国家観、歴史観、人生哲学

 課題図書の『聖断』(PHP文庫)で鈴木貫太郎(第42代総理大臣)の詳細を知るにつけ、この人の国家観、歴史観、人生哲学の深さには驚かされる。大東亜の大戦を終結させるために天が生かし続けた男であり、彼は天の期待に応えた。

 もしあの時に国家観、歴史観、人生哲学のまったくない岸田首相であったなら、日本は確実に滅亡していた。

 

「岸田先生!総理大臣になられたら、真っ先にやりたいことはなんでしょうか?」

「あ、人事です」

 

 世界情勢は風雲急を告げている。

 首相には退場していただくのが一番の方策なのだが、そのことを最も知らないのが本人だという悲劇。日本は断崖絶壁に立たされていると思った方がいい。たった一人の盆暗のために。

左巻きの伝統破壊

 奥三河に「花祭り」と呼ばれる「霜月神楽」がある。ワシャは奥三河に興味を持っている。戦国大名の奥平貞能(さだよし)のことを表に出したいと、三河山間部、奥三河の山野を駆け回っているときに、「花祭」に出会った。これね。

https://www.town.toei.aichi.jp/hana/top/top.html

 愛知県北設楽郡等に伝承されるもので、重要無形民俗文化財に指定されている。蘇民祭には少し及ばないが、700年以上にわたって継承されている。

 ワシャも何度か、何か所かで「花祭り」を体験した。関係者のご好意で、鬼の面などが祀られている神部屋も覗かせてもらった。通常、よそ者は舞庭(花祭りのメインの舞をする竈のある土間)の周辺しか入れてもらえないんだけどね。

 奥三河の集落ごとにそれぞれが「花祭り」を行う。ワシャが見に行っていた頃は17か所だったが、今はその内の2か所が止めてしまった。これも人口減少、後継者不足ということなのだろう。それでもその他のところでは地元の方々が頑張っていてくれるので、遠巻きながら応援していきたいと思っている。

 ワシャは声を大にして言いたい。日本の地域に根差す文化・伝統は絶やしてはいけないのだ。

 これも行きつくとことは盆暗首相なのだが、あるいは息絶えだえの文科相なんだけど、海外に何十億、何百億と金をばら撒いているんじゃねえぞ。外国企業の研究費に200億円も出している場合か!左巻き公金チューチュー団体に大金を吸われているんじゃねえぞ!

 これらクソ予算を使う余裕があるなら、さっさと地方の文化・伝統に補助金を出して歴史を守らんかい!!

 

 そこで、今、テレビで大騒ぎをしている岩手県奥州市の「黒石寺蘇民祭」である。1000年以上続いた伝統の祭りがついに消えた。

「この地域の人口は885人。その半数が65歳以上の高齢者です。高齢化による担い手不足にあらがえなかったのだといいます」

 と、蘇民祭関係者は言っている。それは、今、過疎に苦しむ地方の現状を映し出している。そしてその状況を生み出してきたは、自民党の野放図な政策による都市への過度な人口集中によるところが大きい。

 そして、もうひとつ、この伝統・文化の息の根を止めたものに、16年前に、クソバカどもからのクレームにより、間抜けなJR東日本が「不快感を与える」として蘇民祭の宣伝ポスター掲示を自主規制してしまった。ワシャはJRの駅にそのポスターが張り出された当初に見ているが、髭、胸毛の立派な男性が前面に出たインパクトのあるいいポスターだった。これね。

https://www.afpbb.com/articles/-/2334230

「おもしろそうな祭りだな」と、思ったものである。

 それがさ、奥州市が作成したある意味芸術的ともいえるポスターにケチをつけやがった。《JR東日本ではクレームの対象を特定していない》としているが、クレームがあったことは間違いない。

 それで奥州市は《元はまったく何も身につけていなかった男性たちの写真に、白い下帯を加える修正を行った。》という。

 ご苦労様です。

 それでも、ポスターはJR東日本から却下された。この時、このアーティスティックなポスターが全国の駅に張り続けられ、多くの文化・伝統を愛する人たちの目に留まっていれば、もう少し蘇民祭は延命したのではないかと思わざるを得ない。

 JR東日本が特定しなかったクレーマー、こいつらが蘇民祭の寿命を縮めたと言っていいだろう。

 共産主義社会主義は歴史、文化、伝統を壊すものであることを、そろそろ日本人は気が付いた方がいい。そして保守と思われていた自民党にも、共産主義社会主義の勢力がかなり浸透していることを国民は自覚すべきだ。LGBT法をスピーディーに通してしまった連中など完全に左巻きである。

 真綿で首を絞めるように伝統、文化。歴史を破壊していく連中を、野放しにしているのだがら、そりゃ蘇民祭も中止になるわなぁ。

鬼貫(おにかん)

 鈴木貫太郎、「鬼貫」とあだ名される第42代総理大臣である。42(しに)番なのだが、何度も生き延びて、そして日本をも延命させることに成功した優秀な首相であった。

 次週開催の読書会の課題図書が、半藤一利『聖断』(PHP文庫)だった。副題には「昭和天皇鈴木貫太郎」とある。

「ほう、鈴木貫太郎ね」

 本を手にした時に、まずそう思った。

 昨日も歌舞伎の筋書にかこつけて、二人の首相を取り上げたが、歴代の首相の中でもずば抜けて仕事をしたのが鈴木貫太郎だろう。鬼貫の仕事量と比べれば、岸田首相などほぼ寝ているようなもの。実際に記者会見の時でも目が死んでいて、薄い口ばかりがペラペラと動いているばかり。

 そんなボンクラのことはどうでもいい。傑物の鈴木貫太郎のことである。鈴木は慶應3年12月に生まれた。ぎりぎり江戸時代の人だった。この1カ月前に坂本龍馬が刺客に襲われている。そのくだりを司馬遼太郎の『竜馬がゆく』から引く。

《「慎ノ字、おれは脳をやられている。もう、いかぬ」》

「慎ノ字」というのは中岡慎太郎のことで、この時、京都蛸薬師下ルの近江屋の2階に居た龍馬を訪ね、一緒に襲われたのである。続ける。

《それが、竜馬の最後のことばになった。言いおわると最後の息をつき、倒れ、なんの未練もなげに、その霊は天にむかって駆けのぼった。》

 ここまでの文章で「竜馬」と「龍馬」が混在しているが、司馬小説の主人公は「竜馬」で、実在のほうは「龍馬」であることによる。

 司馬小説を続ける。

《天に意思がある。としか、この若者の場合、おもえない。天が、この国の歴史の混乱を収拾するためにこの若者を地上にくだし、その使命がおわったとき惜しげもなく天へ召しかえした。》

 龍馬は33年の人生で、見事に日本の新たなる時代への扉を開いてみせたのである。

 そしてその1か月後に鈴木貫太郎がこの世に現れた。龍馬は船が好きで、神戸海軍操練所の塾頭までになっている。鈴木のほうも海軍に入って、日清戦争水雷艇の艦長、日露戦争では第四駆逐隊司令として活躍する。どちらも海の男で、操船については抜群のセンスを持っていた。そういったことからも、ワシャはこの2人の人物が重なって見えていた。

 また半藤さんが鬼貫を評してこう言っている。

《その生涯をみれば、この人は野心家でもなければ、口舌の徒でもない。虚栄心すらもっていない稀有の人ともみられた。》

 これって、まさに龍馬の人間味ではないだろうか。龍馬のことだから、素直に天にはゆかず、目と鼻の先の大坂で母の胎内にいた貫太郎に入って生まれかわったと思うのもロマンがあっていいじゃありませんか(笑)。

『聖断』には、貫太郎が『老子』を愛読していたことがたびたび出てくる。

「治大国者若烹小鮮」

《小魚を煮る時には、ほどよい火加減でそっとしておかなければならない。箸で突いたりすれば、小さい魚は容易に崩れてしまう。大国を治めるものは、さながら小魚を烹るようにしなければならない》

 コミックの『昭和天皇物語』では、このフレーズを貫太郎の妻たかが言ったことになっているが、どちらにしても鈴木貫太郎家の家訓であることは間違いない。

 2・26にしろ8月14日の若手将校の決起にしろ、状況判断のできていない、かつ思想に染まってしまったものの行動は愚かだ。こういった行動を新聞社などが煽る構造も、バカが鍋の小魚をつつき回している観が強い。

 時代の変革期に天は龍馬をおくり、あるいは70年後の混乱期を貫太郎に担わせた。さて、令和の世に、世界の情況は混乱をきたしている。天は安倍さんを召されてしまった。では、次に誰がこの国の鍋を見守るのだろうか?

 鈴木貫太郎のような天祐をもった人物、政治家の登場を心より望む。

小泉と岸田

 バカを紹介したい。

 ワシャが御園座の「市川團十郎白猿襲名披露」に言ってきたことは日記に書いている。でね、令和4年11月の東京歌舞伎座の襲名披露にも馳せ参じた。

 ワシャは歌舞伎を観る時には必ず「筋書」を求めて、資料として保管することにしている。それが今ざっと数えたら150冊になっていた。通常は1冊で昼の部、夜の部に対応している。昼夜、同じ狂言ということもあるが、筋書きの買えない幕見にも何度も行っているし、同じ興行に何度も足を運んだこともあるので、300回くらいは通ったかなぁ。

 十三代目團十郎が、海老蔵を襲名したのが平成16年だった。その9月に御園座で興行を行っている。もちろんその筋書も書棚にありまっせ(笑)。

 この筋書はけっこう気に入っている。その理由として、時の総理大臣の小泉純一郎氏が「海老蔵さんの新しい門出にあたり」と題して祝辞を寄せているからである。小泉さんの写真と直筆のサインがあって、またその祝辞がいい。

 小泉さん自身が観た、新之助海老蔵の前名)が「勧進帳」の四天王を演じた時のエピソードを添えて、《じっと座っている姿に余人にない緊張感を漂わせていました。》と言われている。う~む、これは観ていないと書けない感想だ。さらにこう言っている。

《「あれが新之助か!」と、以来、私は海老蔵襲名の日を楽しみにしてきました。》

「あれが新之助か!」なんて言葉を、祝辞代筆者が書けるわけがない。

 まさに歌舞伎をご覧になった小泉さんの肉声で書かれていて、とても好感の持てる祝辞となっている。素晴らしい。

 思いのこもった小泉さんの直筆祝辞に対して、今回の「團十郎襲名」の筋書きには、「内閣総理大臣岸田文雄」の祝辞が寄せられている。

 しかしこれがまったく内容のない無味乾燥な文章で、間違いなく代筆者が存在するね。その代筆者も歌舞伎に興味のないヤツで、書かせている岸田首相も、歌舞伎・伝統文化など何の興味もないから、これほど詰まらない文章を晒せるのだろう。

市川海老蔵として活躍を続けてこられ・・・比類ない華やかさ・・・荒事をはじめ数々の舞台・・・歌舞伎十八番・・・家の芸の伝統を受け継ぎ・・・世界に日本文化を発信され・・・」と、ネットでちょちょちょいと調べると出てくるフレーズばかりを並べやあがって。ありきたりの歌舞伎、團十郎家のネット情報を長々と解説する。 

 続けて「政府においては、観光立国の復活に向けて・・・」と自己宣伝を始める。オメエのことなんざ歌舞伎の「筋書」で読みたかね~んだよ。

 その後、新之助(勸玄くん)のことも何の感情も示すことなく事務文書のように定型的に触れている。

「初お目見え以来・・・多くの舞台を経験・・・未来の歌舞伎を担う・・・更なる修行を重ね・・・成長なさった姿を・・・代々の團十郎・・・お喜びではないか・・・」

 そして締めである。

「歌舞伎は、四百年・・・江戸歌舞伎を代表する名跡が九年ぶりに復活・・・歌舞伎の新たな時代の到来・・・」って、これまたありきたりの言葉がだらだらと並ぶばかりなりけり。

 さすがは岸田首相、写真も載せず、1100字程度の体裁のいい言葉だけを羅列している。まったく歌舞伎に興味のない人が書くとこうなるという悪い例であろう。

 気持ちのこもった小泉さんの祝辞と比較すると雲泥の差がついてしまった。襲名披露の祝辞ひとつとっても、無能を露呈してしまう、哀れな宰相である。

 さっさと退場したほうがいい。

 

 下手な岸田祝辞などどうでもいいが、小泉さんの名祝辞がネットのどこかにないかと探したが見つからなかった。だからワシャが起こしておくことにした。歌舞伎の興隆のために。

 

海老蔵さんの新しい門出にあたり」

             内閣総理大臣 小泉純一郎

 十一代目市川海老蔵誕生を心よりお祝い申し上げます。

 私が初めて新海老蔵さんの舞台を観て感心したのは新之助時代の勧進帳で、その時は義経に従う四天王の一人でした。じっと座っている姿に余人にない緊張感を漂わせていました。

「あれが新之助か!」と、以来、私は海老蔵襲名の日を楽しみにしてきました。

 何もセリフを言わない、動作もない時の役者は」、だいたいボーッと気の抜けた様子をしていることが多いものです。脇役の時の雰囲気、立ち居振る舞いが観客を引きつける役者の新海老蔵さんが、いよいよ歌舞伎界の主役、大黒柱になる舞台に登場する。

 素晴らしい役者の成長を若い頃から見続けることは、歌舞伎ファンの大きな楽しみの一つであり、今、海老蔵襲名の大舞台を目の当たりにできるのは、誠に嬉しい限りです。

 今は故人となった、「歌舞伎を救った男」といわれるマッカーサー元帥の副官、フォビアン・バワーズ氏と平成十一年正月浅草公会堂で三之助演ずる勧進帳を観に行った時、新之助の弁慶を見たバワーズ氏が「これで日本の歌舞伎は大丈夫だ」と言った言葉は今も印象に残っています。

 天性の歌舞伎役者としての素質に恵まれた新海老蔵さんが、さらに研鑽を積み、精進を重ね、益々ご活躍されんことを心より期待しています。

 

 いい文章でしょ。マッカーサーの副官と歌舞伎を観に行っているんですよ。こんなこと本人じゃなければ書けないです。

 團十郎の門出にあたっても、小泉さんくらい心のこもった祝辞を書ける首相だとよかったんだが・・・バカには書けねえか。

まだ、あったの?「週刊なんちゃら」

 笑える。この「週刊金曜日」の記事がハチャメチャだ。

朝鮮人追悼碑を群馬県が代執行で撤去 許すまじ「歴史否定」の暴挙》

https://news.yahoo.co.jp/articles/c8a5e7fd8925ca23408124d05545a78017cd8a2b

 冒頭に《「歴史」そのものが壊されようとしている。》と持ってきた。以前にも書いたけど、ルールを破ったのは市民団体を名乗る活動家集団である。そして「壊されようとしている」のは、「捏造の歴史」であり、捏造を破壊することはむしろ健全である。

《20年間にわたって「記憶 反省 そして友好」を訴えてきた追悼碑》と言っているが、そもそも日本人と朝鮮人は一緒になって戦っていた。朝鮮人の中からも将軍が出ているくらいだ。例えば同じ日本だった台湾の李登輝総統は、京都大学で学んで、戦争にも行っている。そして戦後は親日派の政治家として活躍した。

 左翼の活動家たちが根拠もなしに「朝鮮半島は植民地にされた」と喧伝するけれど、欧米列強を見てみなさいよ。どこの帝国が植民地に最高学府を造りましたか?きめ細かく小学校、中学校を設置し、教育に尽力しましたか?

 日本はあの帝国主義の時代に、朝鮮半島、台湾に対しては日本国内と同様の施策を実行し、同じ水準をつくろうとしていた。

 戦争が勃発し、戦況が悪化してくると、日本に住む人々にはとても過酷な労働を強いた。しかし、これは日本、朝鮮、台湾という別に関係なく、等しく戦争遂行のために力を尽くしたのである。

 もちろん軍部のバカエリートどもの責任は重い。そのことについては、日本人はしっかりと検証して、バカはバカとして認めてきた。

 続ける。

《戦時中に労務動員された朝鮮人犠牲者を悼む目的で追悼碑が設置されたのは2004年。》

《多くの朝鮮人が全国の鉱山や軍需工場などに動員され、この群馬の地においても、事故や過労などで尊い命を失った人も少なくなかった。》

 まず、戦時中に労務動員されたのは日本人も台湾人も一緒で、事故や過労で亡くなられたのは、朝鮮人だけではない。それに当時はみんな日本人で、なぜ半島の人が日本人になったのかは、東アジアの歴史を勉強したほうがいいよ。ともかく当時は同じ日本人なのだ。悼むならすべての「亡くなった方」を追悼すべきだろう。

 これには、「慰安婦」の問題も強く投影されていて、1998年に火付け役の吉田清治が「慰安婦」に関する著作がフィクションであったことを認めた。鉄壁だったはずの「慰安婦」の金せびりの構図がぐらつき始める。朝日新聞左巻きなどは吉田本に全面的に依拠していたために、その立脚基盤を失ってしまったのが、2000年の頃。

 状況を把握するのが遅い反日極左岡崎トミ子議員や田嶋陽子議員などは、このあたりから活動を活発化させているけどね(笑)。このあたりの顔ぶれを見るだけでも、「慰安婦」問題のうさん臭さが垣間見える。

 彼女らと違って機を見るに敏な半島人は、別のタカリの糸口を模索し始める。戦時中の労務動員者を「慰安婦」などと並列で出してきた。

 この頃に、当該追悼碑は立てられている。極めて政治色の強い代物で、県民の集う公共空間に設置するのは、公費で実施するトリエンナーレで「慰安婦像」を展示するのと同様に愚かなことだった。

 ゆえにルールを守らなかった追悼碑の撤去は当然のことである。

 

 しかし「週刊金曜日」という強い色合いをもった媒体はこう反論をする。

《さらにこうした県の判断を後押ししていたのが右翼勢力である。歴史否定と人種差別活動を展開してきたレイシスト集団は更新不許可の決定前から、追悼碑が「反日的」であるなどと主張》

「右翼勢力」、「レイシスト集団」って?

 普通、この事情を知れば常識ある日本人なら眉間に皺を寄せるのは当然ではないだろうか。群馬県は、その健全な人たちの主張に理があると考えたから全面撤去と相成ったわけで、いわゆる「慰安婦」とか「徴用工」とかに異論を唱えるまともな人たちは、岡崎・田嶋グループから言えば、みんな「右翼でレイシスト」ということになんですね。

 まぁ極端に左に立てば、中道だって右だし、穏健な左翼だって右側に見える。そういうことなのだろう。

《「あきらめない。壊されてもまたつくればいい」追悼碑前で多くの人がそう訴えるのであった。歴史否定を進める側にこれ以上の成功体験を与えてはならない。》

 反日勢力から見れば右側に立っている普通の日本人が「歴史否定」をしているというが、ワシャより日本の歴史を知っている左巻きに会ったことがない。

 彼らの謀る「歴史捏造」にこれ以上の成功体験を与えてはならない。

また歌舞伎

 夕べ、御園座の大歌舞伎夜の部に行ってきた。

 前日に市川新之助が熱を出したというようなうわさが流れていて、「そりゃあ10歳の子供だもの、連日の大役で疲れが出たんだろう」と心配しましたぞ。「外郎売」を團十郎が代役をするというのも楽しみだけれど、健気な新之助の姿が見たいのも本音にはあった。

 さて、夜の部の演目である。

 口開けは大谷廣松と中村莟玉(かんぎょく)の「相生獅子」。昼の部では「三人吉三」で莟玉のお嬢吉三が観たかったんだ。でもね廣松と日替わりで、お嬢吉三とお坊吉三を演じていて、その日は立ち役のお坊を莟玉が演じる日で、残念ながら女形の莟玉を観られなかった。まぁその後の「外郎売」で遊君喜瀬川を演じ豪華な花魁姿を観せてくれたけど。

 そういう意味では「相生獅子」は莟玉を堪能できた。莟玉、器量ばかりではなく踊りも上手いし、声もよく通る。小柄なところも女形にうってつけだ。でも、もう少し痩せたほうがいいかも。

 その後の「丸橋忠弥」は初めて観た。本名題は「樟紀流花見幕張(くすのきりゅうはなみまくばり)」という。通称が「丸橋忠弥」である。

 この狂言は明治3年に東京森田座で初演された。このとき丸橋忠弥を演じたのが初世の市川左團次だった。要するに左團次家の家の芸といえる。いずれ五代目を継ぐ男女蔵(おめぞう)が丸橋忠弥を演じたわけだが、そういった意味からも相応しい配役だった。男女蔵、声も姿も四代目左團次に似てきたから、楽しみなんだけど、まだ全体的に華がない。四代目にも華はなかったが、まだ若いんだから團十郎とまではいかなくとも、舞台での存在感を観せてほしいものだ。

 でも、ド派手な舞台は初心者の方々には大受けでしたぞ。与力、捕手を演じた若手のアクションは見事でした。若手の研鑽の賜物と言っていい。

 主役が團十郎幸四郎猿之助勘九郎あたりなら、もちろんメインの舞台なりうる。がんばれ~男女蔵

 この後が、お待ちかねの「口上」である。熱の出た新之助が出るのかなぁ。心配だったけど、幕が上がれば團十郎の右にちょこんと座っているではないか。よかった、熱は下がったんだね。10歳の子供に連日の舞台は大変だと思うけれど、もう客席のオバサマたちは大騒ぎ。甲高い声での向上にワシャも「成田や!」と声を掛けましたぞ。

 最後は歌舞伎十八番の「勧進帳」である。もちろん弁慶は團十郎、富樫を菊之助が演じる。山伏も豪華で、右團次、九團次、廣松、市蔵、義経雀右衛門。これは普通、御園座ではなかなか実現しない配役だと思う。さすが襲名披露だけのことはある。

 若干の懸念は、團十郎が少しやつれて見えた。顔が細いのだ。豪傑の弁慶であらねばならないのに、病気あがりのような疲労が見える。やはり大名跡団十郎を継ぐということがどれほど重責なのかが垣間見える。さらに長男の新之助のデビューでもあり、父としてもいろいろな心配があるだろう。今更ながらに奥様の早世が悔やまれる。

 歌舞伎役者、それも大看板の舞台寿命が短い。勘三郎三津五郎福助猿之助など、まだその活躍を観たい役者ばかりが退場していく。

 團十郎丈もぜひにも健康にご留意され、長く十三代目を名乗っていただきたい。

 

 今回の御園座で注目した役者が市川九團次である。昼の部では「吉野山」で道化の逸見藤太を愉快に演じ、夜の部では「丸橋忠弥」で、内通者の義父弓師藤四郎を老いを漂わせながら好演した。さらに「勧進帳」では片岡八郎(山伏)で凛々しく立ち回っている。

 石井竜也に似た顔立ちもいいし、声もよく通る。今回の脇役の中では大活躍をしていた。上方歌舞伎で破門され、その後、現團十郎に声をかけられて一門に入っている。

 なかなか波乱万丈な役者と言えよう。

 これから面白くなっていく役者だと思う。

 

 あ~楽しかった。

なんとかの寄せ集め

 正午を過ぎてしまった。

 普通、この日記は午前中の早い時期に書く。このところ少し遅れますけどね(笑)。

 今日は、早朝から野暮用があり、その後、地域の事務所に顔を出さなければならなかった。それから、凸凹商事に行き、関係部署を2つ回った。途中で懐かしいOBとも再開し雑談をしばし。

 立ち回り先のひとつは災害関連部局で、そこの課長が今週末から能登半島に入るということを聞いたので、陣中見舞いのつもりで立ち寄った。

 ワシャも凸凹では、一時期災害対応をしていたこともあり、いろいろな情報交換をしたんですね。

 この日記にもたびたび書いているが、ワシャは防災担当だった時に、多くの災害現場に行かせてもらった。とにかく「南海トラフ地震」を懸念する地域にいる以上、災害の現場をこの目で見ておきたかったのである。

 今回の地震の際にも、仲のいい災害NPOから「現地に入りましょう」とお誘いがあった。めちゃめちゃうれしかったが、電話を横で聞いていた家人から「NO」が出てしまった。2日前にぎっくり腰をやっていて、湿布を貼って横になっていたですわ。ワシャは「それでもいく!」と言い張ったが、向こうで腰が悪化して、それこそ病院のお世話にでもなれば、被災地の足を引っ張ることにもなりかねない。

「次の機会もありますから」ということで、今回は断念した。残念!

 だから、現地入りする後輩を激励したかったのである(泣)。

「現地、現場に入って現物、現実を見ろ。真実を見極める知識を蓄えろ」

 これは、13年前の社員研修で若い係長たちに伝えた言葉だった。

https://warusyawa.hateblo.jp/entry/20110616/1308175335

 それをまた偉そうに言ってしまいました(笑)。それでもその課長は力強くうなづいていたので、多少は伝わったかなと思っている。

 

 さて、そのことを踏まえて、昨日の日記とも多少の関連がありそうな話に触れたい。

 今、書庫の大規模な入れ替えを行っていて、いろいろな資料があちこちから出てくるんですわ(悲鳴)。

 無視すればいいんだけれど、どうしても読み込んでしまうんですね。雑誌や新聞からスクラップしたものが山のようにあって、2016年9月9日の「週刊ポスト」の記事が出てきた。井沢元彦の「逆説の日本史」である。タイトルは《組織を滅ぼす「馬鹿トップ」はなぜのさばるのか?》というもの。

 井沢さん、ここで「軍官僚」について触れている。いわゆる戦前のエリート中のエリートの「軍刀組」と言われる連中のことをこう言っている。

《組織にとって最もトップにしてはいけないのは、幼稚園児でも持てるはずの「常識」を持っていない人間である。ところが帝国陸軍においてトップとなったのは、そうした人々であった。》

 なぜ幼稚園児でも持っているはずの「常識」を持っていないのか?

 それは、幼稚園児のころから受験、受験、受験で知識の詰込みばかりを優先したがために、普通の常識をどこかに置き忘れてきてしまったのである。

 井沢さんが、評論家の山本七平さんの『私の中の日本軍』(文藝春秋)から、このクソエリートどもに地獄に突き落とされた兵士の発言を引いている。

大本営チュートコは、危痴害と迷苦垃の寄り集りジャロカ、ありゃみんな偉カ人のはずに」

 二か所は自主規制させていただいた(笑)。

 ということなのである。現在の「軍刀組」の霞が関のエリートどもは、先の大戦で日本を地獄に突き落とした軍官僚となんら変わりはない。軍官僚に担がれた近衛も、財務官僚に担がれた岸田もまったく同じで、地獄を見るのは一般国民なのである。

 財務省チュートコは・・・・・・の寄り集まりである。