ワシャは司馬遼太郎のことを尊敬している。それはこの日記からにじみ出ているでしょ(笑)。
先般、ある席で、司馬遼太郎の文章を引用して話をしたところ、同席していた読書家に鼻で笑われてしまった。「司馬遼太郎の創作を資料として考えいるの?」という疑問だったのだろう。
ワシャは、司馬遼太郎を作家とは考えていない。ある意味で憂国の士だと思っている。おそらく思想家としても後世に名を残していく人だと確信している。「司馬史観」という独特の視点を示し、歴史の中から「日本人とはこうあるべきでは?」と、ワシャらに優しく諭し、問いかけてくれた。
ワシャは日教組全盛の時代に小中高の学生生活を送った。ワシャの父親が教師だったことは以前にも触れたが、だから自宅には日教組なる団体からいろいろな文書が送られてきたものだ。父親は保守的な考え方を持っていた人物で、風呂では軍歌を好んで歌うような、日教組からは好まれない教師だった。でも、いろいろな日教組の文章が届いていた。これらの文章が下手糞で読みづらい文の羅列だった。「教員って頭が悪いんだ」という印象をワシャに強く与えてしまった。
だって、アジびらの横に置いてあったのが司馬さんの『竜馬がゆく』だったり『坂の上の雲』だったんですよ。読みやすさということで言えば「雲」と「泥」の差でしたね。
だから中学校の時には、端からバカにしているので教師に反発した。1年の担任の女性教師からは、何度も「精神分裂症!」などと言われて、手に持った生徒名簿で叩かれましたし、2年の時の男の教師は親を呼び出して、「態度が悪すぎる」と厳しい指導をされたものですわ。成績は良かったんですが、日教組系の教師に対する態度が悪かったので、内申点はボロボロでした(笑)。
高校でも、日教組の英語教師にさんざんイジメられました。
最初の授業でワシャが最初に当てられたんですわ。英語教師わしゃにこう言ったんです。
「ミスターワルシャワ~、リードユアテキストブック」
気障な教師だった。「では混ぜっ返してやれ」と思ったのがいけなかった。立ち上がって「ワタシ、エイゴ、ヨクワカリマセ~ン」と、両手で外人みたいに「お手上げポーズ」をつくったら、受けた受けた!クラス中が大爆笑だった。しかし英語教師は大きな目をさらに広げ「シッダーン!」と声を荒げた。ワシャは「ああそうすか」と会釈をして席に座ったのである。
これが原因で3年間、気障な出目金にいろいろ陰険な仕打ちを受けたのであった。中学校の時は英語は得意科目だったんですよ。だけど、高校では出目金のチェックが厳しく、ちょっとした書き方の差で答案は✖ばっかり。3年間、英語のまともな指導を受られなかったので、東京大学への進学は諦めた(笑)。
でもね、ワシャの傍らには司馬遼太郎が付いていてくれたので、教師からの圧力など屁でもありませんでした。
高校3年のときだった。比較的穏健な日教組の体育教師がワシャにすりっよってきた。
「ワルシャワ、あんまり出目金に対抗するんじゃない。おまえの内申に響くぞ」
あ、先生たちも「出目金」って言うんだ(笑)。
「いいですよ、ワシャは最初っからあの人に嫌われていますから」
「今度の土日で〇〇会(日教組系の教師の会)主催のキャンプがあるんだが、女の子もたくさん参加するから、おまえも顔を出してみろよ。そうしたら出目金も見直してくれるぞ」
要は、日教組系の左翼グループ教師が、学生たちを洗脳しオルグ化を進めるキャンプだった。ワシャは「女の子もたくさんいるよ」に釣られてしまった(笑)。
キャンプはおもしろかった。ワシャの班は、別の高校の1年生が班長だった。どうやらそいつの両親が共産党系だったらしい。そいつが最初から思想的なことも含めて偉そうに班員に指図をしやあがる。無駄な動きを強いることもあったので、鬱陶しいんでノッケに波動砲をお見舞いしておいた。それから班長の大人しいこと。それでも随行している日教組の教師に告げ口はしたみたいで、夜、バンガローでのミーティングの時に、ワシャに説教しやあがった。でもね、こちとら夕食後でもう出来上がっていたんで、教師と真っ向からやり合って、左傾教師をバンガローから追い出してしまった。
その後、ワシャが告げ口をした班長に説教をしたのであった。あ~楽しいサヨクキャンプだった。
その他にも武道の道場にも通っていたんだが、そこの先輩から国鉄の作業場の一室に呼び出されて、10人くらいの活動家に囲まれてオルグされそうになった。でも、「司馬史観」でコーティングされていたワシャは奴らのたわ言には洗脳されなかったのでした。
司馬先生、ありがとうございました。当時はまだご存命だったので、東大阪まで会いに行けばよかったなぁ。