文化の差(昨日の続き) その1

 ワシャはオーストラリア人が極上の蕎麦を残しても責めなかった。それは食文化の違いというものがあるということを認識しているからだ。
 ただ、魚介肉類が食えない上に、蕎麦も食えない、自然薯も食えないとはお気の毒なことでゲスな、とは思った。

 ワシャを始めとする奥ゆかしい日本人は食文化の違う人々に、あれを食え、これを食うなととやかく言わない。
 しかし、欧米人は無神経な輩が多く、人様の食生活に外野からずけずけと文句をつける。
「クジラに代表される海生哺乳類を食ってはいけまセ〜ン!」
 なんでクジラやイルカを食ってはいけないんだ?
「それは、クジラやイルカが人類の友だちだからデ〜ス」
 ワシャにはクジラの友だちはいないが……
「人類みな兄弟、地球上の生物はみんな友だちデ〜ス」
 それはおかしい。欧米人の多くは牛や豚を食うじゃないか。おかしいじゃないか。同じ哺乳類でも牛や豚なら食べてもいいのか?牛や豚は友だちじゃないのか?
「家畜は人間が作り出したものデス。食用となるために生まれてきたものを食べてなにが悪いのデで〜スカ?」
 牛や豚だってクジラだって、命をいただくということでは同じではないのか?
「全然、違いマスデ〜スネ」

 原理主義者と話していても埒があかないのでこのへんで止めておくが、クジラが絶滅の危機に瀕している(してないけど)というなら、その原因は欧米がつくったのである。乱獲をしたのはそもそも欧米なのだ。そして今、日本は適正な頭数管理をして、資源を枯渇させないように利用していきましょうと提唱しているわけなのだが、欧米は聴く耳を持たない。
 クジラを食わないという文化があってもいい。しかし、クジラを食べるという文化もあったっていい。そういうものはお互いに尊重されるべきではないのか。
(下に続く)