岸田ビジョン

 いやはや、惜しいことをした。

《加藤鮎子こども相、蓮舫氏の質問&追及に答弁できず官僚が手助け「大臣も歳出改革の中身も不安」》

https://news.yahoo.co.jp/articles/ee52afe68f6afe1e37db6029e79731c2b29a0e44

 立憲民主党蓮舫議員が、加藤こどもちゃんに厳しい質問を投げたんだとさ。これにこどもちゃん答弁に窮し官僚のサポートを何度も受け、蓮舫議員に「大丈夫?」と皮肉られてしまった。世襲議員でお嬢様議員、ちゃんとお勉強しているのかニャ?

 ワシャは立憲民主党はまったく信用していないし、その幹部である蓮舫議員についても箸にも棒にもかからないと思っているが、フニャチン岸田が大抜擢した加藤こどもちゃんに斬りこんでゆく蓮舫議員に期待してしまうのはなんだろう?それほどまでに岸田人事が不甲斐なく、加藤こどもちゃんが無能ということなのだろう。

 バリバリの保守のワシャがそう思うくらいだから、無党派層はもちろん、今まで自民を支えてきた健全な保守層さえひっくり返るんだろうね。 

 この状況で、次の選挙を岸田で戦うのは不可能になった。どうする自民党

 

 今、ワシャの手元に1冊の本がある。聞いて驚くな。なななんと、岸田文雄『岸田ビジョン 分断から協調へ』(講談社+α新書)をパソコンの左側に置いている。令和3年10月に上梓されたもので、いつ買ったんだろう?いつの間にかワシャの書棚の政治コーナーに挿してあった(笑)。

 内容は、「ビジョン」と謳(うた)っているわりには、政策よりも思い出話のほうが多い。安倍晋三さんの『美しい国へ』、菅義偉さんの『政治家の覚悟』などは、今から何をやりたいのかについて多くのページを割いている。このあたりにも岸田首相のうすら甘さを感じてしまう。ただ岸田家の歴史を知るにはいい本だ。ただし日本の国政にはまったく役に立たないけどね(笑)。

 まず、岸田文雄という人が徹底的にお坊ちゃんであることが分かった。通産官僚である父に従って、少年時代にニューヨークで3年ほど過ごしている。永田町小学校、麹町中学校、そして開成高校へと進学する。おいお~い、広島にはちーっとも住んどらんじゃけーのぉ。そして開成から東大を目指し、3度受け3度とも門前払いとなる。

 2度目の失敗の時のことをこう書いている。

《「まあ、次は大丈夫」という思い込みのままでサイドの挑戦も失敗。「あれれ、洋一さん(宮沢洋一税調会長)もそんなに勉強せずに東大入ったのにな」大蔵省に入省し、仮眠のようにわずかな睡眠時間でバリバリ働く七歳年上の従兄弟を思い浮かべ、自分の資質に疑問を持ったことはありました。》

 ここですね、岸田首相の弱いところは、疑問を持つだけではなく判断しないと、「これは無理だな」と思えば、違う道を選ぶこともできる。しかし、彼のフニャチン(優柔不断)さは受験の時代から出来上がっていたのである。

 本を読み込むと、そのあたりが見えてきて、岸田首相、あちこちで父親のことを書いている。文中に父への感謝の言葉もあり、彼が父親を尊敬していることがよく理解できる。

 でもね、あまりにそれを打ち出し過ぎるとよくない。そりゃ父親は、命をくれて、育んでくれた大恩人だ。そんなことは筆を極めなくとも読者に伝わってくる。しかし、「たくさんの教訓を得ることができた」、「秘書として仕えられてよかった」、「卓越した識見をもっていた」、「父が残した功績には遠く及ばない」とか、ちょっとオーバーに過ぎるような気がする。

 この本が出版された令和2年時点で、宏池会会長、政調会長を務め、外務大臣としては戦後最長を記録している。それに比べ、お父上は、若くして亡くなられ総務政務次官までしか昇らなかった。どう比較しても、息子のほうが上をいっている。もちろん父として尊敬するのは息子として当たり前だ。しかし、それを人に見せてはいけない。心で思っていればいいのだ。しかし岸田首相はそういうことができない。

「父さんを尊敬しているから尊敬しているって書いてはいけないの?」

 子供じゃねぇんだから(笑)。

 今日も長くなっているが、最後にもうひとつだけ。

『岸田ビジョン』の巻末第六章が笑える。題して「闘う宏池会」だ。

 ここも、岸田ビジョンではなく、宏池会の歴史を縷々書いてあるだけで、おおよそはお公家集団のフニャフニャした経緯なので割愛するが、《「永田町のプリンス」加藤紘一氏》という項がおもしろかったなぁ。

 内容は「加藤の乱」の一部始終なんだけど、岸田首相は加藤氏を好意的に捉えて書いているが、どう読んでも世襲議員の甘さ、決断力のなさ、大局を把握できない俯瞰力のなさなどが、岸田首相の筆からにじみまくっている。

そして加藤氏の行動に何も言えなかった若手の岸田議員に、そのまま反射しているのである。「ああ、加藤紘一氏のDNAを継ぐ岸田首相には客観的な判断はなにもできない」と思わせるのに十分な思い出の一冊であった。

 

 さて、まともな闘いができない首相が選んだ、まともな闘いができなかった人物のお嬢様が、委員会の論戦で、まともな闘いができないのも当然だろう。

 いくらお嬢様とはいえ日本国の大臣である。こんなことで国際舞台に立ってまともな闘いができると思っているとしたら終わっている。誰が選んだんだ?