昨日の宴もことのほか詰まらなかった。
「当地(ここ)で第一等の料理屋ださうだが」
そこの百畳の大広間での開催だ。それだけに床の間も立派だ。
「尺を取って見たら二間あつた。右の方に、赤い模様のある瀬戸物の瓶を据えて、其中に松の大きな枝が挿してある。松の枝を挿して何にする気か知らないが、何ヶ月立つても散る気遣いがないから、銭が懸らなくつて、よからう」
隣に座っていた男に「あの瀬戸物はどこで出来るんだ」と尋ねると「あれは瀬戸物ぢやありません、伊万里です」と答えた。
「おれは江戸っ子だから、陶器の事を瀬戸物というのかと思っていた」
そんな大きな床の間のある部屋で80人の大宴会が始まったんですよ。なんだかのっけから面倒くさい描写で書き始めましたが、上記の「 」の中は夏目漱石の『坊っちゃん』からの引用でした。だから旧仮名遣いになっております。
『坊っちゃん』の後半に、うらなり先生の送別会を松山で一番の料理屋の花晨亭(かしんてい)で開くんですが、その宴会がまさに昨日の宴会そのものだったので、引かせていただきました。
坊っちゃんとは違って、ワシャは陶芸をやっていたので、瀬戸物と伊万里の差は判りますけどね(笑)。
花晨亭では「幹事が立って、一言開会の辞を述べる。夫から狸が立つ、赤シャツが起つ。悉く送別の辞を述べたが、三人共申しあわせた様にうらなり君の、良教師で好人物な事を吹聴して、今回去られるのは洵(まこと)に残念である、学校としてのみならず、個人として大いに惜しむ所であるが、御一身上の御都合で、切に転任を御希望になつたのだから致し方がないと云ふ意味を述べた」てな感じで進むんでヤンスがね。
こっちの凸凹亭では、さらに多い6人が、有り難~い祝辞をお述べあそばされた。ワシャは退屈なんで鼻毛を抜いていたら、すっかりつるつるになってしまったわい。
なにしろ、こういうお仕着せの宴席が、坊っちゃんと一緒で極めて苦手だ。上辺だけの美辞麗句、お決まりの社交辞令は、なにしろ不愉快である。
それに第一等の料亭料理も、オレが頼んだわけでもねえのに、「さあ食え」とばかりに次から次へと膳に並べられるのが、でえっ嫌いだ。夕べも刺身、焼き物、鍋、牡蠣フライ、酢の物、香の物、茶碗蒸し、蕎麦、締めのいくら茶漬などなど十何皿が並んでいたが、喰ったのは刺身二切れと貝の佃煮くらいで、あとはきれいに膳の上に残しておいた。
わがままかも知れないが、ワシャはその時に自分が食いたいものを食う!そういう主義だから、こういった宴席が嫌で仕方がない。
安酒場で、食いたいアテを頼んで、気のおけない仲間とさしつさされつってえのがいいじゃあ~りませんか。
まぁ建前の世界に居残った自分が悪いんでヤンスがね(自嘲)。