今日はワシャにとっては個人的な祝日。梅雨の合間だというのに、朝から晴れて、いやぁめでたい。早朝、封書をしたためて、それを午後からでも祝い先に届けようかと思っている。善哉善哉。
夕べは定例の読書会。
その前日の日曜日が消防団の操法大会だった。そこで地元の消防団が頑張った。その祝賀会があって、ちょいと飲み過ぎてしまったんですわ。
二日酔いでも昨日は凸凹商事に出かけて用足しを2つ済ませ、夕方からは読書会の会場へ向かう。しかしまだ頭痛がしている。美味い日本酒があったので、そいつをぐいぐいやっていたからなぁ(笑)。
それでもね、読書会のメンバーの顔を見れば頭痛もなんのその。臨戦態勢に入りましたぞ。
課題図書は、橋下雅之『日本神話を読みなおす』(講談社現代新書)である。この本、メンバーのパセリくんは5月中に早々の完読で「大学生の教科書の様でした」との感想を上げていた。
ワシャはその時点で1行も読んでいなかったので、あわてて読んだんです。ワシャはそもそも古事記、日本書紀、風土記などが好きで、というか、日本の古代史に興味を持っているので、楽しみにページを開いたのであった。ところが「まえがき」の1ページ目でガツンときた。そこを引きたい。
《昭和三十二年(一九五七年)生まれの私が高校で古典を学んだ頃は、『古事記』や『日本書紀』の神話を読むことはタブーとまでは言わないにしても、なかなか勇気のいることであった。》
おいお~い、ワシャは著者よりもう少し若いが、それでも同世代と言っていい。ワシャの古文の先生は「『古事記』を読め」としきりに勧めてくれたぞ。著者の学校は日教組にやられていたんじゃないのか?
ワシャの父親は教師だったが、彼の本棚には『古事記』も『日本書紀』も並んでいたし、少なくともワシャの周囲の健全な市民たちは神話を読むのが「タブーに近いもの」なんて考えもしていなかったよ。
この発言で、著者に対しての「疑問」がワシャの中に芽生えてしまった。そうなるとひねくれ者のワシャの読み方は徹底していく。ワシャは本に線を引きながら、あるいは書き込みをしながら読み進める。同意をするところは一本線、感動すると二本線、「言っていることが変じゃね?」と思うと波線を引く。「まえがき」5ページに波線が、前述の引用文も含め15本も引かれている。こりゃダメだ。書き込みも5か所。まだ「まえがき」なんですよ。こんな状態で読み始める本も珍しい(笑)。
言い訳になってしまうが、本編に入る前に力が抜けてしまったことは否めません。
でも、あまり読書が得意でないメンバーもしっかりと読んできたようだ。
「大学の講義を読んでいるようだった」と言いながら、女性神が登場するところを独特の指摘をして会を沸かせてくれた。
パセリ君がこう指摘している。
「著者が大学の先生なので、本の対象を20代の学生に向けているのではないか?」
うむ、確かに。文中に引用されている140もの著者と著作、ワシャはこの数が異様だと思っていたが、これを参考文献検索ツールと考えれば合点がいく。『古事記』の「天の岩戸」を掘り下げたかったら、この先生のこの本を読めばいいということが判るようになっている。そういう使い方もあるんだと目から鱗なのであった。
読書会の後は、いつもどおり居酒屋反省会。ワシャは前日に記憶をなくすくらい飲んでいるので「大丈夫かなぁ」と懸念をしていたが、読書会のメンバーと飲むと、また酒が進むのでありました(笑)。ジャンケンで取り合う寿司ネタも美味しゅうございました。めでたしめでたし。