脱線

 いや~、早朝からちょいとしたことを調べていて、3時間も費やしてしまった。

 それがね、今村翔吾『くらまし屋』(ハルキ文庫)の5巻「冬晴れの花嫁」を読んでいて、登場人物に松平武元(たけちか)という武士が登場したのである。上野国(こうずけのくに)舘林藩(たてばやしはん)五万四千石の主という記載があったので、「それなら詳細情報を得てから読むとさらにおもしろい」と思ってしまった。

 書庫から『寛政重修重修諸家譜(かんせいちょうしゅうしょかふ)』(全26巻)、『三百藩藩主人名事典』(全4巻)などを引っ張り出してきて調べ始めてしまった。

 これがいけなかった(苦笑)。

「武元」はすぐに見つかったんですよ。館林藩ということで、徳川綱吉はすぐに出てくる。綱吉が将軍になった後、長子の徳松が継ぐのだが、5歳で病没。25万石を2.4万石にされて、六代将軍の徳川家宣の弟の清武(きよたけ)が舘林の地を継ぐのだが、2.4万石になってしまう。六代家宣も短命に終わり、その遺命により2万石の増加で4.4万石にしてもらう。清武から家系では3代目(養子)が武元となる・・・。ここらでよせばよかった(笑)。

「武元」の実父は水戸家の分藩で・・・舘林藩は「武元」の前、2代が別家で治められ・・・とか、資料、文献の沼にはまってしまいました。その調査結果をここに並べてもおもしろくもなんともないので、今から拡げてしまった資料本を片付けで、出掛けることにします(やれやれ)。

 でも『くらまし屋』に歴史的人物が出てきたことで、この作品の厚みがぐっと増しましたぞ。そうそう田沼意次も、この巻に出てきます。

巧言如簧(こうげんこうのごとし)

《後藤田知事も激怒、高校生に配備のタブレット「3年もたず半数超が故障」の異常 後手に回る教育委員会、中国メーカーからは返答なし》

https://news.yahoo.co.jp/articles/68e92fff865112eaea030dbc5eeefd3f12c21131

 そもそも支那製だからね、当然の結果と言える。導入を決定した教育委員会ブレーン、契約業務を司る事務方に親中派がいたんだろうか?

 きっと調子よく営業をかけてきた支那人(日本人でも支那流業者)、笛(簧)を吹くように巧みな言葉で近寄ってくるものに、に騙されてしまったんだろうね。

「充電後にバッテリーが1時間未満しかもたない」とか「タブレット端末が焼け焦げたような状態で見つかった」って、それじゃダメじゃん徳島県の県立高校生たちのことが心配だ。

 友人の電気自動車もバッテリー部分が支那製で、新車なんだけど橋の中央で立ち往生してしまった。

 餃子などの具には段ボールを使うし、揚げ物にはドブに流れている油を使うし、原子力発電所からは日本など比較にならない汚染水を流しているし、「羊頭狗肉」の文化性をもつ民族とは注意深く付き合っていかなければならない。

エロジジイから道州制

 岐阜県岐南町(人口2万6千人、面積7.91㎢)のセクハラ首長のニュースの追伸である。

《99件のセクハラ行為認定で辞職した岐南町長が「ひきょうだ」と捨て台詞…最後まで反論続け調査費全額負担も拒否》

https://news.yahoo.co.jp/articles/4ff70db2c7dcb4ae4c1cc9da83b436ef67c4b12f

 いろいろNETに話題を提供してくれた爺様だったが、言っていること、やっていることが支離滅裂。まぁこのエロ爺さんのやってきたことは、通常の非常識な首長の限度を超えている。これがばれた時点で、何も語らずに頭を垂れて、去っていくのが矜持というものであろう。

 それを「私らの時代は、頑張った、よくできた子には頭をなでてもらったという経緯がある。皆さんは若いからわかりませんが、そういうつもりで、頑張っているねとやった」とか「多少、ボタンのかけ違いがあったかもしれないが、ここぞとばかりに言ってくる。自分の名前を出さない。これはひきょうだ」と憤懣をぶちまけたが、「私らの時代」って、いつの時代だよ?今は令和で、あんた令和になってからの町長ではないのか?

 セクハラを告発した人たちに「自分の名前を出さない。これはひきょうだ」と言っている。ジイサン、アンタのやってきたことを客観的に振り返ってからモノを言いなよ。小さいとはいえ、一国一城の主である町長、小さい町とはいえ町議会議員を7期も務めた煩さ方に、役場の部下が実名で告発できるかどうか、その皺のない脳味噌でよ~く考えてごらん。

 ここからは少し視点を変える。

 こういう問題が起きるのは基本的に自治体が小さ過ぎるからと言ってもいい。岐南町を例にとれば、西三河岡崎市豊田市には、岐南町より人口も面積も大きい自治会があるし、両市より規模の小さい刈谷市安城市にだって、同程度の人口・面積をもつ町内会が存在する。岐南町、それっぱかりの規模で一国一城を維持していくのは、大きな財政的裏付けを持っているのかもしれないが、人材的にはやはり限界があるだろう。

 もちろん小規模な自治体でも優秀な首長は存在する。反対に1億人のを超える国家でも盆暗のトップが反っくり返っているということもある(泣)。

 まぁ国会議員や県会議員が下着のネーチャンのパンティーに札をねじ込んで喜んでいるような政治風土だから、時代錯誤のセクハラ町長も出てくるか(嘆息)。

 国まで話を飛ばすと、焦点がボケてしまうので、自治体に話を戻すと、このところ表に出てくる自治体トップのセクハラ、パワハラなどが小規模自治体からのことが多い。要は、ある程度の行政規模があると、いろいろな思想の職員がいるし、思考力も首長を上回る存在も多くなる。とくに首長との間に縁故などに左右されない距離が取れることも大きい。だからボケチンでも川勝知事や大村知事はそんなことをやらないでしょ。

 はっきり言う。岐南町は隣接する40万都市の岐阜市に合併すればいい。そうすれば、昭和のエロジジイなどに行政を委ねなくとも済む。

 議会のほうも令和3年の町議会選挙は無投票だった。そもそもなり手がない。一町内会程度の面積では、議員の担うことがないのだ。面積から言うと90m四角くらいが担当で、そんなもの組長の仕事範囲ですぞ。

 まあいいや、それでもその時に無投票で10人の議員が誕生して、一人がエロ町長と刺し違えて辞職し、現在は9人が頑張っている。しかし、繰り返すが小さな町に独立した行政、議会が必要なのだろうか?

 

 令和の市町村合併、令和の道州制を考えているワルシャワはいろいろ考えるのでした。

悲運になるか、浅香山

 日本相撲協会が「宮城野部屋解体案」を差し戻し、宮城野部屋の全員を一括して浅香山部屋に押し付けるという案が採用されるらしい。

宮城野部屋問題大詰め 宮城野親方間垣親方、力士が同じ部屋に転籍する方向で最終調整》

https://news.yahoo.co.jp/articles/35f0dc08afe1faa96fb20454f4fb01e467252fa4

 相撲取りという人種は・・・というと差別主義者どもから「人種差別だ」と言われるかもしれないが、やはりそれほど頭がよくない。そりゃそうだよね、頭はずっと相撲を取ることに使ってきた。そもそも組織運営とか人事配置とか、そんなことに頭は働かない。そういった意味での頭の良し悪しがあると言いたい。

 さて、元大関魁皇が率いる浅香山部屋である。幕下の魁勝が筆頭にいる。この力士、愛知県西尾市出身なんですね。だから応援していたんですが十両から落ちてしまった。残念。その下に8人の力士が在籍する小さな部屋である。

 さてここに、伯桜鵬(落合)を筆頭に17人、今は三段目まで落ちてはいるが、小兵で活躍した炎鵬や今回新序出世披露でその巨大な体を現した聖白鵬

《聖白鵬らが新序一番出世披露「いつか自分の化粧まわしをつけられるように」》

https://news.yahoo.co.jp/articles/2f68232d202cccb19c4ba2149487f0ba2f8036e4

などもいるのだ。

 どう考えても8対17で、受け入れる浅香山部屋が不利に決まっている。強い力士が宮城野派に断然多く、宮城野だって稽古に口出しをしてくる。そうなれば大関どまりの優勝5回の魁皇と、優勝45回の大横綱(ワシャはそう思っていないけどね)の指導を受けるとするなら、強くなりたい力士たちにとっては考えるまでもないだろう。人は3人寄れば派閥ができる。浅香山部屋内に旧浅香山派と宮城野派ができるのは当然。

「分散すると宮城野部屋の力士らの将来を案じられる」とする温情的な判断は、突っ込みどころ満載で、今回の宮城野部屋の解体は、北青鵬のような「歪な関取」をつくってしまった「特異な親方」である宮城野から、若い才能を避難させようというもので、部屋ごと別の小さな部屋に移してしまったら、まったく当初の判断を捨てることになってしまう。

 当初案のように伊勢ケ浜一門(浅香山、朝日山、安治川、伊勢ケ浜、大島)で力士を分ける。そうすれば一部屋あたり3~4人になる。問題の宮城野親方は、それこそ部屋付きの親方ではなく、協会付きの親方ということにして、八角部屋で理事長直々に親方道を勉強させればいい。

 とにかく口の出せない状態にしなければ、白鵬という悪貨が日本文化という良貨を駆逐していくことは目に見えている。聖白鵬と並んで写真を撮っているが、満面の笑みで、暴力事件への反省など微塵も感じられない。これが白鵬なのである。

 協会の甘い判断は、将来、相撲界を危機に陥れるものと思いますよ。

 

 春場所のことである。

 幕尻で頑張っている新入幕の猛富士。6日目で6勝、また歯ごたえのある力士が上がってきたのう。

入幕二場所目の大の里も全勝で頑張っている。二所ノ関部屋の力士なんですね。二所ノ関部屋名古屋場所では安城に宿舎がある。これは楽しみだ(笑)。

翔猿が大関豊昇龍を寄り切った。下から攻め、もろ差しに持ち込んだ。一旦は左を切られるが、再びもろ差しになって、腹を使って押し出した。豊昇龍に相撲を取らせなかった。いい一番だった。

 いい気分で、結びの一番が横綱照ノ富士と前頭三枚目の隆の勝に臨んだ。隆の勝はあまり器用ではなく、真面目な取り口の力士である。照ノ富士にとってはそれほどの力士ではなく、簡単にあしらえると思っていたが、やはりもろ差しを許してしまって、そのまま寄り切られてしまう。まったく膝に力が入っていない。大丈夫かいな。6日目で2勝4敗、これは横綱の成績ではない。もう引退をしたほうがいいだろう。いつまでもロボットのような足で横綱を張るのはいかがなものか?

 人の表情というか、面差しというか、観察しているといろいろおもしろいものがある。世耕参議院議員が出席した「政倫審」には興味はないが、世耕議員がどんな表情で受け答えをするのかは気になって、見てしまった。そのニュースはこれね。

《政倫審で世耕弘成参院幹事長「違法性の認識は全くありません」 一方で秘書がダンサー懇親会に出席めぐり「謹慎を申しつけている」》

https://news.yahoo.co.jp/articles/d49e0acde0d2bee0deb5318e80e5baeae060fc37

 内容などはどうでもいいんだけど。なにしろこの「政倫審」、嘘をこきまくっても何のお咎めもない。議員の「やりました」感、「みそぎしました」感を醸成するだけのアリバイ政倫審など開いたって時間のムダだ。

 まぁよかったのはこれが「非公開」でなかったことだけである。これで世耕議員を始め多くの国会議員がその面をテレビで全国に曝すことになった。

 でね、世耕議員、安倍さんがご健在の頃には、安倍さんの薫陶がゆきとどいていて、いい目をもつ政治家だった。穏やかさの中に自信を秘め、安倍さんが示す方向に迷いなく進んでいく率直さが目に宿っていた。

 だからワシャの中では「まともな政治家」の中の一人だと思っていたので、わずかな期待をしつつ、今回の政倫審を見守ったのだが・・・。あらら、人というのは2年くらいでここまで表情というか目が変ってしまうものなのだろうか?

 あるいは、人は嘘をつくとき目が変ると言うが、それもあるだろう。一度、3年前くらいの世耕議員の映像でも写真でもいいのでご覧くだされ。その時の目と、今回の政倫審で空疎な弁明を続け「知らぬ、存ぜぬ」を繰り返し答弁する世耕議員の目が違う。

 世耕議員は正直である。これほど目に出てしまうとは。そんな目を世間に見せてまで守りたいものとはなんだろう。己の地位か?先々に己の地位を上げていくための政治的馴れ合いか?

 今日の朝日新聞の4面に、昨日、弁明をした3人(世耕、橋本、西田)の写真が掲載されている。これを見ると一目瞭然で、世耕議員と西田議員の目が明らかに違っている。世耕議員は人が嘘をつく時の目になっているから笑える。朝日新聞がわざわざそういう写真を選んだのかもしれないが、どっちも嘘吐きだからよくわからない(笑)。

 

 江戸を舞台とした今村翔吾の『くらまし屋稼業 秋暮の五人』(ハルキ文庫)に和太郎という小悪党が出てくる。裏の名は蛇吉、普段は寄木細工職人として生業を立てているが、その裏では急ぎ働きの得意な盗賊の一味であった。その和太郎(蛇吉)が表と裏で表情を変える。その部分を引く。

《和太郎は道中で見せた様子と一変し、卑しい目つきで吐き捨てた。》

 目は変わるのである。

業の肯定

 いやはや、ワシャとしたことが情けない。日記ではなるべく「同じことを書かない」ということを心がけてきたつもりだった。ところが昨日の日記「柳田格之進」と似たような内容を6年前にまったく同じタイトルで取り上げていた。

 今回は立川生志の「柳田格之進」で、6年前は立川志の輔の「柳田格之進」。日記の構成も似ていて、なんだか6年前の日記を写して書いているような内容だった。本人としてはまったく忘れていたんですわ。友だちから「志の輔さんでも聴きましたよね」と言われて、日記を検索したら見つけたというお粗末。

 それでも6年でちいっとばかしワルシャワも進化した。6年前は志の輔の「業の肯定」が理解できずに、《ワシャ的にはしっかりと説明しきってハッピーエンドで幕にするほうが人情噺としてはいいと思う。》などとほざいておったのが、今回は、立川流の「武士の意地を通す」という「業」のために、「悲劇のまま終わる」という選択がツボにはまった。

 

 ここでちょいと「業の肯定」についての蘊蓄を、横丁の隠居のように語りたい(笑)。

 この言葉の初出は、昭和60年発行の、立川談志『あなたも落語家になれる』(三一書房)である。

 この言葉が出てくるのが、「まえがき」、「目次」のすぐ次、「序 落語って何んだ」の「1 人間の“業”」の冒頭である。

《落語とは、一口にいって「人間の業の肯定を前提とする一人(いちにん)芸である」といえる。》

 開口一番、談志はこう断じ、後段でこう説明する。

《“人間の業”の肯定とは、非常に抽象的ないい方ですが、具体的にいいますと、人間、本当に眠くなると“寝ちまうものなんだ”といっているのです。分別のある大(だい)の大人(おとな)が若い娘(こ)に惚れ、メロメロになることもよくあるし、飲んではいけないと解っていながら酒を飲み、“これだけはしてはいけない”ということをやってしまうものが、人間なのであります。》

 こういうことを肯定するのが落語だと談志は言っている。

 

 昨日、ワシャの業の「本を買いたくなる」に引っ張られて、駅前の本屋に立ち寄った。ワシャの業である「居酒屋で酒を飲む」まで、少しばかり時間があったからだ。

 何の気なしに、新刊本のところにあった山本一力の『落語小説集』(小学館時代小説文庫)を手に取った。そしたら、末尾の短編が『柳田格之進』だった。速攻で本を買い、居酒屋に行ったのだが、ワシャの業である「買ったらすぐに読みたくなる」に勝てず、ツレが来るまで居酒屋の片隅で読んだのでした。

柳田格之進

 日曜日に刈谷市総合文化センターで、立川生志の独演会があった。生志が二席たっぷりを聞かせる。

 午後2時に独演会が始まった。開口一番で弟子の生ぼうが「だくだく」を掛ける。

別名「書割盗人」という噺で、貧乏長屋に住む八五郎が絵描きに頼んで、部屋の壁に床の間、タンス、長火鉢、金庫などを描いてもらう。そこにマヌケな泥棒が入ってきて・・・というような前座噺。

 そして生志、中入り前は「明烏」。枕が長かった。ワシャ的にはそれがよかったんだけど、現在の政局を取り上げて爆笑をとった。「裏金」で職を辞した長崎の谷川弥一氏の話、実際に長崎の落語会で仕入れてきた実話を面白おかしく脚色して語る。どこまでが真実なのかは、なにせ落語なので判りませんがね(笑)。

 中入り後が大ネタ「柳田格之進」、これをたっぷり1時間。基本的に物語の中で笑う場面はない。それでも生志はところどころにくすぐりを入れているが、どちらにしてもシリアスなドラマである。

 物語は実直な侍の柳田格之進が、真面目ゆえに周囲の侍から嫌われ疎まれて藩を追われてしまう。現在は浪人となって娘とともに裏長屋に身を寄せている。そのあたりの経緯(いきさつ)が簡単に説明され、物語は柳田と娘の会話から始まっていく。

 娘は父親の気鬱を心配し「碁会所にでも出かけられては?」と持ち掛け、柳田も「気晴らしに行ってみようか」ということになる。その碁会所で、大店の主、万屋源平と知り合い、碁の腕前が拮抗していることと、お互いの人柄の良さを認め合ったことから、いい碁がたきとなっていく。夏の暑い盛りのことで、碁会所は人いきれもあって蒸す。万屋は「私の宅のほうが、もう少し涼しいのでお運びいただけないか?」と持ち掛け、柳田もそれを応諾する。このあたりの武士と町人の身分を離れた友情の積み重ねを描くのが、生志はうまいねぇ。ワシャは志ん朝の「柳田格之進」を聴いたことがあるけれど、柳田と万屋の友情を描きかたは、生志のほうが上手い。

 後半になって事件が起きる。万屋の離れ座敷で、二人で十五夜の月見の宴を楽しみ、その後、碁を楽しんだ席で50両という金子がなくなってしまう。これを番頭は「盗ったのは柳田様ではないか?」と疑った。万屋は激怒し、「50両のことは忘れろ」と言い聞かす。

 しかし、まじめな番頭は翌朝、柳田のところに掛け合いに行く。「50両が見当たらない。番所に届けを出す」と言ってしまったから、話はこじれてしまう。

 柳田には身に覚えもないのだが、疑られることすら「武門の恥」ということになる。結果として娘が「私を吉原に売って、金をこしらえてください」と懇願したことも手伝って、武士の名誉を守るため、娘で贖った50両を万屋の番頭に叩きつける。

「ワシは50両については知らぬ。しかし疑られた不名誉を拭うために50両を払う。もしその50両が別のところから見つかったなら、番頭、おぬしはどう責任を取るのか?」

 これに対して軽率な番頭が「そうなれば私の首と、主の首も差し上げます」と言ってしまう。

 後刻、そのことを聞いた万屋は激怒する。すぐに番頭を伴って長屋を訪ねるのだが、すでに柳田は転居していた。八方手を尽くし探しても、その行方は杳として知れなかった。

 年が改まる。雪の正月四日。番頭はあいさつ回りの途中、湯島天神の石段で身なりの良い侍とすれ違う。それが探しあぐねた柳田だった。柳田からは紛失事件の数日後に藩に再仕官が叶ったという話を聞き、番頭からは50両が見つかった話をする。

 もちろん真面目な柳田のこと、「では明日万屋に赴き、約束を果たす」ということになった。

 ここからがクライマックスなんですが、この「柳田格之進」という噺、けっこうバリエーションがあって、オチもいくつか存在する。ハッピーエンドもある。柳田の娘を寸でのところで吉原から助け出し、番頭と夫婦になって万屋を継いで、二人の子供が柳田家を家督相続するというもの。あるいは碁盤を叩き斬って「親が囲碁の争いをしたから娘が娼妓(将棋)になった」というサゲをつける志ん生風のもの。単に叩き斬って終わりというのもある。

 生志は、これを一味違う「悲劇のまま終わる」という選択をした。武士の意地を通すという業のために、娘はそのまま苦海に身を沈め、万屋との友情も壊れたまま、憤怒の形相で碁盤を叩き斬って柳田が見得を切る。まるで歌舞伎を観るようだった。

「業の肯定」、談志流の名作を久々に堪能しました。