手向けの話

 昨日、葬儀があった。凸凹商事の1年後輩のKという男である。つい2年くらい前に退職をして、別の会社に再就職して働いていると聞いていた。退職後、なんの音沙汰もないままで、この正月松明けの連絡が、Kに関する退職後初の消息であり、それが訃報だった。

 

 手向けのつもりでちょいと思い出話を。

 ワシャは学生時代からスキーをやっていて、凸凹商事に入社した際に、社内にクラブ活動としてスキーがあることを知り、そこに入ってスキー活動を続けようと思った。

 とある宴席で、技術系の先輩と一緒になった。その人がスキー部であることを知っていたので、「入部したい」旨を告げた。そうしたらこういう回答が返ってきた。

「いや、男はたっぷりいるから必要ねえんだ。酒を注いでくれる女子部員を募集しているから」

 おいおい、今だったらセクハラになる発言だっせ。ダッセー。

 そう言われてしまえば、それ以上、社のスキー部の門を叩く気がしなかった。だからワシャの周囲の若い社員を集めて、自分たちだけでスキー場に行って楽しんだ。もちろん同期の女子社員にも声を掛けて、車を何台も連ね信州や奥美濃のゲレンデを滑りまくった。

 入社2年目にKが新入社員として登場する。ワシャの課にも新人が配属され、その男を介在してKを知った。なにかの宴席で一緒になった。なにしろ鼻っ柱の強い男で、自己主張の強い男でもあった。でも、ワシャのほうが強かったけどね(笑)。

 でね、スキーが上手いということを聞いて、「それなら第2スキー部を作らないか?」と持ち掛けた。そうすると「スキー部以外にもう一つスキー同好会があるらしい。だから3つめのスキー同好会になる」と言うので、「だったら三番目で、『サード』という名前にしよう」ということに相成った。

 基本的に1~3年生くらいまでの若手が集まったが、スキーを指導できるのはワシャとKだけだった。スキー部に入れば、上手い先輩たちがたくさんいるのだが、今時のスキーはやらず、根性論のしごきスキーなので人気がない。スキーブームになる直前だったので、若い連中は競技指向の正規部より、レジャー志向で緩~い「サード」のほうに集まった。

 ユニフォームやTシャツは何度も作ったなぁ・・・。ステッカーやエンブレムも作って、社内・社外を問わず、バンバン売ったから「サード」は、社内でもスキー場でも目立つ存在になっていった。

 スキー部のほうは、若手をほとんど「サード」に持っていかれるので、老齢化が著しく進んだ。「サード」活動を始めて10年くらい経った頃に、スキー部からワシャやKに入部のお誘いがあった。スキー部の長老たちが手を上げたのである。向こうが下手に出て頼んでくれるなら「スキー部に入らないこともないよ」ということで、手打ちとあいなった。

 またスポーツマンのKとは、サッカー部、自転車部などでも一緒にやっていたので、若い頃はKと遊んでいたと言ってもいい。

 それがやっぱり10年目くらいかなぁ。かなり大きな喧嘩をした。期数で1期しか違わなかったので、慣れが出てきたのだと思う。それまで「ワシャさん」と呼んでいたものが「ワシャちゃん」になってきた。それに伴って口の利き方も横柄になった。

 これをある宴席でワシャが咎めた。ワシャも酔っていたんですね(笑)。

 そうしたら偉そうに抗弁しやあがったんで、特大の波動砲を食らわして、鼻っ柱をバキバキに折ってやった。

 それからは、社の廊下の向こうからKがやってくる時も、ワシャを認めると、サッと道を換えてしまう。あるいは回れ右をしてすれ違うことを避けるようになった。ワシャは羆か?

 1年程が過ぎて、多少わだかまりが取れたのでしょう。以前のように話をするようになったが、よほど波動砲が効いたのが、多少遠慮しているようなそぶりを見せるようになった。少し距離ができたかなぁと思うが、お互い大人になっているから、そんなものだろう。

 年を重ね、ワシャもKも係長になって部下を持つようになった。そのころから、Kの自己主張の強さが部下に向かい、パワハラの様相を呈してくる。Kの上司に腹の張れる人間がいればよかったんだが、たまたま優柔不断な事なかれ主義の上司ばかりだったから、Kの独断専行は止められなかった。

 結果、その時に部下を潰してしまったことが、後々の評価につながって、最終的に課長補佐どまりで、凸凹商事を去った。

 葬儀のことである。2年前まで現職だった男である。数十人程度の葬祭場なら満席になるのかと思いきや、空席が目立つ寂しい有様だった。

 2カ月前、同じ場所で凸凹商事の名物社員、Kよりも一回りくらい上の人の葬儀があった。ワシャも参列したが、どうだろう、OB、現役が多数詰めかけていた。一般会葬者も多く、数百人の人が集まった。一度では全員が入りきれないので、通夜も葬儀も2度に分けたくらいだ。

 同じ凸凹の技術系の社員だったが、この差は大きい。でもね、KらしいといえばKらしい葬儀だった。

 

 通夜の席で、故人の思い出をナレーションする場があった。ワシャ的にはこのコーナーが嫌いでね。まったく見ず知らずの葬儀会社の進行係に故人の人生を語ってほしくない。だから、ワシャは家族に「死に顔を晒さないことと、ナレーションもやめてくれ」と、言ってある。というか、葬式自体なくていいとさえ思っているが、葬式というのは後に残った人のために行うものだから、まあどっちでもいいや(笑)。

 話が逸れた。Kのナレーションのことである。「しつけに厳しいお父様で、息子様たちはその分しっかりと育てられた」というようなことを司会者が言っていたが、あの部下に厳しかったスタイルを知っているものとしては、「さもありなん」というのが正直なところだった。

 しかし、お二人の息子さんを遠くから伺っていて、しっかりと育っていることが読み取れた。顔立ちもいい。部下育てには失敗したが、子育てには成功したようだ。よかったじゃないか。

 最後の棺に花を納める段になって、ワシャは奥様に許可をもらって「サード」のステッカーを納棺させてもらった。このデザインはヤツが手掛けたものである。

 あの頃は面白かったな。