ときおり、歴史は、さしたる器量を持ち合わせていない人物を表舞台に押し出すことがある。
例えば、田中光顕伯爵である。『国史大辞典』(吉川弘文館)で彼の項を見れば、きらびやかな経歴がずらりと並ぶ。明治元年、25歳のときに、兵庫県権判事になっている。要するに兵庫県の警察権、裁判権を握る要職についたわけだ。その後、岩倉使節団に加わり、帰国後、陸軍少将、陸軍省会計局長、元老院議官、警視総監、宮内大臣と進む。天皇の側近として、あるいは宮中政治家として大きな勢力を確立した。65歳の時、伯爵に列せられる。その後、隠然とした力を政界、官界に残したまま、昭和14年まで長命する。享年97歳、大往生である。
この経歴を見れば、田中光顕は、どれほどの賢才かと思うほどだが、実は大した人材ではなかった。そのあたりは、司馬さんの言を引く。
《才質さほどでもなく、維新の志士のなかでは三流に近かったが、一流はほとんど死に、顕助、ただ奇蹟的な長寿を得たために多くの栄誉をうけた。》
時流に乗れば、元気なだけが取り柄の凡夫でも位人臣を極める事例と言っていい。
ここからが本題である。
今、名古屋市議会が喧しい。河村ミャーミャーさんが、産み落とした「減税日本」という鬼っ子から変人が現われた。年長者ということだけで、議長に祭り上げてみれば、豚もおだてりゃ木に登るではないが、本人がその気になっちまった。
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20120315k0000e010202000c.html
ミャーミャー市長のポピュリズムの風を受けて、いろいろな石が飛び出してきたんだね。
石もおとなしくしていればいいのだが、妙なことを妄想しだすとこれがなかなか厄介だ。
通常、どこの市議会も議長は1年で交代する。そうすれば、1期で4人の議長が誕生し、次の選挙で箔がつくというもので、そのあたりは議員同士の慣れあいで、結構、うまくやってきた。その慣習を破って、そのまま議長を続投すると名古屋市議会の現議長が言いだした。
「私自身が続投することが議会改革につながる」
これに対して、ミャーミャーさんはこう語る。
「慣習だけ破ってもあかん。中身がともなった慣習破りでなけりゃいかんぎゃぁ」
中身のない慣習破りを率先してやっている二流半が、三流議長を諌めても、説得力がまったくない。
乱れた時代、乱れたところには、いろいろ妙ちきりんなのが出てくるもので、ときにはそれが市長になったり、議長になったりする。これは歴史の必然と言っていい。