ワシャのブログは名前を「遼東の豕」としている。これは有名な支那の故事から引いていると思ったら間違いだ。後漢書では「遼東に珍しい白頭の豚も、その他の地域では珍しくもない」という意味で、世間ではありふれたことを自分一人が得意になることの喩えとして使われる。もちろんそういった意味も噛み締めてはいる。しかし大意は「東大阪におられる司馬『遼』太郎さんの『東』に住む『豕』程度の男」ということで「遼東の豕」と付けた。
そんなブログ名にまつわる経緯などどうでもよかった。今日の朝日新聞である。12面、13面見開きの大特集があった。題して《司馬遼太郎 時空を旅した「街道」》。もちろん朝刊でそれを見つけ、それこそ朝食そっちのけで貪るように読みましたぞ。
そして泣いた。
ワシャの書棚には500冊ほどの司馬さん本、司馬さん関連本が並んでいる。それとは別に寝室にも100冊、トイレ・洗面所にも50冊くらいは置いてある。基本的にはどういう状況でも司馬さんの本にアクセスできるようにしてあるんですね。
評論家の勢古浩爾さんが「全43巻を読み終わったあとしばらくは、『街道をゆく』を読み終えた空気から離れる気分になれなかった」と言っている。
ワシャなんか、司馬遼太郎を読み終わったあと、ずっと司馬遼太郎の空気から離れられない。それこそ何十年というレベルで司馬遼太郎の世界を彷徨っている。
記事を引く。
《考古学や言語学や民俗学、絵画や彫刻、落語、宗教と司馬さんの引き出しは無数にあった》
これですわ。ワシャは司馬さんの博覧強記の文章にあこがれ、司馬さんの家の東の豕として芽を出そうと思ったんです。司馬遼太郎記念館にも何度も足を運び、司馬さんの書斎を拝見し、その足元くらいには追いつこうと蔵書を増やしたんですが、凡夫は凡夫ですね(笑)。考古学、言語学、民俗学、絵画、彫刻、落語、宗教も舐めるには舐めたんですが、巨人の足もとに近寄ることすらできなかった。
『街道をゆく』の41巻『北のまほろば』で猟師がクマとの激闘を語る話がでてくる。そこで司馬さんは『義経記』を出す。
《室町のころ、奥羽の『義経記』を節語りに語った琵琶法師も、こういうぐあいではなかったかと思ったりした。》
すごい発想だ。こんなこと思いもよらない。記事もこう言う。
《司馬さんの着想は時空を超えていた。》
「遼東の豕」は司馬さんのよい読者で人生を過ごしたい、謙虚にそう思う。