今日は壇の浦

 元暦2年(1184)の今日、壇の浦で源平が海上決戦をくりひろげた。安徳天皇二位尼(にいのあま)に抱かれて入水した日が3月24日。旧暦なので、現在でいうと5月のあたまくらいの時期で、立夏のちょっと前の候である。壇の浦の水は温んでいただろうと思いたい。

「この国は粟散辺地とて心憂きさかひにてさぶらへば、極楽浄土とてめでたき処へ具し参らせさぶらふぞ」

 と、二位尼安徳帝に説き、二人は波の下の都に旅立った。

 現代語にすると「この国は辺鄙な小さな国で、つらくいとわしいところですから、極楽浄土といういいところにお連れ申します」となことを言っている。

 季節がよくなったら憂さ晴らしに瀬戸内海の方へ行ってみようかなぁ。

忙中閑なし

 なんだか忙しくなってきましたぞ。朝からすることばかりが湧いてきて、バタバタしていると夕方になっている。この日記がワシャの余裕のバロメーターなのだが、日記の更新量が減ってくると、心もすり減ってくるのじゃ。いろいろなものに小学生のように興味を持っていることが大切なのに、一事しか考えられなくなる、あるいは他人様の意向ばかりをうかがうようになると、ワルシャワらしくないわいなぁ。

 反省をして体勢を立て直そう。ここまできたら、いい人ぶるのはヤンピだな。

 今日、午後から名古屋へ行った。2時間ほどの所用を済ませて、とんぼ返りをした。ワシャは電車の中で寝るというようなことはしない。飲んで帰る時もシャキッとしている。しかし、今日は大府あたりで寝てしまいましたぞ。気持よかったぞい。降車駅に停まったところで目が覚めた。危なく乗り過ごすところじゃったわ。

道化師のギャロップ

 昨日の「プレバト」である。参戦2回目での特待生昇格という異例の昇格をした現役東大生の鈴木光の俳句が秀逸だった。

「道化師のギャロップのごと牧開(まきびらき)」

 まずこの句を聞いて、アホなワシャは「道化師のギャロップ」が解らなかった。ただ「道化師」も「ギャロップ」も知っているので、「道化師が馬のように走っているんだな」とイメージした。そして「のごと」とくるから、「道化師が馬のように走っている……ように」ということだなと理解した。最後に「牧開」とくるから「春になって牧場に馬が放たれた」わけで「道化師が馬のように走っているように牧場に馬が放たれた?」とわけがわからなくなってしまった。

 しかし、解説を聞けば「道化師のギャロップ」というのは、運動会の徒競走で定番のように流されてるカバレフスキー組曲のひとつ。

https://www.youtube.com/watch?v=BIkcSZFInaY

 もちろん曲は知っているが、タイトルまでは知らなかった。これをイメージできれば、厩舎から牧場にドッと飛び出してくる馬たちのイメージが音楽とともに再生されるという仕掛けだった。

 

 東大生の鈴木さん、なかなかやりおるわい。この若い特待生がどこまで伸びるのか、これは楽しみだ。

 

 

頭が高い

 久ぶりだったなぁ(笑)。「水戸黄門」を見ていた頃は、「頭が高い、控えおろう」と、毎週毎週、助さん角さんが言っているのを聞いていたものだ。

それをある地元の関係者から言われた。「お前は、頭が高い」と。他にも「上から目線なんだ」とも。

 ううむ、そんな意識はないんだけれど、凸凹商事で課長・部長を10年もやっていたからそうなってしまうのかなぁ。ワシャのことを知っている人は、ワシャがけっこう謙虚だということを理解してくれている。自分の身内以外には、年下の人に対しても「さん」づけに「敬語」は当たり前で、女性を名前で「〇〇ちゃん」とか呼んだりすることもない。

 例えば、前の部署で部下に女性職員がそれこそ80人とかいたんだけど、長い人で4年くらい一緒に働いていたけれど、苗字を「さん」づけできっちりと呼んでいた。ワシャの前任は、自分の席の前を職員が通過することを許さなかった。誤って通ろうものなら激しく怒ったと聞いている。でもね、ワシャはそんなことにはまったくこだわらない。ワシャの前を行くのが近道なら女子職員からは「書庫に行くのが近くなった」と好評を得たものだ。その部署を離れる時も、多くの職員から暖かいメッセージをもらったものである。

 ワシャは、上司には嫌われたが、部下からはどちらかというと慕われていたと思ったのだが、気のせいだったのかなぁ……。

 頭は低く、目線はフラットで、というのがワシャの鉄板の流儀だと思っている。初対面の人に対しての腰の低さには自信がある。そこから縁を重ねて、親しくなれば、少しはフランクな話し方になることはあるが、それでも馴れ馴れしい、厚かましい、というような態度には絶対にならない……つもりだったが、人の口に戸は建てられぬ。ここはしばらく隠忍自重するべいか。

 

原節子

 ワシャは、洋画ならオードリー・ヘップバーン、邦画なら原節子の大ファンである。ヘップバーンはもちろん『ローマの休日』で、原は『麦秋』が一番だと思っている。

 たまたまね、朝、ネットを見ていたら、この記事に突き当たったんですわ。

原節子に「幻の恋人」がいた!》

https://netallica.yahoo.co.jp/news/20190320-37168378-jct_bw

 原の心には、映画監督の小津安二郎が棲んでいるものと信じてきたので、このタイトルは意外でしたぞ。

 

 ヘップバーンは老いていく自分の姿をずっと見せ続けた。アフリカの子供達を救う活動では化粧すらしていなかった。整形したり、分厚い塗り壁のようなファンデーションで皺を隠してテレビに登場する女優たちは多いが、ヘップバーンは死ぬまで素顔でカメラの前に立ち続けた。

 反対に原は引退とともに、すべての気配を消して、まさに隠遁生活に入り、小津や野田高梧の通夜に顔を出したくらいで、表舞台には一切姿を現すことはなかった。それはそれで格好いい生き方だったと思う。

 

 デビュー以降、原節子は「大根役者」と言われていた。しかし、大監督の小津安二郎は彼女を評して「あの子はウマイね」と言っていた。いくつもの作品で共演をしていた笠智衆も「原さんは、きれいなだけじゃなく、演技も上手でした」と褒めている。

 ワシャはそもそも原節子贔屓なので、メガネに色が付いているが、それでも「インナーボイス」がよく出せる女優だと思っている。含んだような笑みの奥に、悲しみや喜びや恥じらいがないまぜになってにじんでくる女優など最近見たことがない。

今、若い俳優たちが次から次に登場してくるが、学芸会のような薄っぺらな演技力で金を取るんじゃないよ、と言いたい。

 

 話が逸れた。原節子だった。

 昭和27年に「近代映画」のインタビューで小津との関係を問われてこう答えている。

「小津先生にはおこられるかもしれないけど、先生は割合と私には甘いようよ。もっとたたいて欲しいと思いますけど。小津先生は演出家としての力がありすぎて色彩も強いだけに、私なんかその中に巧く纏められてどうにかボロを出さんで済むのでしょうね。私は監督と俳優の間には、電波みたいなものが通っているように思います。一緒に仕事をしていると、監督さんのその時その時の気持ちの動きが、微妙にピシピシと感じられますわ」

 小津は、原節子をもうめちゃめちゃ可愛がっていた。もちろんプラトニックなものである。でも、それは愛と言ってもいいものだと思う。原の心には確かに小津が棲んではいた。しかし、小津への気持ちは、尊敬の深く熟したものであって、愛とは違うような気がしている。

 冒頭の《原節子に「幻の恋人」がいた!》では、原節子の最晩年に、原節子の周辺を調べて書かれたノンフィクションが紹介されている。石井妙子原節子の真実』 (新潮文庫)である。これは読むしかない。

 

シナチズム

 今朝の朝日新聞国際面。《新疆で「テロリスト」1.3万人拘束》という見出しが目に入った。朝日はケチなので記事が見当たらない。だから、こっちにリンクを貼っておきますね。

《新疆で「テロリスト」1.3万人逮捕 中国政府》

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190319-00000001-jij_afp-int

 で、朝日の記事を引くんだけれど、100万人が収容されている施設、つまり「収容所」であるが、中国共産党はあくまでも「再教育施設」と言い張る。そしてこう続ける。《「テロを未然に防ぐための職業技能教育訓練センター」と説明。「過激派の影響を受ける人は教育水準が低く、中国の法律や職業技術を学ぶことで危険思想から脱することができる」などとしたが、収容人数は明らかにしなかった。》

 ジャーナリストの有本香さんは、この「再教育施設」と称する収容所に77歳の老婆が収容された事実を挙げてこう指摘する。

「77歳の人になにを再教育するんですか!この方は収容されて1年で亡くなられた」

 人生最晩年に入っているご老人に、支那のクソ法を学ばせてどうしようというのか?今更、職業訓練をしてどうしようというのか?

 この一事を取って見ても、そこがウイグルアウシュビッツ以外の何ものであるのか?

 

 いいですか。1万3000人のテロリストって、そんなに簡単に見つかりますか?テロリストってのは地下にもぐって活動するんですぞ。戦争捕虜じゃないんだから、そんなに次から次へと1万3000人も見つけられるわけがない。でも、中国共産党に言わせれば、次から次へと、見つかってしまうんのだ。このことが何を意味しているかというと、まさにナチスユダヤに行った蛮行をなぞっているということなんですね。

 そして一昨日の続きになってしまうんだけど、テロリストとして認定された健康な若者たちは、間違いなく、新鮮な臓器を保存するためだけに、その日が来るまで生かされるのである。これはナチスを超える凶行だ。このことは、国際社会が毅然とシナチスどもと対峙し退治しなければならない。

 

 21世紀に「北斗の拳」の世界のような地獄が現実にあり、さらに悲劇は、そこにケンシロウが存在しないことである。

 ウイグルチベット内モンゴルの悲劇を看過してはならない。

思想のバランス

 コラムニストの勝谷誠彦さんが亡くなってから「勝谷誠彦たちの××の日々」を継承してがんばっているヨロンさんが317日の日記でこんなことを言っていた。ニュージーランドでの危痴害の話に触れでである。

SNSは、自分の思想信条に近い情報で溢れます。》

《この容疑者は、かなりSNSに依存していることがわかります。彼から見たインターネット上の情報が反移民主義に満ちたものであれば、自分の考えは世の中の主流であるのだと思い込みます。無意識に自分が選んだ情報が載っているだけなのですが、それ以外の主張が見られないので、「私の考え方が正しい」となるのです。》

《問題なのは、その考えが強ければ強いほど、偏っていればいるほど、目の前の情報は自分の意に沿うように深く濃くなっていくことです。》

 と「SNS」というか「情報の取り込み方」の弊害を指摘されている。

 

 確かに、自分自身の傾向をみても、どうしても自分と似た考え方の人のSNSを見ることが多い。でもね、あえて違う考え方の人のところも覗くようにはしている。

 だからワシャは誰になんと言われようと「朝日新聞」を購読している。これは勝谷誠彦さんも同様だったが、なにしろあっちのほうの考え方を知るにはうってつけだからである。

 かつてワシャが凸凹商事で管理職になった時に、共産党系の社外役員から「赤旗日曜版を購読してくれ」と圧力がかかったことがあった。それまでの役職者は全員それを毎月800円払って買っていたそうな。その頃のワシャは若かったのう。「共産主義者に1円たりとも払うものか!」と断固としてはねつけた。

赤旗」も「朝日新聞」も似たようなものだと思う。モノによっては「赤旗」より酷い記事もあるが、ワシャ的には「本の紹介が多いこと」と父の代からの購入で紙面に目が慣れているので継続購読をしている。それほどの効能はないが「中和剤」としての役割もある。

 葦津珍彦、平泉澄福田恒存西尾幹二西部邁加地伸行などを愛読しているので、ときにバランスを取るために左傾の思考も見ておかないとね。でも、読めば読むほど「現在の左はやっぱりダメだな」と再認識するばかりである(笑)。

 

 ワシャは新聞、ニュース、本に至るまで、やはりきっちりと読み込むためには「メディア・リテラシー」が重要だと思っている。ワシャのバイブルに、日垣隆『情報の「目利き」になる!』(ちくま新書)があり、これを座右の書として日々のニュースに接している。

 これからますますSNSなどで増幅され「その考えが強ければ強いほど、偏っていればいるほど、目の前の情報は自分の意に沿うように深く濃くなっていく」だろう。ここで己のメディア・リテラシーを確立し、客観的に事象を見つめられる目をもっていたい。つねにそう思っている。

 

 ちなみに、佐高信松井やより山口二郎辻元清美蓮舫などの本も読んでまっせ。内容がないので1冊15分程で読めるから簡単でいいや。