ワシャの思想

 先日、ある会議で発言をした。その中で「武漢ウイルス」のことが話題になっていた。ワシャも度々意見を述べたのだが、何度も「武漢ウイルス」と言っていたらしい。それをやや左側の役員から「ワルシャワさん、右翼ですね」と指摘された。

 ううむ、「新型コロナウイルス」のことを「武漢ウイルス」というと右寄り、右翼だと思われるんですね。ワシャは別段右ではない。「武漢ウイルス」とあえて言っているとするならば、支那共産党武漢発症のウイルスであることを認めないから、そのことをしっかりと刻んでおくためにそう言っている。

「ほら、今も中国共産党支那共産党と言った。中国のことを支那と言う輩は右翼だ」

 サヨクからはそう言われるだろう。はいはい、ワシャは中華人民共和国を「支那」と呼んでいる。こう呼ぶと右翼にされてしまうんだね。ただ、世界的に中国は「シナ」と呼ばれている。「China」を日本で漢字にして「支那」と表記して何の問題があろう。

「相手の嫌がる呼称をあえて使うな」

 と、お左様は言うだろう。

 おいおい、だったら日本人の嫌がる尖閣諸島支那の軍艦(支那海上警備船と偽っているけどね)を引っ込めてから言え。

 

 大原則を言っておこう。ワシャは「右翼」ではない。ベースとして司馬遼太郎の思想を大切にしている。司馬さんは、かつて李登輝さんと対談をした際に、支那共産党から嫌がらせを受けた。支那大陸での「司馬遼太郎」の記載を「遼」の字をけもの偏の「獠」に換えられるという嫌がらせである。そんなもの司馬さんにはこれっぽちも効くものではない。かえって嬉しがらせるだけだということに気が付かない支那共産党が悲しい(笑)。要するに、司馬さんは支那共産党から嫌われている。その司馬さんの思考をベースにしているから、ワシャの言説から「反支那」臭がするのかも。

 司馬さんの思想は、日本の歴史を肯定的に解きほぐしながら、日本とはなにか?日本人とは何者か?を小説という手法を使って、衆生に説いてくれた。そのことから言えば大衆の理論的指導者であることは間違いない。ここは鷲田小彌太さんの『昭和の思想家67人』(PHP新書)から引く。

《司馬も、民族主義者ではないのか。そんなことはない。国家主義者ではないが、十分にナショナリストなのだ。国益(ナショナル・インタレスト)を第一の中心価値におくことを肯定しないが、日本の伝統をも含めた歴史に固有な連続性に、きわめて冷静なしたがって持続可能な愛をそそぐのである。》

鷲田さんの文の最後のところ「日本の伝統、歴史の連続性に愛をそそぐ」、まさにこれがワシャの思想信条なのである。

 ただし、司馬さん一色というわけではない。そこに福田恒存西部邁山本七平谷沢永一などがほどよくブレンドされている。そこに近年、呉智英さんの封建主義とニヒリズムも加わってきた。「中国」を「支那」と呼ぶところには呉さんの影響も入っている。

 さらに加えるならば、大東亜戦争を肯定しない司馬史観に異論を唱える小林よしのり氏にも影響を受けているだろう。本が108冊もあるからね。

ということで、司馬さんだけじゃないんですよ~(笑)。

 もちろん、左系の本も読んでいる。松下圭一は小難しかったなぁ。左傾思想家の本は概して読み難い。ぐっと墜ちるけど山口二郎佐高信はスカスカの内容で1冊15分もあれば読了できた。他にも松井やより菅直人辻元清美枝野幸男、望月衣塑子などにも目を通しているが、ここいらは時間の無駄だった。はっきり言ってなにも得るものはなく、佐高氏のように笑えもせず、影響はまったく受けない。

 その点で、生まれた時から枕元にあった朝日新聞の悪影響は計り知れない。20代くらいまでは、まともな新聞だと思って毎日せっせと読んでいた。この副作用はかなり深刻だ。朝日の毒を消すのにどれほどの書籍を積み上げなければ抜けられなかったことか(積んであるだけですけどね)。

 

 ということで、ワシャの思想の指向性は構築されているのだった。めでたしめでたし。