秋風

「石山の 石より白し 秋の風」
 芭蕉の名句である。この句を詠んだのは加賀の国の那谷(なた)観音。同行の曾良と別れ、単独で那谷寺に行く。そこで寺を囲む奇岩を眺めながら白い風を感じたのだろう。『おくのほそ道』には「奇石さまざまに、古松植えならべて、萱ぶきの小堂、岩の上に造りかけて、殊勝の土地也」と記している。名所旧跡を訪ねて、白秋に吹いてくる風をうける、これは癒される。
 蕪村の句にこんなのがある。
「金屏(きんびょう)に 羅(うすもの)は誰(た)が 秋のかぜ」
 京都でしょうか。どこかの大店の奥座敷に金屏風が立ててある。そこに絽の衣が掛かっている。涼しい風が座敷を通っていく際に、うすものの裾がゆらゆらと揺らいだ……というシーンを切り取った。蕪村の句は景色が見えるようである。あるいは座敷に立ちこめる香のにおいや、庭の隅から鹿威しの音なども聴こえてきそうだ。また「うすもの」は婦人物のイメージが強いので、ほんのりとした色香までただよう名句だと思う。
 ただ、この句には季語が二つ並ぶ。「秋のかぜ」と「うすもの」である。「秋のかぜ」は初秋、「うすもの」は夏の季語となっている。俳句は凝縮性の勢いを大切にするものなので、季重なりは避けるべきものとされている。でも、名人たちに季重なりは少なくない。蕪村の句もその一例なのだが、それでも夏から秋への移り変わりを詠むならば、この「秋のかぜ」と「うすもの」の組み合わせは素晴らしい。

 以上の二句は明るい句である。しかし「秋風」は寂しさの季語としても象徴的だ。「秋風が吹く」とか言うでしょ。昔からこの風に心の寂しさを託して詠む人は多い。
「足許に 日のさしてゐる 秋の風」(長谷川双魚)
「ひとり膝を 抱けば秋風 また秋風」(山口誓子
「物いへば 唇寒し 秋の風」(芭蕉

 秋になって、実際に秋風が吹き始めて、心にも秋風が吹く……なんていうのは身にこたえるのでいやだなぁ。からっとした秋晴れがいいと思いませんか。
 ちなみに芭蕉が訪ねた那谷寺はこちら。
http://www.natadera.com/meguru_keidai/index.html