道化服ぬがずてんたう虫の死よ

 俳人の鷹羽狩行さんが詠んだ句である。鷹羽さんの句集『七草』載っている。

 

 ワシャは子供の頃から、俳句が好きなんだけれど、でもちっとも上手くならなかった。小学校6年の時の句がこれだ。

「秋深しはだにしみ入る夜の風」

「秋山を母とふたりでかけあがり」

 駄作ですねぇ。小6の小僧の句ですからご寛恕くだされ。

 その時の担任が、読書、作文、俳句、短歌など文学に関していろいろなことを教えてくれる先生だったので、ワシャも影響を受けてしまったのかも。

 中学はクラブ活動が忙しく、高校は突っ張ることに忙殺され、大学はバイトとコンパに明け暮れて、俳句などという高尚なものに接している暇はなかった。

 なにが切っ掛けだったんだろう。やっぱり中学生の頃にくるっていた映画からの影響だろうか。

 名監督の小津安二郎が俳句を楽しんでいたからかなぁ。

「青梅も色つくまゝに酒旗の風」

 ちょうど今の季節、あまり上手い句ではないけれど、酒好きの小津が酒屋が看板として掲げている旗が風に揺れているのを詠んでいる。らしい句だ。

 渥美清の影響もあったかも。

「お遍路が一列に行く虹の中」

 風天という号を名乗って句作に励んでおられた。この句などは、お遍路さんを優しい笑顔で見送っているフーテンの寅の姿が浮かんできませんか?

 その「男はつらいよ」で寅次郎の同業者を演じた小沢昭一さんにも感化された。

『句あれば楽あり』(朝日新聞社)、『俳句武者修行』(朝日新聞社)などが棚に挿さっている。

「円生の絽の羽織ぬぐ気取りかな」

 ううむ、名人円生独特のちょいと気取った物腰が目に浮かびますなぁ。

 なにしろワシャの本棚には俳句関連本がざっと140冊ほど収まっている。これを全部読み込んんで、身につけていれば地元の句会くらいには出られたのだろうが、浮気性なワルシャワのことで、一時は集中するんですが、すぐに気が散ってしまって、あちこちに興味が移ってしまうんですね。だから何にもモノにゃあならねえ。本ばかりが溜まっていくという有様でございます。

 

 さて、その140冊の蔵書の中でも、一番読んでいるのが、鷹羽狩行さんが「講談社現代新書」から出された「俳句シリーズ」だった。『俳句の楽しさ』、『俳句を味わう』、『俳句の上達法』、この3作は読んでいてとても理解が深まった。

『俳句の楽しさ』のまえがきの一番頭のところにある《俳句の魅力のおおもとには瞬間を永遠のものとする、まことに深い働きがあると思います。》という言葉がよかった。昭和50年代後半に、この言葉に引っ張られて俳句をまじめにやっていれば、もう少しは俳句がひねれるようになったかもね。

 

 今日の朝刊に鷹羽狩行さんの訃報が載っていた。93歳の老衰であったという。鷹羽さんより少し早く、ワルシャワ家の老父が逝った。その旅立ちに際して、一句ひねろうかと思って、鷹羽さんの本を寝室で読んでいたら、今朝の訃報だった。

 ううむ、また死生観について考えることになりそうだ。そういった意味で、タイトルにした鷹羽さんの句「道化服ぬがずてんたう虫の死よ」を持ってきた。父親はお骨になっている。おそらく鷹羽さんもそうだろう。お骨には鮮やかさはなにもない。ただ白い「死」だけである。鮮やかな道化服と見立てた動かないテントウムシとのコントラストが興味深いと感じ、タイトルにもってきた。

 これはワシャの駄句。

「興味しんしん骨拾う坊や芒種葬」