昨夜、地元の図書館で「海外小説」の読書会があった。課題図書はイサク・ディネセンの『アフリカの日々』(河出文庫)500頁にもおよぶ」大部の作品となっている。
物語は、ざっと言えばデンマーク人の活動的な上流階級の女性が、第一次世界大戦の年(1914)に、アフリカケニアの農園事業に手を出して、猟銃をぶっ放したり、サファリを巡ったり、現地人と交流し、結果として経営破綻をきたして満州事変の年(1931)にデンマークに帰国しましたとさ・・・という日記というか旅行というか。「訳者あとがき」には《『アフリカの日々』は記録ではない。紀行、体験記、ルポルタージュ、自叙伝などのジャンルは、どれもあてはまらない。》とある。だから小説でもない。
登場人物は実在の人たちである。カマンデという黒人少年が登場するのだが、彼は後年に本を出している。その希少な本がその図書館には所蔵されていた。すげえ!よっぽど本好きな館長さんがいたんでしょうね(笑)。
『アフリカの日々』は5部構成となっている。第1部は「カマンデとルル」と題され、黒人少年とルルというガゼル(鹿の仲間)との交流の話だ。第2部が「農園でおこった猟銃事故」のことが書かれている。ここは読みごたえがあった。銃が暴発して集まっていた少年たちを死傷させてしまう。傷ついた少年の治療についても詳しい。実際にあったことでなければここまでリアルには描写できないだろう。それにしても子供が猟銃を手に取れる社会というのは恐ろしい。読書会でのワシャの感想は「日本には豊臣秀吉がいてよかった」というもので、それにはメンバーも共感してくれた(笑)。
第3部は「農園への客たち」と題されている。まさにこのとおりで農園を訪れる人々をそれぞれ描いており、各章が独立しているので通底したあらすじはない。個々に読み進めればよかった。この部の4章が「クヌッセン老」というタイトルで、クヌッセンという老デンマーク人のことが書かれている。ここもおもしろかったなぁ。
第4部は「手帖から」というタイトルで、ここはホントにディネセンの手帖を移しただけというもの。ケニアの風景を感じるには、とても適していると思う。文章も美しく、これは訳者のお手柄もあるかもしれない。
「地震」という短い章がある。このオバサン(著者)、地震を「壮大なよろこびの感覚」と言って喜んでいる。さらに「人の世で最も強烈なよろこびと希望に満ちた感動の一つ」とも。これって老大陸にすむ地震を知らない呑気な人々が数多いるということなんですね。
「鈍重な地球、生命をもたない土塊である大地そのものが、私の足の下で身をおこし、伸びをしたのだ」
笑える。いや笑えない。これが欧米人、老大陸に生きる人間の感覚かも知れない。4つのプレートがぶつかり合って造られた列島に住む日本人とは根本的に地震に対する認識が違っている。お幸せなことで。
「手帖から」では、「エサ」の話もおもしろかった。「エサ」というのは人名で、ワシャの知り合いに「エサカ」という男がいて、そいつと似ていたので親近感を持った。エサカの主人の白人女が出てくるんだが、こいつが嫌な女で、500頁全編にわたってこの女が一番サイテーな登場人物だった。そこでコントラストがついてエサカがいい奴として描かれていた(笑)。エサでしたね。
第5部は「農園を去る」と題し、ディネセンのケニヤからの撤収について書かれている。最後の文章、帰国する途中の駅のプラットフォームの情景から引く。
《そこから、南西の方角に私はンゴング丘陵を見渡すことができた。けだかい丘陵の稜線は空色をおびて、まわりの平原からそびえたっている。だが、ここからはあまりに遠く、四つの主峰もほとんど見わけがつかない。農園から見える姿とはまったくちがう。》
ここからである。
《山の輪郭は、距離というものの力によって次第にやわらげられ、やすらかな面影となって、私の記憶に残った。》
17年の過酷な過重な時間をも、物理的な距離によってやすらかな思い出としていく、
ディネセンの強さのようなものを感じた。
そうそう、会が終ったあと、帰路で講師がワシャに「そういえばパセリさんはお元気ですか?」と聞いてきた。
「元気ですよ、今は本ばかり読んでいます」と応じると、講師は小さく頷いた。
「また引っ張ってきます」と付け加えると、講師は楽しそうに笑った。