久し振りの大須

 昨日、名古屋大須で「オースのジョー6~『圓朝』出版記念会 in 大須演芸場」というイベントがあった。

 それにしても大須はとんでもない活況を呈している。もう町中に来街者があふれ、メインのとおりは人で大渋滞を起こしている。20年くらい前の大須では考えられない風景だった。

当時、大須は、まったく客足の遠のいた閑古鳥商店街だった。もちろんワシャの住む街の商店街も同様で、日本各地の商店街が集客に頭を悩ませていた。

名古屋の一等地にありながら、閑古鳥に襲われた大須、この街をどうにかしなければと、地元で音楽活動をするT氏が立ち上がった。大須の一角にオフィスを構えて、孤軍奮闘の戦いだった。それは見事に花が開いたようだ。大須の底力畏るべし。

 

さて、イベントのことである。名古屋在住の作家、奥山景布子さんの最新作『圓朝』(中央公論新社)出版記念会が、古今亭菊之丞師匠を迎えての落語会となった。そりゃそうですわな。圓朝にまつわる小説ですもの、ここは菊之上師匠に、圓朝の落語を聴かせてもらいたい。

奥山さんによれば、菊之丞師匠は大圓朝のひ孫弟子の弟子ということで、系列でもあることから圓朝噺をするのには、ぴったりの噺家ということになろう。

また、菊之丞師匠が演じる女が、これがまた艶っぽいんですね。この菊之丞が豊志賀を演じてごらんなさいよ。これはぞっとすること間違いない。

菊之丞師匠は、二席をつとめた。メインは「豊志賀の死」だが、一席目は「天狗裁き」で大いに沸かせてもらった。

大笑いしたり、ぞっとしたり、落語って本当におもしろいですね。

 

 そうそう、帰りの地下鉄でこんな中吊りを見付けた。

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 名古屋市の交通局が、「優先席を譲りましょう」の啓発をしているものですな。

 それは大切なことだ。傍若無人な輩には警告を発しようではありませんか。

 しかし、嘘の情報を流してはいけない。いいですか、この広告に描かれた人物は、どう考えても徳川家康ですね。右端の軸の人物画は、「三方ケ原完敗に意気消沈する徳川家康」(徳川美術館)を元にしたものですよね。その横の束帯姿はギョロメだし、太っているし、家康を戯画っている。つまり、この人物は徳川家康であり、とするならば、家康は三河生まれなので、周辺には三河武士が固めている。ということは、彼が耳にするのは主に三河弁であり、少なくとも「ぜったゃあ ゆずったれせんわ!」「でぇえらあ若かったもんでいかんわ」といったコテコテの名古屋弁は使わない。

 アイディアはよかったが、検証があまい。

 

 

 

プラスチックへの御託

 今朝の「天声人語」の書き出しである。

ダスティン・ホフマン主演の映画「卒業」(1967年)の冒頭に奇妙な場面がある。》

 ほほお~、映画の話から書き起こしてきたか。映画好き、とくに映画小僧だった時に観た映画を持ってこられては「おや?」とついつい駄コラムと知りつつも読んでしまう。

《大学を卒業した主人公が地元に戻り、パーティーで旧知の紳士に会う。そしてこんなひとことを言われる。「プラスチック」▼紳士は続けて、プラスチックには将来性があると話すが、映画の作り手が何かを暗示しているようにも思える。評論家の町山智宏さんは「作り物、見せかけ、インチキ」の意味が込められていると見る》

 どうおもしろい展開になるのかと期待しつつ読んでいたのだが「プラスチック」が出てきた瞬間に「な~んだ」と思っちまっただ。

 

 5日前の朝日新聞の社説が《プラごみ削減「使い放題」は許されぬ》というシロモノだった。

 この社説については5月17日の「虎ノ門ニュース」で武田邦彦先生が「朝日新聞は頭がおかしくなったね」と前置きした上で、こう言われた。

「使い放題ゆるされぬ……っていうのは、どんなものでも使い放題はゆるされないんだよ。プラスチックも鉄板もごはんも、使うんですよ。使うことはいいんですよ。使い終わって、ゴミが出たら廃棄するでしょう。魚を食べたら骨がゴミとして出るじゃん。朝日新聞の人は骨も食べるの?腐った玉子だって捨てるだろう。朝日新聞の記者は、腐った玉子も死ぬ覚悟で食べるの?」

「この社説は『プラスチック』と『毒物』と『使い放題』の3つのまったく関係のない話をくっつけて、何をしようかとしていると、プラスチックを敵にして新聞の売り上げを上げようとしているだけなんですよ」

「プラスチックは何の問題もない。使い終わったら焼けばいい。焼けばきれいなCO2とH2Oになるんですよ」

 これに対して、同席していた経済ジャーナリストの須田慎一郎さんが吠えた。

「学者ってのは真面目だねぇ。もう朝日新聞の社説なんか誰も読んじゃぁいないんだよ。朝日の社説なんてバカが書いているんだよ。俺なんか朝日の社説を目にしたのは、今年、これが初めてだよ。だからなに書いてもいいんだ。誰も読んでいないんだから」

 その発言に、武田先生もMCの居島さんも大爆笑をしていた。

 

 ここまでが長い前段。この社説を受けて、今日の「天声人語」が更にバカを拡大している。天声人語のバカは言う。

《プラスチックそのものも長い間、快適な生活を支えてきた。しかし裏側にある醜い現実が覆い隠せなくなっている》

 いいですか、ここで天声人語の言っている「醜い現実」というのは、朝日新聞が今まで煽ってきた「リサイクル」という虚のことである。

 ワシャは10年ほど前に「環境でトップになるんだ」と妄想を抱いた凸凹な組織にいたが、その頃から「リサイクル」という幻想には疑問を持っていた。それは、この日記を遡ってお読みいただければ明白なのだが、バカが「リサイクル」という念仏に踊らされた平成の「ええじゃないか」だと思っている。

 駄コラムの結にこんな文章があった。

《映画は主人公が花嫁を連れ出すシーンで終わる。それまでの過ちやしがらみを洗い流す爽快感がある。》

 アホか!「卒業」は映画としては佳作だとは思う。しかし、世間の仕組み、しがらみと言ってもいいが、それを破壊して、花嫁を強奪する男の行為は、確かに「恋に恋する若者」には受けるのかもしれないが、社会の組成や人生の機微を熟知しているはずのコラムニストが褒め称えることではないわさ。

 それで、結論は《地道に減らすのみである。》かい!読んで損こいた。須田さんの言うとおりだった。

 

お詫び

 すみませ~ん。

 なんだかメチャメチャ忙しくて、ジェットコースターのような1日を過ごしております。午後10時にようやく家に帰ってきました。

 なにをやっているんでしょうね、ワルシャワは(トホホ)。

 明日はまじめにキーボードに向かいます!

 おやすみなさい。

支那

週刊ポスト」薫風合併特大号の呉智英さんの連載が秀逸だ。

 ノートルダム大聖堂の火災事故から書き起こし、かつて朝日新聞が『ノートルダムのせむし男』を『ノートルダムの男』と珍妙なごまかし表現をしていたことに言及。終戦直後を舞台にしたマンガの中では「ロスケ」というロシヤ兵への蔑称は平気で使われるが、一般的に呼称されていた「支那人」は、すべて「中国人」に変えられている。そこを指摘して呉さんは言う。

《世界共通語である「支那」はそもそも差別語ではない。終戦期の言論統制で「差別認定」されたのだ。ロシヤ人をロスケと呼ぶのは明白な差別だが、それでも免責注を付ければ許される。支那人支那人と呼ぶのは免責注を付けてさえ許されない絶対的差別語なのだろうか。》

 あるマンガでは、登場している東條英機にまで「中国」を使わせている。あの時代、「中国」という言い方は絶対にしない。「支那」でいいのだ。

 そして、歴史認識のある日本人にとって「中国」というのは、兵庫、岡山、広島、鳥取、島根、山口のことを指す。ワシャは島根県に親戚がいるから、「中国」に親戚がいるのである。

 だからワシャは、混乱を避けるために、中華人民共和国を略して「中国」とは言わない。英語では「ピープルズ リパブリック オブ シナ」と記載されているではないか。「支那」は「支那」でいいと、呉先生は言っている。ワシャもそう思っている。

 

津波災害を考える

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 上記は、今上陛下が親王殿下であられたときに上梓された御著書『水運史から世界の水へ』(NHK出版)である。心身を清め拝読いたしましたぞ。

 この御本は、今上陛下が昭和62年に行われた御講演から、平成30年にブラジリアでの基調講演にいたるまでの、水上交通史、水災害を含む水問題についての記録をまとめてある。

 ワルシャワ風情がものを言っては失礼にあたるけれども、読みやすくためになった一冊でございましたぞ。

 とくに第7章の「水災害とその歴史」、副題に「――日本における地震による津波災害をふりかえって」は、地震や災害に強い関心をもつワルシャワにはとても参考になった。

 陛下は、東日本大震災に触れられ、補足で「災害の記録や教訓を後世に伝えていくことや、地域全体で事前災害に備えることの大切さを強く感じました」と仰られておられる。

 そして古代の貞観地震から、中世の正平地震にともなう阿波・摂津の津波被害、明応地震に引き起こされた東南海の津波被害、これなんかはモロに南海トラフで発生した地震によるものです。

 陛下は、古い文献資料をひも解かれ、明応地震により伊勢湾岸や浜名湖周辺に甚大な被害が出たことを指摘しておられます。

 陛下は仰られます。「歴史に学びなさい」と。「私たちが来たるべき災害に対処する意味でも、災害に遭った経験を忘れることなく未来に語り継いでいかねばならないと思います」とも。

 平成から令和に代わって、最初に注文したのがこの御本であり、身を清め、姿勢を正して読んだのも、この御本ばかりであった。

 

「文藝春秋」6月号がおもしろい

 記憶力だけで、学歴を重ねてきた高学歴バカの典型だろう。

《丸山議員発言、地元も怒り「1人の勝手な言動で…」》

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6323404

 顔を見ても、目元あたりに傲慢さが漂っている。橋下徹さんとツイッター上でバトルがあったようだが、橋下さんが「ボケ!」と指摘していたことは正しかった。関係者も「丸山穂高を勘違い議員と言った時はネット支持者にボロカス言われたが、言わんこっちゃない、勘違いを甘やかすとロクなことにならないことは、何度も経験している」

 幼いころから記憶力だけはいいので、チヤホヤされてきたんでしょうね。その結果が、「戦争をして北方領土を取り返せ」発言になる。どこをどう考えればそういった思考になるのか。ホントに東大卒にはまともな人材が少ない。

 

「文藝春秋」の6月号の訃報欄「蓋棺録」のトップはショーケンだった。小泉一十三(ひとみ)と結婚し、いしだあゆみと再婚し、倍賞美津子と同棲したが、石田えりとの交際がばれて破局。その後、一般女性と再々婚をし、最後の妻だったモデルの冨田リカは何人目なのだろう。さすがショーケン、もてまんなぁ(笑)。

 それにしても「文藝春秋」の6月号はところどころおもしろかった。巻頭言ののっけに藤原正彦さんの新連載が登場してきた。後段にある有働由美子の「マイフェアパーソン」のゲストも藤原さんで「卑怯なら孫でも張り飛ばします」という内容がおもしろい。「令和」のことを語る中西進さん、「中野京子の名画が語る西洋史」も一読の価値ありだ。松村公嗣氏の表紙「幽玄」もいい。

 

魂があるか

 MayJという歌手

https://www.may-j.com/index.php

がNHKのBSで、いしだあゆみの「ブルーライト・ヨコハマ」を唄っていた。熱唱していた。この歌手は歌唱力があるんだね。

 でもね、「インナーボイス」がないんだ。横浜で、街の灯りを見ている女が、どういう心境でいるのか――。どういう思いで「やさしいくちづけをもう一度ください」と言っているのか。

 いしだあゆみの訥々とした歌い方だから、別れに際してのこの女性の複雑な気持ちが織り込まれ、歌の間に女の躊躇いのようなものまでにじんでくる。それがさ、「やさしい!くちづけ!もう!一度!」と、熱唱してしまったら、ディープキスをベロベロにねだっているようで品がない。

 

「文藝春秋」6月号からの新連載「その風を得て」の第1回が玉三郎だった。玉三郎の発言を引く。

「魂がなくなる時代が来ていると思います。心のあり様を情報化あるいは数値化してしまい、醜いも美しいも、見分けがつかない社会になってしまったからです」

 躊躇いのない大声を張り上げることは、大きな間違いである。それが美声であっても情報を大量に出しているだけで、魂はなにも語っていないのではないか。