、峠は越したけどね。だから、なかなかプライベートの時間が確保できず、本の整理ができなかった。このため、書斎(物置ともいう)は本があふれかえって、無法地帯となっている。 え、なんで本があ…

日教組との楽しいキャンプ

友人のTくんから高校の時の話を聴いた(笑)。 その頃、Tくんはブルース・リーの影響で少林寺拳法を習い始めていた。拳法仲間に実業高校へ通っている先輩がいて、その人から「夏のサマーキャンプ」なるイベントに誘われたという。あまり気乗りはしなかった…

子供の食い扶持くらい払えよ

人にほどこしを受ける、モノを恵んでもらう、これほど情けないことはない。かつては「おもらいさん」と言って蔑んだものだ。だから、貧しい家庭であっても、まずは子供にそんな惨めな思いはさせられないと、自分の食い扶持を切りつめても、子供の支出に回し…

東浦町の夢

愛知県東浦町が昨年の国勢調査に市昇格をかけていた。町の行政関係者にとって市になることは悲願だったろう。国勢調査人口は5万80人、ぎりぎり市に昇格する数値だった。 ところが、こういうことになった。 http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120227…