くらげの水族館

 山形県鶴岡市立加茂水族館
http://kamo-kurage.jp/
が賑わっているという。それはけっこうなことだ。、

 昨日、火野正平さんの「にっぽん縦断 こころ旅」にそのあたりが出てきた。視聴者の方からの手紙で、40年前に、その方が高校生だったころにスケッチ旅行で訪れたのだそうな。右手に日本海を背景にして白い小さな水族館がある。その左手には隧道があって、そこを抜けると、やはり海側に小さな灯台が見えるという。お手紙の方は、「千と千尋の神隠し」のように世界が変わるトンネルのようで、とても不思議でかしい風景だった、そこで灯台を中心にすえてスケッチをした、と書いている。
 火野さんもそのあたりを期待して、チャリオ(自転車)をこいだのだが、トンネルを抜けても「千と千尋……」の風景はなかった。そのへんが引っ掛かったのだろう。手紙の主が見た風景を求めてしばらく走るのだが、そんなポイントはどこまで行ってもないのである。
 トンネルを抜けてしばらく行って振り返れば、荒崎岬に灯台が立っている。おそらく手紙の主はその灯台のことを言っているのだが、残念ながらそこは絵になる風景ではなかった。隧道のある小山と灯台のある岬が、最近、開館した新加茂水族館の建物で、断ち切られているのである。だから、トンネルを抜けても海側には新水族館の白い壁が見えるだけで、岬の先の灯台は見えない。40年前に手紙の主が見た風景は壊れていたのである。
 これは憶測でしかないが、加茂水族館に来場者が増えたときに、駐車場の拡張整備をしたのだろう。その時に岬を途中でぶった切って、道路を通し、駐車場を造成したと思われる。その時に隧道側の斜面をコンクリートで不細工に補修したのではないか。
 鶴岡市が水族館に人を呼ぼうとした努力はわかる。しかし荒崎岬の風景は一変したのではないだろうか。岬を削り取った時に、懐かしい故郷の風景も断ち切られてしまった。その後、新加茂水族館が完成するに及んで、荒崎岬の風景は死んだ。

 司馬遼太郎さんが『街道をゆく』の中で愛知県豊田市の古刹高月院周辺の風景を取り上げて、こんなことを言っていた。
《高月院までのぼってみて、仰天した。清らかどころではなかった。高月院へ近づく道路の両脇には、映画のセットのような練り塀が建てられているのである。それだけでなく、神社のそばには時代劇のセットめかしい建物がたてられていて、ゆくゆくは観光客に飲食を供するかのようであり、そのそばには道路にそって「天下祭」と書かれた黄色い旗が、大売出しのように何本も山風にひるがえっていた。(中略)この変貌は、おそらく寺の責任ではなく、ちかごろ妖怪のように日本の津々浦々を俗化させている「町おこし」という自治体の「正義」の仕業に相違なかった。私の脳裏になる清らかな日本がまた一つ消えた。》
 
 経過こそ違え、鶴岡でも同様のことがおきたに違いない。水族館を使った「町おこし」「観光客誘致」という自治体の正義のために荒崎岬の風景が犠牲にされてきたのだろう。クラゲが集める集客の前には、故郷の風景など物の数ではなかったということか(悲)。