情報はつながっていく

 まぁ五月に入ったので、季節は夏ということでお許し願いたい。

 昨日、『画集 河合玉堂の世界』(美術年鑑社)を買ってきたと書いた。一緒に、《俳句関連の本を何冊か》も購った。その中に、高橋治『蕪村春秋』(朝日新聞社)があって、それを読んでいたら「鵜飼」の一句が載っていたのだ。

 

朝風に吹きさましたる鵜河哉

 

 蕪村は岐阜長良川でも何句も詠んでいるので、これもそうかもしれない。夕べの鵜飼の熱気や賑わいを、朝の冷たい風が吹き消すかのように吹いている・・・という単純な情景描写の句なのだが、喧騒の後の静寂、冷気、川面にさざ波を立てる風、そんなものが見えてくるいい句だと思う。

 それにしても、偶然買った本と本がつながっていくのがおもしろい。もう一冊、金子兜太編『日本の名随筆別巻25 俳句』(作品社)は、俳句の随筆を集めた本だから、どこかに蕪村が出てきてあたりまえですな。それでパラパラと繰って見ると、加藤楸邨の随筆の中に「忘れ去ることが出来ぬ句」として、蕪村の句が引いてあった。

 

 牡丹散て打ちかさなりぬ二三片

 

「牡丹」はちょうど初夏の季語で、「鵜飼」と時期も同じである。あるいは長良川河畔で、牡丹のぼってりとした厚みのある花びらの重なったものを目にしたのかもしれない。

「鵜飼」の句は、

 

あさ「か」ぜに ふ「き」さましたる う「か」わ「か」な

 

 と、「か」行での韻を踏んでいるのに対し、「牡丹」の句は、

 

ぼた「ん」ちりて うちかさなりぬ にさ「ん」「ん」

 と、「ん」で韻を踏んで固い響きをみせているところも類似している。本と本がつながりますぞ~(嬉)。

 さらに『日本の名随筆別巻25 俳句』には、三島由紀夫の「俳句と孤絶」という短いエッセイが収められていて、そこには《句会は民主制議会主義のごとく、劇場はファッショ的独裁主義のごとし》という表現が出ていて、ちょうど、ネットのニュースで、支那の言う「中国式民主主義」の情報に触れていたので、三島の言う「句会民主主義」について反応をしてしまった。

 この話は、また不快な展開になりそうなので、せっかく上品にまとまりつつある本の話を壊すのもつまらない。

「中国式マッサージ」ではなく「中国式民主主義」のいかがわしい話は、明日以降に書きたいと思う。