Roman holiday

 呉夫子の講義は1時間ほど続いた。「そのくらいで休憩をいれよう」ということで打ち合わせはしていた。しかし、呉さんが「時間も限られているからこのままやろう」と言われる。ありがたし。100人は呉さんの話を1分でも長く聴きたいのだ。だから異を唱える参加者はいなかった。まぁいたとしても、波動砲を持った不肖の弟子がいたから、異端者には「おめえだけ休憩をとってそのまま帰ってくるな!」くらいの「禍音(かいん)」を浴びせかけていたことだろう。参加者の皆様は、呉ファンばかりだったから「お手洗い等については適宜行ってください」ということで、休憩なしのぶっ通しでやることになった。

 その後半戦、加藤博子さんがまとめられた資料の説明から入った。今回、呉さんが上梓した4冊の言葉の本から名言を抜粋し、それらについて呉さんのコメントを上手く引き出していく。この部分もとても解りやすかった。

 加藤先生は『ロゴスの名はロゴス』の中で「可愛いわがままの陰に犠牲あり」という章を選んでいる。今日のタイトルにした「Roman holiday」である。

 名作映画「ローマの休日」の原題が「Roman holiday」、これを呉さんが取り上げている。『ロゴスの名はロゴス』には50もの章があって、そのどれもがおもしろいのだが、これを選ぶとは・・・加藤先生のセンスもいい。

 オードリー・ヘップバーン主演の「ローマの休日」。ワシャはこの映画をガキンチョの時に場末の映画館で観て「ガビ~ン」となった。それから映画雑誌を買い、映画館に足を運び、映画小僧になり果てていく。その思い出の作品タイトルについて、呉さんは厳しく言われた。

「『ローマの休日』なら『holiday in Roman』である。『Roman holiday』は違う意味を持っている。ちょっとした英語の辞典なら書いてある程度の話だ」と。

 確かに。ワシャの書棚にある『ジーニアス英和辞典』(大修館)にも「Roman holiday 他人を苦しめて得る娯楽(◆古代ローマで奴隷を戦わせて楽しんだことに由来)」とある。

ローマの休日」は王女様と新聞記者の淡い恋の話・・・ではなく、「庶民の迷惑も顧みず他人を苦しめてローマで遊ぶ王女様の話」という底意があったのである。

 もちろんワシャも中坊になって英和辞典を持っていたから、さっそく引いてみた記憶がある。でもね、当時使っていた「新英和辞典」(研究社)にも「他人の犠牲において楽しむ娯楽」としか書いてない。まだ探求心の薄い(今でもね)ガキンチョは、「休むためには他の人に迷惑をかけるから、そのことを言っているのかな?」くらいに思ってそのままにしてしまった。だから、単純に「ローマ」の「休日」と思い込んで幾星霜。

『ロゴスの名はロゴス』、呉夫子の言葉に触れて目が覚めたのである。

 そういった意味において、昨日の日記にも書いたが、

《私が徒労感と絶望感を覚えるのは、言論界で言葉を操る人たちの論理の欠落ぶりに対してである。それはまた彼らの文化や国際関係についての無知不見識にもつながっている。》

ということなのである。

 ワシャぐらい浅薄で無知な人間でも、今の言論人、学者、朝日新聞を筆頭にマスコミ人の低レベルさにはほとほと愛想が尽きる。「天声人語」など凡夫ワルシャワが何度突っ込みを入れたことか。

 今からでも遅くはない。呉智英の「言葉の四部作」で勉強し直してから、論陣を張れ!論文を書け!社説を出せ!

 まだまだ呉さんの最終講義については書きたいことが山ほどあるが、「預かりのココロ」としたい。

 なにしろ大の里も優勝したし、若隆景も十両優勝をした。そのあたりのことも書きたい。大相撲の話は旬が過ぎてしまうので、これは「明日のココロ」にしたい。