人生の師は格好いい

 ワシャには人生の師が何人もいるけれども、その筆頭はなんといっても司馬遼太郎師である。でもね、司馬さんの小説が好きだからとか、文章に感動したから師と仰いでいるわけではない。それは司馬さん限らず、他の作家、文化人、政治家、有名人にも共通することなのだが、生き様というか、精神の格好良さのようなものに、引かれるのである。

 司馬さんの生き方、考え方については多くの人が語っている。作家の阿川弘之さんも自著『故園黄葉』の中で、司馬さんが人の文章を褒めるのがうまい人だったという。

司馬遼太郎の性格的なやさしさと資料を読むのがあ唯一の道楽といふ読み巧者の素質とから溢れ出て来るもののやうに思われ、何か成心あつての世辞称賛ではなかつたけれど、結果として多くの学者文士が褒め殺しに合つた。実は私自身、その一人なのである。》

 反対に、人には厳しく自分には甘い人物は世間のあちこちに数多いる。人を批判し、自分の主張には根拠のない自信を持っている。随所に自分誇り、自慢高慢を散りばめて話をするバカは、どれほどの経歴・学歴があろうともまったく価値が見い出せない。そういった人の書いたものを読む暇はないし、話など聞くのも時間の無駄だと思っている。司馬さんに傾倒しているだけに、そういう連中がバカに見えて仕方がないのだ。

 話を戻そう。

 ワシャは、司馬さんの、おおかたの文章は読んだつもりだ。「全部」と言えないところが情けないけれど、少なくとも読んだ文章の中に自画自賛の文章は見当たらない。他者を褒めることはあっても、自分を誇ることは一切ないと断言できる。

 阿川さんのように、司馬さんのことを書いた文章も多い。ざっとだけれど、ワシャの書棚に100冊くらいはあるかなぁ。

谷沢永一司馬遼太郎の贈りもの』(PHP)

関川夏央司馬遼太郎の「かたち」』(文藝春秋

鷲田小彌太司馬遼太郎。人間の大学』(PHP)

石原靖久『司馬遼太郎の「武士道」』(平凡社

松本健一司馬遼太郎が発見した日本』(朝日文庫

北影雄幸『司馬史観がわかる本』(白亜書房)

成田龍一『戦後思想家としての司馬遼太郎』(筑摩書房

和田宏『司馬遼太郎という人』(文春新書)

霍見芳浩アメリカのゆくえ、日本のゆくえ 司馬遼太郎との対話から』(NHK出版)

 だんだん面倒くさくなってきたので、ここらでやめておきますがね。なにしろ司馬さんの思想について語った本は、たくさんあって全部をフォローしているか自信がない。弟子たちがいろいろな司馬遼太郎を書き残しているところなんかは、釈迦や孔子と同じものを感じてしまう。いや、ご自身でも膨大な作品を書き残されているので、釈迦や孔子以上の存在ではないかと思っている。

 作家の半藤一利さんが、自著『語り継ぐこの国のかたち』(だいわ文庫)の中で、司馬さんのことに触れている。司馬さんが文化勲章をもらった際に、見せてくれるようにお願いすると、眼鏡ケースの中に入っていた文化勲章を取り出して、気軽に掛けさせてくれたそうだ。勲章とはいえ奉ってはいない人だったと半藤さんは回想している。

 ここから半藤さんの文章を引く。

《司馬さんという方はそういう方なのです。それをものすごい栄誉にするとか、そのこと自体を特別な思いで味わうとか、そういうことをなさらない方で、戴けるものは戴くが、それは単なる勲章でしかない。そういうもののなかに何か特別な意味を見出したり、持ったりするのは人間の浅ましいと言うか間違っているところである。勲章は勲章でしかないんだという、そういうことではないかと思った次第です。》

 半藤さんといえども、司馬さんのことをしっかりと理解していたわけではなさそうだね。

 司馬フリークのワシャが推理するに、司馬さんは「文化勲章を見せてほしい」というマスコミ関係者などが多いので、いちいち桐の箱から取り出して見せるのでは手間が掛ってしようがない。だから、取り合えず取り出しやすい大型の眼鏡ケースに入れておいて、オーダーがあるたびにそこから出して見せていたのだと思う。司馬さんは、文化勲章を軽んじていたわけでなく、とはいえ文化勲章は司馬さん以前に260人ほどに人が叙勲しているから、それほど特別のものでもないと思っても不思議ではない。

 まぁ司馬さんにしてみれば「運よくもろうたんやわ~」くらいの感じではないだろうか。司馬さんは、平成5年の文化の日に宮中において天皇陛下の御前で内閣総理大臣から伝達されている。当時は自民党の宮沢ヨーダがコケて、肥後熊本藩の末裔である細川護熙首相だったから、司馬さんは、陛下の御前にありながらも、伝達の際に「この人が細川ガラシャの血を引く殿さんかいな」と思ってたりして(笑)。

 司馬さんなら、そんな様子が相応しく楽しいような気がする。

 

 もうこれで2000字になっているので、これで終わっておけばいいんだけど、まだ午前8時だし、ピ~ンと閃いたことがあるので、続けますね。

 ワシャのところに某国会議員の勲章受章式の案内通知が残っている。国会議員を長年務めたので貰えたんですね。

 これが眼鏡ケースの司馬さんとは違って、もう大騒ぎなんですね。大都市の大きなホテルで元内閣総理大臣、現役の国会議員をずらりと並べ、地元の知事、県議、市長、市議、大学の学長、医師会会長、農協中央会、商工会連合会など経済界のお歴々が揃って勲章のお披露目である。ご本人もモーニングに白い蝶ネクタイ。右肩から紅白のリボンを下げ、その先に勲章が輝いている。通知の封書にも菊花があしらわれ、挨拶文にも菊と鳳凰が印刷してある。まぁ上へ下への大騒ぎだ。

 こういうのってこの人ばかりではない。どの国会議員も同様な、ある意味異常な喜び方をして地元で盛り上がるのだろう。それがいい、悪いではなく、まぁ時間のムダ、労力のムダだと思うのはワシャだけだろうか。

 こういうわかりやすい自分誇りをしたいのが国会議員で、その対極に眼鏡ケースに入れた文化勲章を知人や友人に見せる司馬さん、ワシャは断固として司馬さんの生き方が格好いいと思ってしまうので、何百人と集めて祝辞だけでも2時間を超えるような祝賀会を実行する連中は好きになれない。

 だからそういう世界から足を洗ったのかもね(笑)。