コラムニストの勝谷誠彦さんが、朝日新聞夕刊に載った第84回選抜高校野球の選手宣誓を絶賛している。石巻工業高校の阿部翔人主将の全文を引く。
《宣誓。東日本大震災から1年。日本は復興の真っ最中です。被災をされた方々の中には苦しくて、心の整理がつかず、今も当時のことや、亡くなられた方を忘れられず、悲しみに暮れている方がたくさんいます。人は誰でも、答えのない悲しみを受け入れることは苦しくてつらいことです。
しかし日本が一つになり、その苦難を乗り越えることができれば、その先に必ず大きな幸せが待っていると信じています。だからこそ日本中に届けます。感動、勇気、そして笑顔を。見せましょう。日本の底力、絆を。われわれ高校球児ができること。それは全力で戦い抜き、最後まで諦めないことです。今、野球ができることに感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います。》
勝谷さんは、「言葉の素人の少年たちが紡いだすばらしい文章」をほめながら、同じ誌面に掲載されている「窓」というコラムを斬り捨てる。ワシャも読んだけれど、これは酷い。朝日新聞という歪な報道機関が、どこを向いて記事を書いているのかがよくわかるコラムである。そういった意味から言えば秀逸なコラムかもしれない。よくぞこの短い文章の中に、朝日新聞の「腐れ」を満載できたものだ。
書いた論説委員は潮智史という人である。築地の朝日新聞本社に個室を与えられて、1日500字程度の駄文を書けば年収2000万円とは、すばらしいご身分ですな。
さて、内容を見てみよう。
コラムの題は「中止された黙祷」、大筋は、中国のサッカーリーグの開幕戦で、リーグ初の日本人監督の岡田武史さんが3.11に黙祷を捧げたいということで準備をしていた。ところが中国政府からの圧力で中止を余儀なくされた。理由は、河村名古屋市長の「南京発言」だという。潮論説委員は、河村発言を使用済み核燃料と同じだと言い、将来に重いツケを押しつけるなと主張する。文末は「17日に南京市であった第2戦はさらに物々しい警備だった。スポーツとは相いれない寒々とした風景だった。」と締めている。
ちょっと待て。まず、ペンの矛先を向けるのならば、中国政府だろう。一自治体の首長でしかない河村さんの発言を盾にとり、「3.11」に対して国家として哀悼の意を示さないと言っている。論説委員、まず、国家間の儀礼を踏みにじる中国政府を斬るのが先ではないか。
そして、あろうことか、河村発言を、使用済み核燃料にたとえているが、それは中国政府の「南京プロパガンダ」の方だろう。日本から、何かしらの譲歩を引き出すために、歴史的検証をなんら加えずに、半ばねつ造した数字を75年もの間ずっと抱え続けているではないか。
それに文中に、こんな言葉が引かれている。
《「なぜ、そんな発言をするのか、」》
そんな発言とは、河村さんの「発言」のことである。そして続ける。
《「理解できない。次の世代に遺恨を残していいのか」。怒りの背景には、大人の責任として、どんな未来を残すのかという思いがある。》
この発言には、誰が言ったのかということが判らないようにしてある。読みようによっては岡田監督が言ったようにも取れる。万が一、岡田さんが言ったとしても、中国にいるという前提で割り引いて考える必要がある。
もう一度言う。いわゆる「南京事件」というものは、歴史的な検証がされていない不明瞭な部分の多い事件である。極論を言えば、邪馬台国が九州にあったか、近畿にあったか、のほうがよほど検証が進んでいる。
まったく検証をしていない(わざとしていない)不確実なことを一国の政府が世界にむかって喧伝している、それが、中国の主張する「南京事件」の全貌である。
「南京市であった第2戦は寒々とした風景だった」
おいおい、おまえのあっちを向いた思想のほうが寒々としているぜ。潮論説委員、きみはどこの国の人か?