基礎自治体首長論2

 昨日の中日新聞。県内版と三河版に、知立市長の次期市長選への不出馬表明の記事が載った。現在4期目を務める林市長は、半年後の市長選に立候補しない旨を一般質問に答えるかたちで公にした。

 ううむ、64歳という年齢、これまでの実績、ご本人の気力、どれをとっても5期目に出馬すれば、悠々と当選するだろう。というか、モノのいい現役市長には対抗馬が出てこない。

 そんな状況でもあるに関わらず、「長くなればなるほど、新しい空気が入りにくくなる。市民のために新しい風が必要だと思う」と言われて、自らの進退を早い段階で決断した。

 通常であれば、今回の東京都知事のように、現職はぎりぎりまで出馬・不出馬を表明しないものだ。しかし、林市長はこう言ってのけた。

「意欲ある人たちが市民に自分の主張を伝える期間は長い方がよいと考え、若干早いが今議会で表明した」

 潔い判断だ。次の市長になる人に充分な準備期間を用意すると言っているわけで、他者を慮ることが清々しいほど。

 林市長とまったく逆のケースもあった。某市長ということにしておきたい(笑)。某市長、前の市長の4期目を阻むため、「長期政権反対」を掲げて出馬し、見事当選を果たした。

 しかし、やることと言ったら、前市長の否定ばかりで、自身はなにもせずに3期を終えてしまった。それでも12年もやっていると、これほど楽で美味しい仕事はないと気が付いた。だから12年前のことは「周囲の支援者が言っていたこと」と、すっとぼけて4選出馬。ぎりぎりまで出馬・不出馬は表明せず、選挙の1か月前になってようやく議会で「出る」と言った。

 5期目もそうだ。6期目についても本人は出たくて出たくて仕方がなかった。しかし5期20年の間、何も仕事をしてこなかった首長を評価する職員や市民はいない。

 林市長のように「市民のために新しい風が必要だ」と言う判断力もなく、かび臭い風をさらに吹かせ続けたいと思っているのが見え見えだった。自分の延命だけを考えた段階で、周囲は離れていくことになぜ気がつかなかったのだろう?

 結果、議会から総スカンを食らい、ようやくのこと不出馬表明をする。だが、その時期が遅かったために「新しい風」になるはずの人材に充分な準備期間を与えなかった。

 林市長と某市長、はからずも同じ年齢で公職を辞す。かたや「旧的不去、新的不来」(古いものが去らねば、新しいものは来ない)を地でいき、もう一方は「死馬当做活馬医」(死に馬を生き馬として癒す)をやっちまった。

 たびたび繰り返すが、地方自治のトップなど長々とやるものではない。林市長のように鮮やかな進退を見せてこそ、後世に評価がされるというものである。3期、4期で成し遂げられないものは、何十期やろうともできない。そのことを知っているか、いないかで首長のモノの良し悪しが決まる。