十代目三津五郎

 今朝の新聞に、歌舞伎座の「八月納涼歌舞伎」のツアー宣伝があった。愛知県各地からバスで東京へ向かう。昼飯を東京築地の寿司屋で喰い、その後、東京駅、皇居・二重橋などを自由散策。午後6時ころから、ようやく歌舞伎座に入場する。納涼歌舞伎だから演目は2つと短い。夕食はその短い演目の幕間でまさにかっこむように幕の内弁当を座席でいただく。泊りは日比谷の帝国ホテルである。翌日は浅草や柴又をまわって、夜の8時ごろに愛知県に帰って来るツアーとなっている。これで5万5000円とはちと高うおまっせ。快適な新幹線で往復して、ホテルもそこそこのところであれば1万8000円程度で泊まれる。歌舞伎のチケットだって、納涼だから1万2000円程度だ。ツアーとくらべればまだ2万円も残っている。これだけあれば東銀座界隈で美味しく呑めるし、浅草や柴又でも楽しく遊べるわい。歌舞伎に行くなら自分たちで行ったほうがいい。

 それはいいのだけれど、そのツアーの広告紙面に坂東三津五郎丈の写真が載っていた。4月に復帰をはたし、3ヶ月のリハビリを経て、8月の舞台にも立つ。すい臓がんの手術は成功し、丈も「体調はいい」と言っている。どうか歌舞伎の神様がいるならば、三津五郎さんを歌舞伎ファンの手元に残しておいてくだされ。
 芝翫さん、富十郎丈、雀右衛門。かんかん勘三郎團十郎。当代猿翁は引退だ。歌舞伎座新築以降に重なる、悲劇はいつまで続くのか。そろそろ仕舞(しめえ)にしねえかい(チョーン!)。

 そうそう、昨日『坂東三津五郎 歌舞伎の愉しみ』(岩波書店)を読んだ。もともと平成20年に発行されていたものだが、見過ごしていた。書かれているのが、平成歌舞伎の悲劇の前だったこともあって、富十郎勘三郎團十郎も活き活きと登場してくる。そして三津五郎の、鶴屋南北の陰惨な世界をどう客に観せるかという劇論がおもしろかった。
コクーン歌舞伎に来るお客さんとか、同じ名古屋でも、たとえば平成中村座のような別空間をつくって、南北をやるのであれば、ある種、歌舞伎の実験劇場だという目でみなさん観てくださいます。ですが、御園座の「陽春花形歌舞伎」で、団体客も含めたお客さんたちに、いくら名作とはいえ、南北の『盟三五大切』(かみかけてさんごたいせつ)のような凄惨な芝居だけを観せて、お帰ししていいのか(笑)。》
 だから三津五郎は『四谷怪談』や『盟三五大切』の後に、軽くてきれいな踊りをもってくる。例えば『芋掘長者』のようなものを。そこで観客を陰惨な事件から引き戻し、心を浄化して帰宅してもらうのだそうな。このために三津五郎はフル回転で舞台に立ち続けなければならない。このハードさが歌舞伎役者の命を食っているのかもしれない。松竹はもっとスターを育てなければいけないし、ワシャらもせっせと歌舞伎に通わなければいけないなぁ。