雑誌「フリースタイル」
のホームページである。ちょっと下の左に62号があるでしょ。これをネットで注文しました。
この雑誌に呉智英さんの緊急寄稿《呉智英「天才の闇に棲むもの──追悼・楳図かずお」》が掲載されている。これを読むと楳図マンガの本質が見えてくると先生は言われた。あ~楽しみ~。この本を確認してから呉先生の「楳図論」について触れたいと思います。
その時に、先生は「東亜同文書院」にも触れた。残念ながら阿呆なワシャには「ピーン」とこなかったが、先生の話から、上海にあった専門学校で、昭和14年に大学に昇格し、終戦とともに閉校となり、その一部が愛知大学に継承されたことが解った。だから愛知大学が支那語の辞典を発刊したりしているんだね。
愛知大学を親中大学とばかり思っていたが、元々の歴史をたどれば大東亜の思想に根付く建学精神があったわけだ。ちょっと見直しましたぞ。
その話の延長で「東亜同文書院大学」卒が当時は旧帝大卒よりも幅を利かせていた話とかで盛り上がった。
最終盤で、また「呉塾の開催を」と申し上げたんだけれど、「いやぁ記憶力が衰えてきてね~」と、はぐらかされてしまった。諦めませんけどね(笑)。
昨日の話をしたい。昨日は定例の読書会だった。課題図書は、斎藤茂吉『万葉秀歌』(岩波新書)。なにしろ1200年前の「万葉集」ですから、これはメンバーから評判が悪いと思いきや、皆さん、しっかりと読みこんできて、踏み込んだ議論ができました。
「万葉集」の時代のトップは「雄略天皇である」と主張するメンバーがいて、確かに「万葉集」の開巻冒頭の歌が雄略帝であることは間違いない。ただ、第二の巻の冒頭に磐姫皇后(いわのひめのおおきさき)の歌が載っており、このかたは仁徳天皇の后であるので、雄略帝よりも5代前となる。「時代的には磐姫皇后のほうが古いですよね」と軽く指摘をしておく。
メンバーのひとりが巻五の山上憶良の歌「銀も金も玉もなにせむにまされる宝子に如かめやも」が「浄土宗の経文と共通するところがある」と言う。そして彼は経文を諳んじた。
ううむ、彼は日々その経文を仏前で唱えているのだな・・・そう思ったらちょいと涙ぐんでしまった。
ワシャが大好きな歌は、作者が絶世の美女であり、天智、天武の両帝より愛された額田王(ぬかたのおおきみ)のこの一首である。
「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」
茂吉の解説を引く。
《お慕わしいあなたが紫草の群生する蒲生のこの御料地をあちらこちらとお歩きになって、私にお袖を振り遊ばすのを、野の番人から見られはしないでしょうか。それが不安でございます。》
この歌を読むと、かわいい女性の想いが1200年の時を超えて伝わってきます。こういった古典を持っているこの国が私はとても好ましく、この歴史・文化・伝統をたれにも、どこの国にも壊されたくないと思う次第でございます。
さあ次は楳図かずおだ。
その前に手の手術。うえ~ん(泣)。