濃厚な週末だった。
土曜日は東京で、ジャーナリストの日垣隆さんのセミナーが開催された。内容については明かせないが、「人生を前向きにアクティブに生きていくためにはどうしたらいいか」というようなことを、6時間にわたって、日垣さんの講義を受けたり、実践的に議論をしたり、懇親をしながら情報交換をしたりと濃密な時間を過ごした。
懇親会の後、仲間が恵比寿に集まると聞いたので、久しぶりに顔が見たかったが、どうしても当日中に愛知に戻らなければならない。後ろ髪をぐんぐんと引っ張られたが、最終の新幹線で帰路についた。
自宅の門をくぐったのは深夜だった。
翌日、日曜日も朝から忙しい。午後、名古屋で「名言塾2012春講義」があった。講師は、在京の評論家たちが一目も二目もおく呉智英さんである。講義は「北村透谷」、透谷の著作『北村透谷選集』(岩波文庫)の中から、「処女の純潔を論ず(富山洞伏姫の一例の観察)」という8ページばかりの論文が選ばれた。
ところが不肖の生徒であるワシャは、日曜日の朝の時点で、「春講義」の告知をしっかり読んでおらず、それどころかテキストすら入手していなかった。だから、日曜日の朝、テキストを求めて周辺の書店を走り回るつもりだった。
運よく1軒目で見つけたからよかったようなものの、冷や汗ものだったわい。『北村透谷選集』を握りしめ帰宅をする。大あわてで支度をして、JRに飛び乗ったのが、午後0時30分、これなら定刻までに教室に入れる。
ところがだ、こういった時に限って電車が遅れるんですね。名古屋駅に到着し、地下鉄を乗り継いで目的の会場にたどり着いた時には、開始時間を5分程過ぎていたのだ。先生、ごめんなさ〜い。
ワシャが着座して間もなく講義が始まった。そもそもテキストを入手したのは午前中である。予習といってもせいぜい課題を出されているところに目を通すくらいしかできない。
それが、先生は、ビシバシと生徒を当てて、「天地愛好すべき者多し、而して尤も愛好すべきは処女の純潔なるかな」などという明治中期の文章を音読させるとともに、その解説まで求められるのである。いやー、生半可な授業ではない。少しずつ区切りながらやるという。8ページばかりといっても5行くらいに分ければ全員当てられる。「こりゃまずい」とワシャは思ったんですな。あわてて簡単そうな数行を訳し始めた。
当てられた生徒はつかえながらも頑張って訳している。ワシャはそんなことに耳を傾けている場合ではない。必死に、電子辞書のキーを叩きながらペンを走らせる。う〜む、簡単なところを選んだつもりが、結構、難しいわい。でも、なんとかたどたどしいが訳し終わったので、腹をくくって手を挙げましたぞ。
音読はよかった。先生の指摘も「孤客(こかく)」を「こきゃく」と読んでしまったところだけで、他はおおむね良好だった。しかし、内容の解説についてはボロボロだった。それでも、さっさとやってしまったのであとは気兼ねなく講義に集中することができた。
でもね、小人の策などというのは浅薄なものでゲスな。先生が生徒に解説を求めたのは2ページばかりで、都合数人の生徒が当てられただけで、あとはその部分の詳細な講義となった。ワシャは8ページも続くと思ったから、勢い込んで手を挙げたのだが、バカ丸出しだった(苦笑)。
久しぶりに緊張感のある授業を受け、大学のゼミや高校時代の授業を思い出していた。それにしてもワシャが高校時代からなんの進歩もしていないことがよくわかった。
さて、その後の呉さんの講義内容である。
呉さんは、1960年代に大きな文化の断絶があると言われた。それ以前と、それ以降では、物事の考え方が180度変わってしまったと……。
ワシャは、歴史が好きである。とくに江戸期については多くの文献を漁ったし、趣味はそもそも歌舞伎鑑賞だったりする。手持ちの資料や書籍は『徳川実紀』や『寛政重修諸家譜』などを始めとして2000冊はくだるまい。
それが、この講義で、根本的な部分が間違っていたことを痛感させられた。江戸、明治、いやいや1960年代以前のことですら、間違った思い込みによって、色眼鏡で覗いていたにすぎなかった。
いやー、目から鱗どころか、鰓蓋が落ちたような思いだった。
鰓蓋の落ちた内容についてはまた触れるけれども、知識を吸収する快感を久しぶりに味わった週末だった。知識を詰め込み過ぎて、少し頭がしびれているが、楽しかった。