文化の差

 今、ワシャの会社にオーストラリアから研修生が来ている。先日、その人を案内して長野方面に出掛けた。研修といっても、3ヶ月間、日本のあちこちを案内するという観光に毛の生えたようなもので、社費を無駄に使い、社員の手間を増やしているだけのような気がする。それに、研修生は60歳のオバさんで、案内人としてももう一つ気合が入らない。
 その日は、長野県の山で行われている間伐作業の現場を視察だった。視察自体に問題はなかった。しかし、昼食で問題があった。それはそのオバさんがベジタリアンだということだ。だから、魚介肉類がいっさいダメだった。それじゃあ、信州名物のイノシシもシカもアユもイワナも食えないじゃないか!
 でも大丈夫、信州には「蕎麦」という極め付けの食文化がある。
「Can you eat the buckwheat?(蕎麦なら食べられるか)」
と尋ねると、
「I want to eat by way of experiment though it has not eaten the buckwheat.(蕎麦を食べたことはないが、ためしに食べてみたい)」
 と答えるではないか。
 よし、それならその方面で一番おいしい蕎麦を食わせてやろう、と意気込んで出掛けた。
 昼食である。茹でたての十割蕎麦のいい香がただよう。蕎麦の角がきりりと立っている。まずは天然の塩を少量指で摘んでパラパラと蕎麦にかけて香を吸い込むようにしてツルツルッといただきます。
「美味い!」
 塩で楽しんだ後、少し甘めのつけ汁にネギ、大根おろし、ワサビを入れて、これはヅルヅルッと喉で食う。おおお、口腔内に蕎麦の香が広がりますぞ。
 同行した連中も大満足だった。あっという間にみんな完食してしまった。

 おや〜?オーストラリアのオバさん、蕎麦を一筋二筋もぐもぐとしていたと思ったが、ほぼ手付かずの状態で残してしまった。
「Why do not you eat this buckwheat?(どうして蕎麦を食べないの)」
 と尋ねると、ただ笑って首を竦めるだけだった。

 渡辺淳一が「蕎麦のような微妙な風味がわかるのは、日本人の舌しかなかった」とどこかで書いているのを読んだことがある。多分、このオーストラリア人には「蕎麦」の味、香、食感、喉ごしなどが理解できなかったのだろう。まぁ、それも仕方がないことで、食文化が違うのだからやむをえまい。
 残飯になってしまった絶品の蕎麦を眺めながら、そんなことを思った。