杮落し(続)

御園座杮落し」の夜の部である。まずは「梶原平三誉石切」(かじわらへいぞうほまれのいしきり)である。梶原平三とは室町末期から鎌倉の人、元々は平家方だったが後に頼朝を援け鎌倉幕府の中枢に入っていく人。梶原を演じるのは鬼平でお馴染みの中村吉右衛門。この人すでに73歳である。歌舞伎役者として充分に練られている。観ていて安定感が抜群だし、オーラも華もある。愛嬌もあれば怖さも備えている。
 敵役の大場三郎を左団次が演じた。う〜ん、瘠せてしまって覇気がないなぁ。「口上」でも、直前の吉右衛門の口上途中のお辞儀を、終了のお辞儀と勘違いし、一緒に頭を下げてしまって笑いを誘っていた。それならばその失敗を自分の口上でネタにして、客を笑わせればいいのだが、そこまでの器用さも気力もないんでしょうね。定型どおりの口上で終わってしまった。この場に勘三郎三津五郎がいれば、機転をきかせて大爆笑を取るのだろうが叶わぬ夢ですわなぁ。そもそもまともな歌舞伎役者が少ないから、もう隠居してもいい頃合いの左団次が膝を庇いながらの敵役であった。かんばれ〜左団次。
 歌舞伎見巧者を自負している岩下尚史氏が2013年5月の「新潮45」で「勘三郎團十郎富十郎芝翫雀右衛門を失ったことは歌舞伎の危機ではない」と言っていた。その後、三津五郎がみまかり、猿之助福助が退場しても大丈夫なんでしょうかね。一時期にこれだけの大看板が下ろされたことが歌舞伎の危機でなくてなんなんだろう。見巧者がなんといおうと、舞台に空いた穴は大きい。
 落語は消滅の危機を乗り越えて、今や一大落語ブームを迎えた。志の輔談春喬太郎、昇太、志ん輔、一之輔、小朝、鯉昇、扇辰、たい平、市馬、白鳥、権太楼……。綺羅星の如く噺家が現われて平成の落語を支えている。それは落語がどん底の時に、地方の小さな落語会に顔を出し、落語ファンの底上げを図ってきた立川談志たちの存在があったからに他ならない。これは自慢だけど、ワシャの町の落語会のネタ帳のいっとう最初は談志であった。
 話が逸れているけれど、何を言いたいかというと、「歌舞伎はどんどんと地方公演を打て」ということである。岩下のオッサンは「歌舞伎というのは本来ぜいたく品・道楽なのだから高いチケットは仕方がない」などとほざいている。違う!一部の通人のものだなんて言っていたら、これだけ多種多様な娯楽のあふれる時代に、歌舞伎が淘汰されてしまうのは間違いない。大看板がいないから、若手をどんどんと登用して、地方公演を増やす。安いチケットで若い人たちも楽しめるようにするのである。
 御園座の杮落しの初日に空席を見て、ワシャはかなりの危機感を持った。ダボラなオッサンの言うことを聞いて、日本の伝統芸能の火を消してはいけない。そんなことを思っていたら、またまた出勤時間になってしまった。

 どうも歌舞伎の話になると長引きますなぁ。興味のない人には申し訳ありません。それでは行ってきます。