二人の老サラリーマン

 司馬遼太郎の初期に、高沢光蔵という老新聞記者が登場する随筆があった。これをどこかで読んだのだが、思い出せない。なにしろ司馬さんに関する本はワシャの書庫だけでも500冊はあるだろう。そこからエピソードしか覚えていない話を探すのである。
街道をゆく』だったかいな?と思って、2社から出ているインデックス本を持っているので、それを本棚から引っ張り出して調べましたぞ。
街道をゆく』にはなかった。それ以外については、司馬遼太郎記念館がさぼっているので、未だに索引集のようなものが発行されていない。だからネットで調べる。だが、これも断片的で不確実な情報ばかりで役に立たない。となるとひたすら司馬さんの文章を読むしか方法はなく、気になりだしてから延々と司馬さんを読み直し、ようやくその文章を見つけた。
 気になっていた随筆は『司馬遼太郎がゆく』(プレジデント社)の中にあった。いやー、記憶の片隅に微量にこびりついていたものを、膨大な司馬作品の中から特定するのは、砂浜に落としたピンを探すようでしたぞ。しつこいけど、司馬遼太郎記念館がキーワードとか人物から作品を特定できる検索システムを作ってくれないかなぁ。無理だと思うけど。
 さて、その文章である。昭和30年に発刊された『名言随筆サラリーマン』(六月社)の中にあった。残念ながら60年も前に発刊された司馬本をワシャは持っていない。『司馬遼太郎が考えたこと』の中でも発見できなかった。見つけたのは、司馬遼太郎記念館が出している季刊誌『遼』の中である。そうかここで読んだんだな。2012年の秋季号だったか。
 題は「二人の老サラリーマン」。ワシャは高沢老お一人に関するエピソードだったと記憶していたが、どうやら二人の老新聞記者の話が並べてあって、それを数年のうちにワシャが脳裏でひとつ一人の物語にしてしまったようだ。
 この話がなかなかいい。老新聞記者の退職寸前から退職、再雇用後までの短い物語だが、考えさせられるとことが多かった。内容にはおいおい触れていくが、高沢老の去り際がいい。
「ここに一匹の小虫がいる。これをひねりつぶしたところで、誰も気づかず、世界のどこにもいかなる小波紋も起こらない。そういう小虫であることが私の人生の理想だ」
 そんなことなかなか言えるものではない。司馬さんは高沢老を「悟徹(さとりきった)の相をもつ人」と表現していたが、なかなかそんな人生の達人にはなれない。

 もう一人についてはまたそのうち。