江戸の匂い

「御手討ちの夫婦なりしを更衣」
(おてうちのめおとなりしをころもがえ)
 ワシャの好きな蕪村の句である。
 なぜ、この句を持ち出したかというと、今月の初めから、会社での服装がノーネクタイでOKとなった。
 また、散歩をしながら、行き交う人を観察していると、薄手の服装が多くなっている。「ああ、衣替えの季節なんだな」と思ったら、ふとこの句が口をついて出た。
「御手討ちの夫婦」なんてちょっと物騒でしょ。でも、そんなことはないんですよ。それではちょいと江戸の俳句を鑑賞してみましょうか。
 まず、句の背景を確認したい。ワシャが見ているのは『蕪村俳句集』(岩波文庫)で、そこには、この句が明和年間の句であると記されている。明和年間といえば、側用人田沼意次が台頭してくる時期であり、世情的には、大地震や大火など天災が相次ぎ、民心は騒然としていた。ちょうど、池波正太郎の『剣客商売』の時代だと思えばいい。
 その時期の江戸の下町の長屋でひっそりと暮らす老夫婦を、蕪村は見たのだろう。物腰、言葉遣いから明らかに、育ちの良さがくみ取れる。かつては上等の武家であったにちがいない。
 あるいは、蕪村はその夫婦と身の上話などをしていたのかもしれない。
「いやさ、拙者も当時は若うござってな、つい殿様の意に反して、奥と通じてしまったのです。それでこれでござるよ」
 と、老人は己が首を手刀でポンと打つ。
 老人の齢をさかのぼれば、時代は八代将軍吉宗の頃になるだろう。この時代は息苦しかった。緊縮財政、質素倹約を奨め、歌舞音曲などを禁止した。これは、各藩にも波及し、日本全国が火の消えたような状態だった(尾張藩だけは例外だったが、それは本筋と関わりのないことなので、別の機会に)。
 人の非違をあらだてて責めることが奨励されるような暗い時代だった。この老夫婦も、他の時期なら大目に見られたことが、ことさら問題視されて手討ちというところまで追い込まれたに違いない。しかし、きっと二人とも律儀な働き者だったので、殿様や奥方様のはからいにより、罪一等減ぜられ所払いとなり、二人は石持て追われるようにして故郷を出、ようよう江戸に流れついたのであろう。
 夫婦は、裏長屋を終の棲家と定め、近所の子供に手習いを教えたり、針仕事を手伝ったりしながら、ひそひそと暮らして幾星霜。貧乏ではあるが、近所の熊公や八公たちとも仲良くやりながら、すがすがしい毎日を送っている。
 今年の春は寒かった。ここへきて、ようやく暖かな陽気になってきた。今日も、障子越しの日差しが暖かい。老侍は内職の楊枝を削りながら、奥で針を使う老妻に声をかける。
「おい、そろそろ衣替えではないか」
「あい、そう思いまして、袷を縫うておりまする」
「暖かくなって、膝の痛みも薄くなるとよいのだが」
「そうでございますね」
 火鉢にかかった鉄瓶から松籟の音がかすかに聞こえる。

 こんなイメージが浮かんでくるのである。これはワシャだけの妄想ではない。水原秋桜子も似たような鑑賞をしている。というか、秋桜子の鑑賞にワシャが影響を受けているのだが……(笑)。
 秋桜子は言う。
「なぜ、夫婦の過去の歳月までが、十七字だけによって想像できるのか。それは『更衣』という季語がその効果を発揮していることと、『夫婦なりしを』の『を』の一音の働きが大きい」
 俳句の理屈はよく解らないが、この句がいろいろな想像をかき立てることは事実だ。ここまで、江戸の情景をイメージさせる句を他に知らない。わずか17文字の中に深いドラマがある。まさに、池波正太郎の『剣客商売』の人情話を聴いているような句だった。

 だから、江戸に遊びたくて、昨日から『剣客商売』(新潮文庫)全19巻を読み返している。