多文化共生という欺瞞(2)

 まあどこでもよかったんだけど、取りあえず愛知県小牧市の「多文化共生」のページである。

http://www.city.komaki.aichi.jp/admin/soshiki/shiminseikatsu/tabunkakyousei/tabunkakyousei/tabunka/3042.html

 すべての漢字とカタカナに「ふりがな」が振ってあって、日本人にはまことに読みにくいページとなっている。しかし「多文化共生とは?」ということに端的に答えているので引いておく。

《多文化共生とは「国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的な違いを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員として共に生きていくこと(「多文化共生の推進に関する研究会報告書」平成18年3月総務省より)」です。つまり、地域に暮す住民同士が、差別し合うことなく国籍や民族、文化、言葉などの「ちがい」を認め合い、支えあう関係を持って暮らしていくことをいいます。》

 

 つまり、「国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的な違いを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員として共に生きていくアメリカ」のような移民国家を目指すというのが、この「多文化共生」の底流にあって、これは人が流動することの大きい大陸国家の考え方に違いない。

 アメリカで考えれば、まずアメリカ大陸には黄色人種先住民族がいた。「嘘をつかない人々」である。そこにメイフラワー号に乗ってやってきた白人がいて、元々の原住民を排除し、彼らのものだった広大な土地を我が物として、イギリスの文化を持ち込んだわけだ。その後、広大な土地に対して労働力のないアメリカは「移民政策」を採る。以降、ヨーロッパから雲霞のごとく移民が押し寄せる。さらにアフリカからは、無賃の労働力として黒人奴隷を輸入しはじめる。後になるが、日本や支那からも奴隷を確保するようになり、高橋是清が一時アメリカで奴隷であったことは有名でしょ。

 あるいは、植民地政策を推し進めたヨーロッパ諸国は、国内にアフリカ系の住民や、中東系の住民を奴隷もしくは低賃金労働者として移住させ、社会構造の中に組み込んでいた。

 近年も、イギリスやドイツが労働力の確保にやっきになり、中東あたりからイスラム教徒を安価な労働力として流入させた。このことにより発生した社会問題はヨーロッパを揺るがすほどの激震になり、このためにイギリスはEUを離脱した。ドイツでも移民による国内問題は政権を揺るがすほどのインパクトになっている。

 

 さて(笑)、そこで我が国である。大方の自治体では総務省の指導で「多文化共生」をお題目のように並べている。小牧市がごく標準的であるので、この自治体を例にあげるけれど、全国にはもっと低レベルの自治体もあることを付記しておく。首長が阿呆だと武蔵野市のようになってしまうということに、住民は注意すべきであろう。(阿呆は失礼か、では筋金入りの和式リベラルとでも言っておく)

 

 日本はね、そもそも日本の文化というすばらしい伝統をつないできている。これは、まさに記紀の時代から紡いできた歴史そのものと言っていい。

 ここにはもちろん大陸から入ってきた文化や、中世にヨーロッパからもたらされたものも含まれている。

「だったら多文化じゃないか!」

 と、ヒダリ巻(和式リベラル)が騒ぐけれども、それがちょっと違うんですね。もちろん古代に、支那大陸からいろいろな文物、仕組みや制度などが大量に入ってきたことは認める。しかし、日本には縄文から培ってきた日本の風土・文化があり、これが核の部分でしっかりと構築されているので、外部の影響を受けつつも、それを換骨奪胎して、己の血肉にするだけの包容力があった。

 例えば、漢字が輸入される。しかし元々あった和言葉にそれをうまく当てはめながら、日本語としての漢字を育てながら、ひらがな、カタカナという独自の文字を創造し、それを漢字と一緒に織り込むことで、今、世界でももっとも表情豊かな表現力を持つ言語が出来ている。すでに漢字の故郷の支那では、「多文化共生」で共産主義という劣悪な制度を混ぜ込んだために、人類の財産ともいえる「漢字」を壊してしまっている。

 結論めいたことを先に言ってしまえば、多文化が、複数の文化が、均等に同等に成り立って文化を創ることはない。既存の文化が熟成されたものであって、よそから入ってくる文化がいいものを持っていれば、それを取り込んで己の文化としていく、それが文化の本質と言っていい。多数の文化が並立してそれぞれの主張をしているというのは、「共生」ではなく「混乱」という。

 話が逸れてしまった(謝)。

 小牧市の「多文化共生とは」という冒頭に示した文章を読み解きながら「多文化共生の欺瞞」を解こうと思ったが、すでにここまでで1800字になっている。

 これは3月に向かっての大きなテーマになりそうなので、少しずつ温めていきたい。

 今夜、本当に詰まらない会合があって、ここでワシャの脳味噌が腐らなければ、明日、続きを起こしたいと思うが、クソ話を2時間も聞くと、取り返しが効かないかもしれない(泣)。

 ということで、昨日の注連縄づくりで腰や肩が痛いですが、がんばって仕事に行ってきます。日曜なのに(トホホ)。