一面だけを見て物事を理解したつもりになるな!

 今朝の朝日新聞「声」に77歳の男性からの投稿があった。題して「白鵬こそ品格ある最強横綱」である。論旨は「白鵬の使うかち上げや張り手は横綱相撲ではないという批判は間違いで、相撲は格闘技だから勝つことが最優先。一番一番どんな手を使っても勝ちにいく白鵬こそ横綱の品格をもった力士である」というもの。白鵬絶賛と言っていい。

 でも違うね。相撲を「格闘技」と言い切ってしまうこの人の認識がそもそも間違っている。確かに格闘技の側面を一部持ってはいる。しかしそれはごくごく僅かと思ってもらっていい。

 まず、大相撲は「神事」なのである。そして「伝統文化」であり「国技」であり「興行」であり「格闘するスポーツ」でもある。

 これら相反する要素を持つもので、それらが微妙なバランスの上に成り立っているものが大相撲と言っていい。

 白鵬はとにかく「勝ち」にこだわった。彼が単なる格闘家ならそれでいい。どんな手を使ってもヒグマに勝てば観客は喜ぶ。しかし格闘家である反面、神事を司る依代であり、伝統文化を継承する主宰であり、国技を守る第一人者でもある。

「勝てば文句はないだろう」は、まさに白鵬の言い分だが、残念ながら相撲の「伝統文化」にはきわめて高い精神性を求めるところがあり、これを実践しない限りどれほど勝ち続けようが、横綱として評価はされない。暴行事件を起こして角界を追われた不良力士と同じレベルなのである。

 投稿者は白鵬の成した記録を「最強横綱」と高く評価しているが、それは単に「格闘技」の面だけのことであり、神事、国技、伝統文化においては「カス横綱」でしかない。

 相撲の国際親善大会の「白鵬杯」を10年主宰したことも「特筆に値する」と絶賛しているが、これも違う。「白鵬」など自分の名を冠してはいけないのだ。自分の名前にしたために「公」ではなく「私」になってしまう。それをモンゴルでやるならまだしも国際大会にしてしまうことが、この横綱の品のなさを如実に物語っている。

白鵬こそもっとも品格のない最低横綱」である。

 

 他にもつまらぬ投稿が並び、突っ込みを入れたいところだが、突っ込みだすと時間がいくらあっても足りない。まぁ朝日新聞の読者だから仕方がない。寛恕しておこう。