平民宰相と現代の政治貴族

 今朝の「天声人語」である。大正時代、平民宰相と言われた原敬と比較しながら、岸田首相の批判を展開している。「笑点」で言うなら林家三平程度の力量しかない「天声人語」の内容には字数がもったいないので触れない。それにしても、批判のためとはいえ、原敬と比べるかねぇ(笑)。

 原敬、我が国で最初に本格的内閣を組閣し、卓越した政治感覚で、日本を国際連盟常任理事国にした総理大臣である。出身は盛岡で、要するに戊辰戦争の朝敵、賊軍側で、薩長であればバカでもなんでも高級官僚に抜擢され、政治家になっていく時代に、藩校に通い、カトリックの神学校に入学し、明治9年に司法省法学校に2番の成績で合格した。ところが学校の方針に異を唱えたために放校処分を受けている。その後、新聞社に入ったが、大隈重信らが新聞社を牛耳るかたちになり、大隈らとそりの合わない原は退社をしている。

 明治15年、26歳にしてようやく外務省の役人になって、支那の天津領事に任命され海を渡った。その後、日清戦争日露戦争と日本の外交の最前線に身を置き、明治30年には大阪毎日新聞の社長に就任する。

明治33年に伊藤博文立憲政友会を立ち上げると、これに参加し政治家の道を歩んでいくことになる。

 かたや岸田文雄。祖父、父、自分と3代にわたる議員、さらに伯母は宮沢総理の弟に嫁ぐという世襲バリバリ一族。文雄は東大を3回受験するも不合格、仕方がないので4度目はコネでも入れる早稲田大学に進む。その後、通産官僚でもあった父親のコネで民間企業に就職。でも、お客様待遇で5年を過ごしただけで、衆議院議員になっていた父親の秘書のほうが楽なのでそっちに転職し、父親の死去にともない衆議院議員となる。

 激動の原敬とは比べるべくもない生っちょろい経歴ですよね。生っちょろいのが、また息子に世襲をしようと目論んでいるが、これが首相官邸でいろいろやらかしたお坊ちゃんですわ。

 さて、岸田首相の伯母様の義理の兄は宮沢喜一であり、従兄が宮沢洋一衆議院議員である。この人も祖父まで議員という世襲一族。あ、でもこの人は東大卒ですけどね。

 こんな一統の中でぬくぬくとお育ちあそばされたキッシ―と、東北の山の中から刻苦勉励して首相まで登りつめた原敬を並べるのはいかがなものか。

 そうそう、ここからが言いたかったことなんだけど、ご一統さんで宏池会の先輩である宮沢喜一について、司馬遼太郎さんが「あの人はなにもせん人だなぁ」と周囲にこぼしていたという。これは、元「週刊朝日」の編集長が書いていた話なんだけど、白洲正子さんがこう評していたという。

「この人は頭だけの人じゃないか」

「お勉強のできた人っていうのは、自分の身を安全地帯に置いておいて、それであれこれ言うでしょ。私は卑怯だと思うのよ」

 白洲さんが今いれば「この人は頭も悪い上に、自分の身を安全地帯に置いておいて、それであれこれ言うでしょ。私は卑怯だと思うのよ」と言われたに違いない。

天声人語」の言うように「民意を考察すべし」などということは考えなくてもよろしい。さっさと退陣して、できれば岸田一統は政治から去ったほうがいいと思う。

 首相官邸でバカをやった息子ちゃんも、どこぞの市会議員からやらせたほうが本人のためになると思いますぞ。

 そういえば昨今の世襲政治って、薩長であればバカでもタワケでも高級官僚に抜擢され、政治家になっていくあの頃の時代と似ていませんか?