戦後80年談話

石破茂首相、戦後80年談話の発出を見送り 有識者らの会議体を設置し先の大戦を検証へ》

https://news.yahoo.co.jp/articles/128f40d71012597ac1af4d59d8196b1a9f9ac99d

 石破首相が「戦後80年談話」を見送ったことは2つの点から歓迎したい。

 1点目、戦後80年である。今、日本人であの戦争を指導し積極的に関わった人はおそらくゼロに近いと思う。ワシャの父親は、17歳で国内での物資輸送に動員された。末端の末端で使いっぱしりだった父もすでに彼岸に旅立っている。

「戦後50年談話」を出した村山富市氏は、終戦時に21歳だった。今、101歳でご健在のようだから「痛切な反省」と「心からのおわび」を勝手にしていなさい。

 あの戦争にまったく責任のない日本人がほとんどになっている。にも関わらず「戦後80年談話」を出すこと自体がナンセンスではないか?まったく「戦争」を知らない、ソ連共産主義者に歪められた歴史の教科書でしか「戦争」を知らない戦後世代のどこに責任があると言いたいのか?

 自分が生まれる前の事歴に対して責任を問うと言うなら、帝国主義で世界を席巻した欧米列強、殺戮の歴史を繰り返してきた支那の歴代王朝の末裔は、永遠に「痛切な反省と心からのおわび」をし続けろ、という話である。

 しかし支那もロシヤも、テメエのことは棚に上げて、日本に反省を強く求めてくる。いったいどういう神経をしているのだろう。

 さらに言うと、冨市つぁんが反省の前提とした「植民地支配と侵略」についても、ようやく日本人がソ連コミンテルンの呪縛から逃れつつあるので、より正確な過去の歴史が見通せるようになってきた。

「非道な日本はアジアを侵略した!」って、そんな簡単な話ではない。それこそ「膨大な歴史的事実と向き合ってからものを言えよ、左巻き」ということなのだ。

 日本人は太古から日本人だった。そもそも弱肉強食の大陸の民とは形成過程が異なっている。どちらがいいという話ではない。違うものだということはまず念頭に置くべきだろう。

 それを、ドイツ・イタリアと三国同盟を結んだから「ナチスドイツと同じだ」というのは間違っている。味噌をどれだけ煮込んでもポタージュにはならないのと一緒だ。だいたい日本をドイツと結びつける膠(にかわ)になったのは、ソ連コミンテルン共産主義インターナショナル)の暗躍だったことはあまりにも有名ですね。

 戦後もその呪縛から逃れられずに富ちゃんの「50年談話」、支那共産党に金○を握られてへいこらする日本の政治家ども。いけね、書き出すと長くなってしまった。

 2つ目は短く。

 とにかく談話でも演説でも記者会見でも、ブ男が日本人の代表として世界に垂れ流すのはやめてくれという話。

 ワシャは顔の善し悪しなどどうでもいいと思っている。むしろ平凡な顔、特徴のある顔、不細工な顔が年齢を重ねていくと深みのある味のある顔に変貌していったのを多く知っている。「四十を過ぎたら自分の顔に責任を持つ」というやつで、それなりに頑張っている人、苦労をしている人、信念をもって生きている人の顔は、年齢を重ねるうちに格好良くなっていく。

 それを一切合切身につけてこなかった68歳、目つきは悪く、口はゆるみ、笑顔は引きつり、飯はこぼし、顎はたるみきっている。箸・茶碗の持ち方、人への接し方、椅子への座り方、国会でのだらしない居眠り・・・と挙げればキリがありません。

 こんなのに日本人を、日本国を代表してもらいたくない。これ、みんな岸田文雄の指示にしたがって石破に投票した自民党国会議員の罪である。

 ということで「発出見送り」大歓迎なのであった。