横綱、オリンピックにゆく

 そもそもワシャはこの劣悪横綱が嫌いなのだが、それでもこれはやっちゃぁいけないでしょ。

白鵬の五輪観戦にあきれ果て苦言 芝田山親方「ルール破りの常習」「だめでしょ」》

https://news.yahoo.co.jp/articles/504af0b7f47acfe685ac0cc6d84cbd1b84d9e83f

 とくに横綱という地位にあるものが、どんな理由があっても国民を入場させない会場に、のこのことでかい面を下げて、すみっちょから覗くくらいならまだしも、金メダリストとのツーショットを撮って喜んでいてはいけない。芝田山親方の言うとおりで「政府からの要請」ならばいいだろうが、単純に「私用」で行っている。

 おまえは何様だ!

 これは場所中にキャバクラに行った朝乃山に匹敵するくらいの乱行で、朝乃山はこのために大関から陥落し、おそらく幕下まで番付を下げるだろう。横綱には番付の陥落はない。つまりこれほどのわがままをやった以上「引退」の二文字しか残されていないのだ。

 下位の者に範を示すことのできない不良横綱はさっさと辞めてくれ。

 

 今日の朝日新聞「声」の欄。2人の70歳の男性が「この横綱」についての投稿をしている。

 Aさんのほうは、まったくワシャと意見を同じくする。白鵬の出す「かちあげ」に異議をとなえる。立ち合い時に白鵬の繰り出す「かちあげ」は「かちあげ」ではなく「肘打ち」であり、これが顔面にヒットすれば大けがをする危険な技である。A氏は豪栄道が顔面骨折をした白鵬の危険行為をルール改正して禁止せよと言っている。ワシャはそこまでしなくとも、オリンピック観戦の責任をとって白鵬が辞めればこと足りると思っている。

 もう一人のGさんは「色々な横綱がいていいと思う」と言う。危険な肘打ちも「長い相撲人生で習得してきた技の一つと思う」と弁護する。14日目の正代戦で土俵際まで下がった異様な仕切りについても「伝統的な取り口にとらわれない柔軟な白鵬ならではの奇策」と言って憚らない。これらが「人生の手本を示してくれたかのように見えた」んだとさ。

 どんな手を使ってでも「勝てばいい」という姿勢が「人生の手本」になるとしたら、これはまったく人生を履き違えている。

 

 競泳女子400メートルリレーの池江璃花子さんである。彼女のオリンピックは8位で終わった。人生を白鵬から学ぶジイサンには絶対に解らないが、池江さんの生き様からは「人生の手本」が山ほど顕れている。彼女は勝者ではない。しかし、白鵬の何回目だか忘れた優勝など足元にも及ばない8位だった。

 このことの大切さに気が付かないジイサンは、奇妙奇天烈な白鵬の所作・相撲に喜んでいればいい。

 このジイサンが言う「勝負にこだわる横綱、品格を重んじる横綱、いろいろな横綱がいていいと思う」は明らかに間違っている。

 大相撲はプロレスとは違うのだ。どんな手を使っても勝てばいいというものでもない。基本にあるのは神事であり、このためにこだわるのは「品格」なのである。これを最大限に重視し、その上で勝負にこだわる。奇天烈な手段を弄さなければ勝てないというのならば潔く引退する、これが横綱の使命である。