欠けたる月

《望月の円(まど)かなることは、しばらくも住せず、やがて欠けぬ。心止めぬ人は、一夜(ひとよ)のうちにさまで変わる様(さま)も見えるにやあらん。》
徒然草』の第241段の書き出しである。
 午前5時、新聞を取りに玄関を出た。庭が明るい。見上げれば、西の空の高いところに寝待の月が皓皓とかかっている。望月もいいが、欠けたる月もいい。

 さて、冒頭の文章である。意訳をする。
「満月が完全な円の状態であることは短く、すぐに欠けはじめてしまう。気をつけて見ない人には、一夜のうちに、変わっていく様子も見えないことだろう」
 要するに、私たちが「十五夜は月の出から月の入りまで満月だろう」と思っていることは間違いだと指摘している。望月はわずかな間のみで、次の瞬間には欠けはじめていくものだと吉田兼好は言う。
 そんなことを思って、西の空を見上げれば、欠けたる月もなかなか風情があってよいものですなぁ。

 この吉田兼好と対極をなすのが、平安中期に摂関政治の頂点に君臨した藤原道長であろう。
「この世をば我が世とぞ思う望月の 欠けたることも無しと思へば」
 ときたもんだ。どうです、この思い上がりというか、慢心というか、自信というか、鼻持ちのならないオッサンでしょ。我が人生に欠けたるものはない、と言い切っている。なかなか言えるものではありません。この和歌を詠んだのが50を過ぎた頃だった。道長は、それから10年を生きる。しかし、長年の栄耀栄華な暮らしが祟り、晩年は糖尿病やら心臓病やらを患って苦しんだという。
 天下の地をことごとく一族の領とし、絶大な権力を掌握しても、自身の健康だけはどうにもならなかったようだ。

 勢古浩爾『ビジネス書大バカ事典』(三五館)に、石井一男の話が出てくる。石井一男さんというのは画家である。こちらに絵があるのでご覧いただきたい。
http://ishii.mai433.com/
 人づきあいが苦手で、49歳までアルバイトだけで生計を立ててきた。神戸在住で長屋の2階に住んでいる。生活費は月に7〜8万円、酒も煙草も一切やらない。夕食は近所の惣菜屋で閉店間際の値下げ品を100円で買い、100円のパック入りご飯とともに食す。食うための労力以外は絵を描いて過ごすことに費やしてきた。
 たまたまある画商が、彼の作品に目をつけた。個展を開くとたちまち人気が出た。初の個展で100万円の収入があったが、石井さんはそれをもらうことを拒んだという。ここから勢古さんの文章を引く。
《絵を見てもらえるだけで満足だったのかもしれない。それ以上の反応は、おそらく過分なものだったろう。その後、個展は大阪や東京でも開催されるようになり、作品もほとんど完売するという。固定ファンもついた。小さくて静かなブームになっているといっていい。だが、石井一男の生活は以前とまったく変わらない。マンションなどに移るつもりはまったくないという。》
 生活費は今でも7〜8万円というから、売れ残りの惣菜とパックのご飯で夕食を済ませているのだろう。
 石井さんは、名声を得てもなお清貧な生き方を変えない。石井さんにしてみれば、その生き方が気に入っているのだろう。勢古さんは、一人一人の価値観が大切で、その人生が性に合っていれば、誰の人生とも比べる必要はないのではないか、と結んでいる。
 上を見たらきりがない。下を覗けばすぐ底だ。でも、他者と比較せずに、その場所の居心地がよければ、それでいいと思う達観が大切ではないのかと思わされた。

 満月も、満開の花も、満たされたその瞬間には衰えが始まる。吉田兼好は「どこか欠けているほうこそ、真の姿ではないか」と言っている。
 石井さんの生き方は欠けているからこそ格好いい。逆に「欠けていない」と言い切った道長の人生は果たして幸福であっただろうか。晩年の狂ったような寺院の建立を見れば、なにか欠損したものを必死に埋めようともがき苦しむ権力者の姿が浮かんでくる。
 
 欠けたる月を見て、そんなことを思った。