調査、調査、企画

 このところ、ちょいと時間ができましてね。それでいろいろと調べ事をしているんですよ。

 戦国期の奥三河土豪の奥平貞能(さだよし)なんかも本腰を入れて調査・研究を始めているんだけど、昨日の「どうする家康」には、貞能は出なかったけれど、息子の信昌が長篠城に籠城して武田勢と戦っていた。長篠籠城で、奥平家は一気に表舞台に登場することになるのだが、ワシャは信昌よりも貞能の尽力のほうが大きいと思っている。「どうする家康」に名前すら出てこない戦国武将、ワシャ的には数多いる戦国武将の中でももっとも興味のある人物「奥平貞能」なんですがね。だから奥三河を走り回っているのであった。

 

 そうそう今朝の朝日新聞である。1面に鷲田清一「折々のことば」がある。日常的にそのコーナーにはそれほど引っかからない。だが、福沢諭吉適塾生だったときのエピソードが書いてあったので目が止まった。エピソードが気になったわけではない。その出典が奈良本辰也『日本の私塾』というところに注目した。

 なんでかというと、今、奥平貞能に並行して調べているのが「幕末京都での長州藩士の動向」なのである。その関連で昨日から読んでいたのが、奈良本辰也著『高杉晋作』(中公新書)だった。ひょんなところでつながりができるとこれがウレシイ。『日本の私塾』も読んでみようかなぁ。

 

 朝日新聞ついでにもうひとネタ。

 地方版の紙面を寛げると、センターに白黒の老人の写真が載っている。頭の薄い瘦せこけたじいさんだ。

 あ!

 びっくらこいた~(汗)。

 なんとこのお写真、ワシャが人生の師と仰ぐ「小津安二郎」先生ではあ~りませんか。

 先生!失礼をこきました!! ここからワシャは直立不動で記事を読んだのだった。

 記事は、今年が生誕120年、没後60年にあたること。その関連で三重県津市で記念映画祭を実施する。そして小津監督と白黒写真に写っている少女、この娘が佐田啓二の長女(中井貴一の姉)の中井貴恵であり、彼女がその映画祭で「小津作品を読む」というイベントをする。そのPRも兼ねた記事だった。

 いやはや、小津作品ファンのワルシャワにとって、新聞紙面で小津監督にお目にかかろうとは思いもよりませんでした。小津作品の鑑賞会でもやろうかなぁ~。

 今日はいい一日になりそうだ。