小室文書について

 ワシャは2680年続く皇統を敬するものである。日本の歴史は皇室を抜きにしては存在しない。これは後世の日本人に残していかなければならない大切な伝統であり文化であり日本そのものである。

 その上で「小室文書」なるものを読んでみた。「指摘」や「疑問点」はすでに多くの識者から発せられているので、今さらワシャなんぞの意見など烏滸がましいので、ここは一市井人として感じたことだけを記しておきたい。

 まずワシャのカウントでは38,900字のボリュームがある。ワシャはネット上の《【全文】小室圭さん金銭問題の説明文》

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210408/k10012963531000.html

 これでは読み辛かったので、ワードのA4(ポイント12)に変換して読んだ。そうするとページ数は62ページになった。これは読み込んでいる識者たちも言っているが、一般の国民に理解してもらう量ではない。これだけの内容を言葉で伝えようとしたら2時間30分喋りっぱなしということになる。そんな話を誰が聴きますか?

 素人に読ませるなら、いいところA4にして数枚が限度だろう。そして小室氏が延々と述べているのは「借りたのか貰ったのか」ということであり、そんなものは400字もあれば事足りる。それが38,900字ですぞ。誰がこんな膨大な駄文と真剣に向き合いますか?

 内容についても、「令和元年(2019年)5月」とかの日付があちこちに散見されるのだが、これなんかは文末に年表のようにまとめてしまえば見やすいし理解しやすい。

 小室氏はのっけから「きちんと話し合い」、「話し合いもせずに対立しているかのような誤解」、「話し合いが終わっていないにも関わらず」、「話し合いを続けることは困難」、「元婚約者の方ときちんと話し合い」、「話し合いで解決するのは困難」、「冷静な話し合い」、「何もせずに話し合いもしないと」、「何の話し合いもせずにお金をお渡しするという選択はしない」・・・とまぁ「話し合い」がとにかく頻出してくる。そして「話し合いをした」と言いながら「話し合いができなかった」って、ええい、どっちなんじゃい!

 そして400万円という借りたか貰ったかよくわからない金について、今まで返却しなかったのは「切実に名誉の問題」であるとし、「名誉を傷つけられるような疑いをかけられ、その疑いが事実でないのも関わらず早く苦しい状態から抜け出したいと思うあまり事実でないことを事実として認めるのと変わらないことをしてしまえば、将来の私の家族までもが借金を踏み倒そうとした人間の家族とみられ続ける」と言い訳している。

 後段にある「私の家族」というのは、もちろんやんごとなき御方のことである。後の可能性を引っ張ってきて「名誉」という言葉をかぶせれば、読み手のほうは「ああ、やんごとなき御方の名誉に関わっているんだな」と思うじゃないか。

 しかし、あくまでも現時点で「借金踏み倒しの不名誉」な嫌疑をかけられているのは、小室母子であり、やんごとなき方をここで持ち出すのは卑怯だ。

 小室氏が、小室文書で縷々書いているように「名誉」を重んじる方ならば、この一連の「不名誉」な話で、皇室を巻き込むのはやめるべきだ。「将来の私の家族の名誉」どころか、2680年の皇統を汚すことにもなりかねない。そのことに想いを馳せられれば、決断はひとつしかない。

 己の小さなプライドよりも、皇室に影響を及ぼさないように身を処せということにつきる。

 すくなくとも、この説明し過ぎ、言い訳し過ぎ、論点不明の長大な文章をみて、「こりゃぁダメだ」と思った次第である。

類似

《中国にある日本の在外公館現地採用職員問題 山尾志桜里氏「秘密保持義務は?」 外務省「秘密保全に万全を期している。これ以上のお答えは差し控えたい」》 

https://news.yahoo.co.jp/articles/85a2ed80a4b42a0f440f7bd271184e9f70937d28

 国民民主党山尾志桜里衆議院議員支那人現地採用について質問をした。この支那人が、パスポート、ビザなどの発給業務を担う。付け加えると、支那では在外公館の職員になるには「中国共産党員」でなければなれない。つまり、日本へ出ようとする中国共産党領内の民族はすべて、その動向を中国共産党に把握されてしまうということで、これに対して外務省は「答えられない」と答えた(蔑)。

 山尾さん、枝野とか蓮舫といった反日勢力と手を切ってよかったですね。こういったまともな質問ができるようになった。

 やはり立憲民主党から抜けた細野豪志氏がいいことを言っている。

《細野元環境相「『汚染処理水』表現は風評の拡散」 マスコミ報道に苦言》

https://news.yahoo.co.jp/articles/15effaf3b8aac51a58498425fc9cd3aaad3ec81a

《福島第1原発で生じている処理水の処分に関する新聞記事を引用し、「処理水の海洋放出を首相が決断するなら支持したい。『汚染処理水』という表現そのものが風評の拡散」と指摘した。》

まったくそのとおりで、反日メディアは風評被害をつくるためにわざと使っているのである。「衆愚」はすぐに影響されてしまう。しかし「賢明なる日本人」は、台湾パイナップルと同様に、「福島産の魚介」をブランド化して販売すればよろし。ワシャは福島の原発事故以降、福島県産のものを見つければ好んで買っている。例えば会津の名酒「奥の松」とかね。東日本大震災の年の慰安旅行は、わざわざ福島県を選んで、郡山や会津若松ででどんちゃん騒ぎをやりましたぞ。

話が逸れたが、山尾議員、細野議員は民進党の呪縛から解放されたことはとても良いことだと思う。お二人とも多少の躓きがあっても、そもそもが優秀な方たちである。きっちりと軌道修正をして、この国のために働いてくれればいい。どこぞの・・・・・・とは違って眉目も秀麗なんだから(笑)。

 

親中派公明党がまたぞろ蠢いている。

《公明・山口代表「根拠なければ」 ウイグル対中制裁に慎重姿勢》

https://news.yahoo.co.jp/articles/5439a1eea6231e5cb894de194d3e028d3ff405e9

そもそも新興宗教の団体は嫌いだ。基本的なところで「オウム真理教」とどう違うのかが判らない。その上にこの団体、親中で染まっている。それもだ、教祖様(オウム真理教でいえば麻原ショーコー)が親中で、「そう決めたことだから盲信するんだ」って、どこがオウム真理教と違うのか?

公明党山口那津男代表は記者会見で、ウイグルの人権侵害をめぐってこう言っている。

「わが国が制裁措置を発動するとすれば、(支那共産党の)人権侵害を根拠を持って認定できるという基礎がなければ、いたずらに外交問題を招きかねない」

 オッサン、アホか!公明党のジョーユーは続ける。

《中国が日本にとって最大の貿易相手国であり、幅広い日中の交流の歴史があることを指摘し、「国際的な緊張の高まりや衝突を回避し、(緊張を)収められるような積極的な対話を日本こそ主導すべきではないか」と強調した。》

 おいおい、山口代表さんよ、池田大作箴言集 四季の語らい』(聖教新聞社)をちゃんと読んでくれよ(笑)。194ページに《権力の悪に対して「寛容」であってはならない。》って言ってまっせ。

 今の公明党支那に対してこれ以上はない「寛容」さを維持し続けていますよね。

 

 山尾議員、細野議員が「民進」の呪縛から解放されてまともになったように、公明党の賢明なる若手議員には、公明党の呪縛から逃れて、一個の政治家として立ってほしいものだ。難しいとは思うけど(笑)。

 

ちょいと博物館

 今日の午前中、近くの博物館に行ってきた。仕事のからみで2時間ばかり館長や学芸員に取材をさせてもらったのだ。その延長で、たまたま無料の企画展がやっていたので、見せてもらうことになって、若い女性の学芸員が案内をしてくれた。テーマは「お米に関わる昔の道具」で、平鍬、風呂鍬、備中鍬から田打車、田舟、踏水車、竜骨車までが展示してありました。

 最初はね、学芸員の人もオジサンばかり4人なので気乗りがしてなかったようで、通りいっぺんのことを説明していたんですよ。

 たまたま、備中鍬のところで、「おおお!」とワシャが声を上げたので、「どうかしましたか?」とわりと冷たい感じで言われてしまった。

 そのコーナーには備中鍬が8本並んでいた。三本備中あり、四本備中もあって、がん爪や熊手も揃っていて、さらに同じ備中でも柄の角度が変えてある仕様のものが展示してあった。

「これですぞ!」

 ワシャは学芸員の見学のオジサンたちのほうに向きなおった。

「これは日本の文化の秀逸さを表した展示と言えます。司馬遼太郎さんがね、朝鮮半島に行かれた時に、農家を覗いたことがあって、そうしたらその農具の少なさに驚いた・・・というようなことを書き残しています。朝鮮半島を含めた大陸の農業は、それほどの道具を有していなかった。鍬なら鍬だけで農地を耕してきた。ところが日本の農民はすぐに工夫を施してしまう。だから、いろいろな用途に合わせて、道具が千差万別に作成されていた。つまり、この展示はそういった日本の農業のもつ特殊性、優秀性を見せている。歴史を重んずる博物館としては上等の展示、意味深い展示と言っていいでしょう」

 てなことを演説してしまいました。この時から、学芸員のオネーチャンの説明に気合が入ったんですわ(笑)。展示を褒めたこともよかったんでしょう。それに、単なる暇つぶしのジジイだと思っていたのが、ちょっとした博学さを見せたので、「負けてはいられない」と対応を入れ替えたのかもしれません。

 なんにせよ、媚中鍬を見て、司馬さんを思いだし、そこから農具の歴史に想いを馳せるというのも一興ですな。

愛知県の先細り

文藝春秋』に寄稿された大村秀章愛知県知事の《私は河村たかし市長の嘘を許さない》について。

 総字数9000に及ぶ大論文である。原稿用紙22枚余に恨みつらみを書く時間があるとは、知事ってわりと暇なんですね(笑)。

 さて、内容である。全部で9章からなっている。まず「序」ではおおよそ800字を使って「なぜ私が河村氏を許さないか」を書き連ねる。特徴的なのは、800字程度の中に「嘘」という言葉が13回出てくる。「ミスリード」、「偽造」、「捏造」、「事実と異なる」なども含めると18回。さらに「クーデター」が3回、「民主主義の神聖な原則が踏みにじられる」「民主主義をぶち壊す」「度を超えた今回の事態」「政治家としての資格などひと欠けらもない」などの物騒なフレーズが散りばめられている。これでおよそ8分の1。あとは、トランプ氏を攻撃したアーノルド・シュワルツェネッガー氏の言葉の引用で300字。「名古屋市長選で別の人を応援する」で100字。これだけ誹謗が多いと、なんだか恨みつらみだけで書いているようで悲しい。

 要約すれば「河村は嘘つきだ、嘘つきだ、嘘つきだ。トランプと一緒だ。河村は俺様に対してクーデターを仕掛けた。それは民主主義を破壊するものだ。この一連の捏造事件について説明責任を果たせ。おまえなんか政治家としての資質のひと欠けらもない」ということですな。

 ここで見るべきは、自分に対するリコールの「署名偽造の件」と「あいちトリエンナーレ」の事実関係をうまく混同させているところであろう。どっちについても「事実と異なること」で、自分を攻撃しているのだと言っている。ここでごちゃまぜして後半にうまくすり替わるように誘導していますね。

 その上で、「説明責任を果たせ」と強弁する。この「説明責任」という単語も、3か所に出てくるから、大村知事のはらわたは煮えくり返っているのだろう。でも、これってブーメランで自分に返ってくるのではないか。なにしろ、「あいトリ」の中止から再開、その後の皇居でのイベント出席に至るまで、まったく「昭和天皇を扱う作品」や「特攻隊員を貶めるゴミ」に関しての説明責任を知事自身が果たされていないのだから。

 第2章は「署名の大量捏造」と題されて、その件についての事実が羅列されている。昨年の8月下旬から2カ月間、リコール署名活動が行われたこと。署名数は43万余であり住民投票に必要な法定数に届かなかったわけで、普通のリコールであればここで終わりであった。しかし、2月1日に愛知県選挙管理委員会が「勝手に名前を使われた」という指摘によって、全筆を調べた結果、90%の無効署名が確認されたと発表した。さらに2月16日には中日新聞から、「佐賀県内で署名簿の偽造がなされていた」ことがスクープされた。

 流れはこのとおりで、この部分は年表を読んでいるようで判りやすかった。

 でもね、ここにいろいろな疑問が生じてくるのである。

 通常なら法定数に達していない名簿には、それが判明して以降は手を触れない。筆数はカウントするけれども、その数で全てが決まるのだから、43万余なら、もう触ることもなく鍵のある書棚にしまってしまうのが当然だろう。

 かなり前にも愛知県でリコール運動があった。その時は法定数に達しており、各選挙管理委員会は選挙人の名簿と突き合わせるという膨大な作業に追われた。でもね、リコール運動を「是」としない団体、集団からの問い合わせやクレームなどはほとんどなかった。法定数に達していてもそんな雰囲気だったのに、今回のように成立しなかったのだから、普通に考えれば「否定派」にしたら万々歳なわけで、そのまま無視をしていればいい、勝手に相手が自滅していくだけのことなのである。

 ところが今回は、あちこちから声が上がった。前にもここに書いたかもしれないが、左翼系の市議会議員が、前住所まで追跡して、その自治体に照会をかけていたり、知事に非常に近いところの人間が、あちこちの議員に「名前を使われているかもしれないので選管に確認をしてほしい」と依頼をしているような話も聞いている。

 おそらく、県内の自治体選管には11月くらいには、議員も含めいろいろな人からの確認が入っている。これは申請書が選管に残っているから確認するのは簡単だ。

 つまり、愛知県選挙管理委員会が――大村論文の言葉をそのまま使えば――《“驚愕の事実”を公表する》2月1日以前に、特定の人物たちは、署名簿の内容について疑義があることを知っていたことになる。でなければ、普通は不成立となった案件に対して、これほど血道を上げて追及することはないだろう。

 とにかく大村シンパには11月に大号令がかかり、それぞれが管轄の選挙管理委員会に対して確認を行っている。それを受けての2月1日の発表であり、2月16日のスクープと続いていく。

 これを受けて大村知事はこう書いている。《中日新聞のスクープには目を疑いました。》って、どう考えても、11月には知っていましたよね(笑)。

 3章以降は、《食い違う河村氏と高須氏の説明》、《「国会議員年金廃止」の嘘》、《「庶民のための減税」の嘘》、《「名古屋城計画」の障害者差別》と、4章を割いて、「署名偽造」とも「表現の不自由展・その後」とも違う、河村市長への誹謗で選挙妨害まがいのような内容が連ねられている。それを今、この時期に出しますか?仁義を欠いちゃぁいませんか?

 6章の末尾は、「そんな嘘つきだから私は河村氏と袂を分かった」と言っているが、地元で河村市長と大村知事のあれこれを見る限り、嘘つき度は、五分五分、下手をすると四分六分、高須先生のような愛国者から言わせれば、一分九分くらいに見えてしまう。

 7章になり、ようやく《「少女像」炎上で大村追放を画策》と、「あいトリ」の話が出てくるが、ここも捏造というか、あえて触れないというか・・・。

 そもそも、高須先生や河村市長が重きを置いているのが「昭和天皇を扱う作品」や「特攻隊員を貶める作品」のほうなのである。そこはうま~く避けて、「慰安婦像」に特化して逃げようとする姿勢が見て取れる。そこのところの「説明責任」を、まず果たしなさいよ。

 第8章は《第三者委員会で嘘が次々に露見》と題し、河村氏の疑義に対して第三者委員会からの回答を載せているが、その回答が大村知事擁護のための回答で、むろん多くのまともな識者たちが納得できる内容にはなっていない。

 あの「日本学術会議」があれほど「学問の自由」を楯に大騒ぎをしていたのが、いまや、ひっそりと静まり返っているでしょ。あの人たちはある意味で利口なんですよ。

 しかし、相変わらず「表現の自由」を楯に(ほぼ己のプライドの高さゆえに)問題を荒立てている知事がお利口かどうかははなはだ疑問ですな。

 終章は《コロナ下でなされた暴挙》と題されている。名古屋市が「トリエンナーレ」への負担金の三回目を「不払い」にしたことを暴挙と言っている。そしてリコール運動を起こしたことにも、「コロナ対応をしている中で憤りを覚える」としている。

 ううむ、これも履き違えている。コロナ対応はコロナ対応、これは名古屋市も愛知県もしっかりとやっていく。だが「民主主義」の根幹に関わる「首長の暴走」については(あったかなかったはその後の住民投票で決着させればいい)、どんな状況であろうともリコール実施をすべきだと思っている。

 むしろコロナ下であるにも関わらず、名古屋市を訴えたのは知事のほうで、騒ぎを大きくして職員を煩わせているのはどちらか?と言いたい。

 大村知事が、人一倍負けずぎらいだということは有名な話だが、「文藝春秋」の紙面を使ってまで、この時期に河村市長を攻撃するのはいかがなものか。少なくとも2人が手を取り合って愛知県知事選、名古屋市長選に出てきたころは、蜜月であったはずだ。おそらくは河村市長の力がなければ、大村候補は落選していた。

 そういった過去もある。そこには一縷の義があってもいいのではないか。対立はあっていい。しかしいったん事が終わればノーサイドで地域のために力を尽くす、それが賢人というものではないだろうか。

奇怪な厄介な不愉快な展示会はどこまでゆくのかいな

 今朝の朝日新聞「オピニオン」欄。テーマは《リコールと民主主義》で、論者は横浜市でIRがらみで林文子市長のリコール運動を実行した広越由美子氏と成蹊大学教授の武田真一郎氏である。紙面をご覧いただければと思うが、両側に論者の写真が大きくあって、その間に小さく「大村知事」、「署名活動の様子」、「リコール反対の横断幕」、「署名簿」がカットインされている。

 朝日新聞のことだから、また大村知事擁護の展開になるのかと思いきや、両氏は、大きな自治体になるとリコール運動自体がハードルの高いものになることを主張していた。広越氏は横浜での体験から、武田氏は行政法の立場から注文をつける。

《『市政で納得のいかないことがあれば、選挙以外にも、民主主義の制度がある』ことを知ったのは大きいと思います。他人任せではなく、人々が自ら意識をもって動かないことには、政治は動きません。》

 とは、広越氏の意見で、それは至極もっともなことであろう。ただし、この日記でも以前に書いたけれど、評論家の呉智英さんの言う「衆愚政治」に陥ってはいけないと思う。その点は要注意ですな。

 武田氏はまず問題の起こりをこう言っている。

「愛知の問題は一昨年、あいちトリエンナーレ昭和天皇を扱う作品の展示をめぐり、賛否がわきおこったのが発端」

問題の発生を「慰安婦像」ではなく「昭和天皇を扱う展示」にあるとしたところは評価できる。この点は、昨日の日記で取り上げた本の執筆者とは一線を画し、きちんと事象が見えている。吉野川可動堰建設などの成功事例を示し、それでもリコールは困難な道であることを説く。そしてこう結論づける。

《間接民主制としての選挙には欠陥があります。第一に、選挙で争点とならなかった問題について、有権者は次の選挙まで民意を反映できません。第二に、選挙で選ばれた代表が『当選すれば何をしてもいい』とばかりに民意を反映しない政策を行いかねません。リコールや表決などの直接民主制は、これらの欠陥を補うためにある。》

 まさに言われるとおりなのだが、やはり直接民主制というものは、どうしてもその時々の空気に流されがちになる。結局、空疎なワンフレーズに大衆が踊らされることになるだろう。

 ただ、大村知事へのリコールについてこう言っている。

《リコールは、公職に就く者が不適格か無能といった声が上がったとき行うべきものです。しかし愛知のケースは、大村知事の適性や能力の問題ではありません。その意味で、本来のリコールの趣旨からずれていました。》

 ずれてませんけど。そういう問題でリコールをされたものと愛知県民は思ってますけど。

 ついでに、今日発売の『文藝春秋』で大村知事が吠えている。題して《私は河村たかし市長の嘘を許さない》とは(笑)。

 それにしても、名古屋市長選が始まっているこの時期に、こういったモノを出してくるとは、もう仁義なき闘いだのう。全体にわたって河村市長への誹謗中傷なのだが、中でも《「少女像」炎上で大村追放を画策》という章があるのだが、それってまったくあさっての方向だよね。その章で「慰安婦」「平和の少女像」などが問題であるような書き方をしているが、そこは違いますよね。武田教授のように「昭和天皇を扱う作品」が問題だったと正確な事実を出しましょうよ。さらに「特攻隊を貶める作品」があって、「慰安婦像」などの問題などその次の次でんがな。

 まだ「文藝春秋」を買ってきたばかりで、熟読をしていないけれど、なんだか上から目線の楽しそうな文章ですな。

 ちょいと読み込んで分析をばしてみましょうかい(笑)。次回以降にね。

マヌケなのはどっちだ

 昨日の続き。『あいちトリエンナーレ「展示中止」事件』(岩波書店)に目を通してみた。内容はないよう(笑)。

 要すれば、不快な展示に対して中止を求めた人たちに対して、その意見を「検閲」と断じ、《公権力と結託した「人びとのヘイト」が炙り出す内向きで独善的な日本の姿。私たちの社会はほんとうに「自由」と言えるのか》と相も変らぬ自由国家日本であるからほざけるたわ言を繰り返しているだけ。ワシャの経験則からいうと、この手の輩は為政者が習近平ならば何も言わないし。

 前川喜平氏に代表される執筆者たちは、「時代の肖像―絶滅危惧種 idiot JAPONICA 円墳―」と題された彫刻家の中垣克久氏の作品については、作品紹介の中でモノクロの小さな写真と、これまた小さなポイントでの解説があるのみ。それ以外に、238ページの本の中で「時代の肖像 絶滅危惧種 マヌケな日本産植物 円墳」と題された――作品と呼ぶのも嫌なんだけど、シロモノというか物体というか、はっきい言えばゴミの塊について――作品に触れているところはなかった。

 どうでもいい「慰安婦像」のことは、ほとんどの寄稿者が口を極めて語っている。根本的な問題がここにあると言わんばかりに。

しかし、高須クリニックの院長や、まともな歴史観を持っている識者たちが問題としているのはそこではない。ことの本質は「昭和天皇の肖像の焼却」や「マヌケな・・・」と題されたゴミの塊のほうなのである。

本書の中では「昭和天皇」の件についても触れているので、とくに触れていない、どちらかというと前川氏らが敢えて避けている「マヌケな・・・」のことについて書いておく。

このゴミ、外部を蓋う紙片に特攻隊員たちの遺書を使っている。ワシャはとくにこの点がいかがわしく、不愉快なのだが、これについては、ジャーナリストの上島嘉郎氏が的確に言っておられるので、それを写しておきたい。

「けっきょく、特攻隊は『無駄死にだった、犬死にだった、あるいは狂っていた』ということで、戦後受け止めてきたと思うんですよ。特攻隊に関して、その意味を見出そうとする考え方には、それは、戦争を美化するものだ、あるいは特攻隊を美化するものだ』というふうに、すぐに封じられてきたけれども、その~美化するとかしないかではなくて、とにもかくにも」

ここからが重要で心を打つんですが。

「あの時に、命を懸けて祖国を守ろうとした若者がいたという事実は消せないわけですよね。その彼らの思いを虚心に汲むということが、まず大切じゃないのか」

 ということなんです。

 日本という国を守ろうとして命を懸けた。そして死んでいった。それは間違いない。彼らのその気持ちを、彼らが守った後世の日本に住む日本人が、慮らずしてどうするのか、ということに尽きるとワシャも思います。

 特攻隊の若者たちがいたことを、芸術と称するものどもが、取り扱うのはいい。ただし、そこには一定の敬意があってしかるべきではないのか!

 少なくとも、あのゴミのような塊に「マヌケな日本人」などと命名した時点で、敬意の欠片もなく、彼らを使って政治的発言をしたいだけという作者の悪意を感じる。あれを見てそう感じない日本人はごくごく一部でしかない。芸術と称すれば、どんな非礼も許されるというのは、表現の自由をはき違えたものでしかなく、人には他者、とくに非常時に命を賭して国を死守した若者たちがいたことを失念しなければ、こんなマヌケなゴミの塊を「公費」を使って人目に晒すようなことはするまい。

 

 そのことにまったく触れない本は、まったく「あいちトリエンナーレ」の「展示中止」について、客観的なものと言えるものではない。

 

 人間なら、日本人なら、せめてあの若者たちのけな気な勇気に心を添わせようよ。

図書館にあった

 図書館でおもしろい本を見つけた。この場合の「おもしろい」は「面白い」ではなく「興味深い」という観点でそう言っている。いや、「こっけいな」というニュアンスのほうが近いか(笑)。

 タイトルは『あいちトリエンナーレ「展示中止」事件』。岩波書店から出ているので、内容については推して知るべし。

 筆頭編者は「表現の不自由展・その後」実行委員の岡本有佳氏であるから、そちら側の意見本であることは間違いない。「展示中止」を表現の自由への冒涜だと言って憚らない色着きの人、前川喜平氏など札付きの反日の方々のオンパレードで、ある意味すごいラインナップだ。

 作家の北原みのり氏も寄稿しており、題は《日本社会が排除し続けてきた少女たち》となっている。

 この人の文章は端から間違っていて、冒頭に《あいちトリエンナーレ2019の企画展「表現の不自由展・その後」に向けられた主な攻撃の対象は《平和の少女像》だった。》と言っているのだが、これが違っている。

 それよりももっと重大視されていたのは、「昭和天皇の肖像を燃やす映像」と、「先の大戦で国を守るために散っていった兵士たちへの冒涜的展示」だった。もちろん「慰安婦像」も気持ちの悪い展示ではあるが、もう韓国の主張する「従軍慰安婦」なるものは、すでに破綻しており、それを題材に空想小説を書いた吉田清治なる詐話師のバカさ加減は暴露されているし、それに乗っかって日本を貶める誇大なウソを広めた朝日新聞の植村記者は、最高裁判決で捏造記者だということを天下に晒してしまっている。

 韓国内でも、この活動が「被害者利権」であって、事務局と被害者と称する人間が金をめぐって哀れな諍いを繰り返していることは周知の事実だ。

 北原氏は、そういった現実をまったく見ることなく、オーストリッチシンドロームに陥って、土中に向かって訳の分からないことを叫んでいる。

《二○一一年に「少女像」がソウルの日本大使館前に設置されてから、八年。この像を通して、私は日本の底が抜けていく様を何度も目撃してきたように思う。そうかこれ以上、底が熔けることのないように。》

 底が熔けたのは、挺身隊問題対策協議会(現在は「正義連」)などの慰安婦支援団体のほうでしょ。

 問題は韓国側に多々あって、日本側のほうは、最高裁が決定的な判決を出して問題解決されている。もう「韓国売春婦像」がどこにどれだけ立てられても、それは韓国の恥であってそれ以上でも以下でもない。ただ脇の銘板に「朝鮮人女性が20万人、性奴隷として従軍した」というような嘘を書くなよ。

 話が脇に逸れ続けているが、要するに、この「あいトリ問題」の肝はそこじゃぁない。北原みのり氏の論点がまったくズレまくっているので笑える。

 その他の論者についても、ご同様である。さらに突っ込みたいが、朝の短い時間に突っ込みまくるのもなかなか難しい。

 またじっくりと腰をすえて、読み込むことにしよう、時間の無駄だけど(泣)。

 

 ワシャは基本的に本は買うことにしている。しかしこの手の駄本まで買うほど資力は続かない。だからこの手は図書館のお世話になっている。図書館ってホントにありがたい。