帰化する人

 司馬遼太郎がこう絶賛している。
《すくなくとも日本文化という一個の世界からみればあの戦争がなければこの文化はドナルド・キーン氏という天才を所有することができなかったであろうということだけはいえる。》
 司馬さんの言う「あの戦争」というのは「太平洋戦争」のことであり、あの戦争によって、キーンさんが情報士官として太平洋戦線で日本語の通訳官を務めた。そのことがきっかけとなってキーンさんは、日本文学の研究にのめり込んでいく。とくに近松門左衛門松尾芭蕉についていえば世界的な権威といっていい。
《こういう人を、神様は一世紀に何人も生みださないと思うのですが、そういう方が、よりにもよって、当時、世界文学の中でも辺境というべき日本文学を専攻してくださったことは、日本にとっても、近松にとっても、なんとしあわせなことであったでしょう。》
 前段の文章は、司馬さんとキーンさんの対談『日本人と日本文化』(中公新書)はしがきから引いた。15年ほど前に求めた本だが、それでも39版を重ねている。今ははたして何版になっていることやら。
 後段の文は、昭和58年にキーンさんが「第1回山片蟠桃賞」を受賞された時のお祝いの言葉である。これも絶賛でしょ。

 そのキーンさんが日本人になる。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120308-00000485-yom-soci
 これほど日本を愛してくれているアメリカ人はいない。これほど日本を深く理解しているアメリカ人はいないわけで、こういった方の帰化を日本人は大歓迎をするべきだろう。比較するのも失礼だが、バッタモノの国会議員よりはるかに日本の国益にかなう。キーンさんが日本人を選択したことは、我々日本人は誇りにしていい。

 かたや、張景子に代表される支那工作員のような帰化人も多数いるから困ったものだ。

張は「共産党少数民族政策は素晴らしい」と言ってはばからないし、「日本国籍を取得したのは、海外渡航に便利だから」とうそぶく。
どの番組だったか忘れたが、張が日本国籍を有している日本人である点を指摘された。それに対する答えが笑える。
「中国は包容力があるので国籍が変わったからといってその人が中国人でなくなったという考えはしない。華僑は中国国籍の人々のこと、外国籍になると華人と言い、これも中国人。私は華人、日本籍中国人。だから『あなたは日本人でしょ』と言われるとドキっとしてしまう」
 張は、その発言からも解るように、根っからの支那中国人であり、中国共産党シンパなのである。日本文化などこれっぽっちも尊重していないし、日本の国風を利用するばかりで育もうなどという思いはない。しかし、日本国籍を持っており、日本人としての権利をすべて行使できる。これでいいのだろうか。はっきり言って、ワシャは、こんなヤツに日本人になって欲しくない。
 日本国で恩恵を受けて生活をしているなら、日本という風土を、民族を、歴史を愛して欲しい。まぁ日本人の中にも、日本が嫌いで、日の丸が嫌いでしょうがないという田嶋牛陽子がいるし、国会を休んでまで在韓の日本大使館にデモを仕掛ける岡崎トミ子参議院議員もいるから、恥ずかしいのだけれど……。

 一昨日の日記にも少し触れたが、国籍を変えるという話は、「週刊現代」の曽野綾子さんの文章がいい。
 東京山谷、日本の最底辺で貧しい人々と手を取り合って、イエスの言葉を実践しようとしているフランス人修道女がいる。その人たちがもっと深く日本人と寄り添うために日本国籍を取得しようとしたのだが、財産のない彼女たちの帰化は認められなかった。結局、曽野さんが尽力して修道女たちは日本国籍を取得することになるのだが、それに続く文章を引きたい。
《「なぜ、それほどまでにして日本国籍を取得したいのか?」とその理由を訊ねられると、彼女たちは、「同じ国の国民でなければ、その国民と同じ運命を分かち合えないからです」と答えているんですね。》
 1年前に福島第一原発が爆発した。その時、多数の中国人は国外に逃げた。その中には日本国籍を持った支那中国人も多くいたことだろう。しかし、この修道女たちの考え方は違う。
 例えば、として曽野さんは言う。少し要約をする。
ルワンダで大虐殺があったとき、土地の人たちは殺され、外国人はそれぞれの国籍の国家に脱出できた。しかし、それは修道女たちに言わせれば、それはその国を見捨ててしまうことなのだ。修道女たちは自分たちも弱い人たちの側、虐殺される側にいなければ、その国に本当の意味で仕えることはできない。だから、修道女たちは日本国籍を得たかった」
 ことほど左様に「国籍を取得する」ということは重大なことなのである。そして日本は、この「国籍」というものを少々粗末に扱っていないか。
 日本を心から愛するキーンさんのような方、日本に命を捧げようとしているこの修道女のような方は同胞として大歓迎である。私は、キーンさんや彼女たち、あるいは金美麗さんやペマ・ギャルポさんと同じ日本人であることを誇りに思う。
 この国の文化・風土を咀嚼し、それが身につき、この国が好きになってこそ、初めて同胞と呼べるのではないか。

 日本人を超える日本人、鬼怒鳴門さんの誕生を心から喜びたい。