ワシャは昭和21年生まれの先輩に強く影響を受けている。年齢的に言えば、一回りも上なのだが、同じ戌年ということもあって、相性がいいのかもしれない。
お一人は、評論家の呉智英さんである。1990年代に入って間もなくの頃だったと記憶しているが、凸凹商事で企画部門に配属された。それまで現場の部署を走り回っていて、読書もままならなかったので、「企画部門」だから本でも読もうということで、小林よしのり『コーマにズム宣言』(扶桑社)などを買ってきて、仕事が終わってから読んだりしていた。その中に思想家として紹介されていたのが、呉智英さんであった。
実は、『ゴーマニズム宣言』で呉さんが紹介される前から「呉智英」という名前は知っていた。1980年代の末に書店で「呉智英」という名前を見て、支那人のような特殊な名前だったので、記憶に残ったのですわ。さらに本のタイトルが『バカにつける薬』というバカなワシャにピッタリだったので、早速購入したのでした。
しかし、営業部門の最先端にいたこともあって、日中は事務処理、夜は交渉と宴会で、家に帰るのはいつも日付が替わってから・・・という状態だったので、読書に時間はなかなか割けなかった。
で、企画部門に異動になって、それこそ席で本を読んでいても大丈夫な雰囲気のポジションだったので(とはいえマンガはだめね)、その頃から再び本を開くようになった。
そこで呉智英だった。なにしろおもしろい。指摘が的確で辛辣だ。膨大な量の知識に裏付けられた発言は説得力があった。根拠のないことを、駄洒落で誤魔化して、当たり障りのないことをさも大事のように吹聴する佐高信とはえらい違いだった。
それからは呉さんの本を片っ端から読んでいく。呉さんの講演会にも顔を出し、「論語」の連続講座にも参加させてもらった。
今の思想的なものはほとんど呉さんから吸収したものであり、ワシャが大陸のことを支那と呼ぶのも、北のスラブの国をロシヤと呼ぶのも、呉さんの影響である。呉さんとの御縁御恩を書き出すとえらい量になってしまうのでここらで止めておきますね。
もう一人、21年生まれでワシャの人格形成に大きな影響を与えた人がいる。その人は一般人なので名前を伏せるが、凸凹商事の名物部長だった人で、とにかく「豪快」の一言に尽きる上司だった。
その人のことは、この日記にもちょこちょこ書いているけれど、気風のいい人だった。ギャンブルが好きで、女性が好きで、わいわいと酒を飲むのが大好きだった。仕事が終わると必ず誰かと飲みに行っていた。
その人の直属に配置された時、何人もの先輩が「あいつとはまともにつき合うな、適当に距離を置いて異動するまで我慢しろ」と忠告をしてくれた。
でも、天邪鬼な性格のワルシャワは、人の意見に左右されることがないので、自分の眼で確かめてみたら、けっこうまともな人で、というか、助言をくれた先輩たちよりもさらに信頼のおける「漢」だった。約束は守る、嘘はつかない、適当に誤魔化さない、金払いはいい、これだけそろっていれば多少乱暴者でも、声がでかくても、いつも同じ作業服でも、まったく問題はなかった。
夕方になるとその人から声がかかる。
「おい、ワルシャワ、交渉にいくからついてこい」
そうすると書類を抱えて追っかけていくんですわ。得意先を何件かまわって、午後8時を過ぎると「腹減ったな、飯でも食うか?」ということで居酒屋に行く、そんな日々が4年くらい続いたかなぁ。
他社の幹部も、官公庁の偉いさんたちも、この人と飲むと、なぜかこの人のことを好きになってしまうのである。実に人間的な魅力に富んだ人だった。
おそらくタイプ的には呉さんの対極にいるような人だが、この双方がワシャにとっては大切な人生の師なんですね。