日経1面コラムを読んで

 日経新聞の1面コラム「春秋」の6月26日のものである。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK254800V20C24A6000000/

 朝日新聞紙と同じでチラ見せ。でも、ワシャのごたくを聞いていただければ、読むまでのことはございません。

 560字のコラムは4段落に別れている。最初の1段落目は高卒で働いている女性の体験談だ。この部分は上記URLで読める部分だけ引いておく。

《投票所ってこわい。お仕事の前に朝イチで行ったらシーンとしてる。すごく緊張して、誰の名前を書いたらいいかわからなくなって、思わずお母さんに電話しちゃった。そしたら係の人が「電話はだめですよ」って。自分で考えないといけないのはやっぱり難しい――。》

 まず、この120文字の文章に「って」が3カ所ある。これは極めて特徴的だ。

 なぜか。

「投票所って」、「わからなくなって」、「電話はだめですよって」と、少し語尾を伸ばしながら、話を続けるのって、二十年くらい前の若者言葉で流行った。どちらかと言えば知恵の足らない女子がそんな話し方をしていた記憶がある。それをこの書き手(以降は「コラム屋」と言う)は記憶していて、わざわざ持ってきている。

 さらに「して」が2か所、「しちゃった」が1カ所。「って」も含め6カ所も類似語を使用している。創作にしても下手な文章だ。

 コラム屋は2段落目の冒頭で《先日、初めて投票してきた20代女性のこんな体験談を聞いた。》と言っているが、嘘だね(笑)。

 この後ろに続く文章でコラム屋自身が書いているのだが、この女性、高校卒業後数年働いているというから24歳前後。もういっぱしの社会人ですよね。

 ワシャの知っている高卒で働いている24歳くらいの女性は、新聞記者に対して敬語をちゃんと使用できる。それが社会経験というものである。

 この点を見ただけでも、「あ、こいつ話を作りやがったな」と思い当たってしまう。コラムの冒頭は、自身の20年前くらいの体験をベースにした創作なのである。冒頭で、「高卒はこの程度の話し方しかできないバカなんですよ」ということを醸したかったんでしょうね。

 そして2段落目で、書き手はヌケヌケとこう言っている。

《大卒層は政治参加に意欲的だが、高卒層は「政治は難しくて理解できない」と尻込みする。》

 おいおい、バカ言ってんじゃねえぞ。

 ワシャの知っているT君が市議会議員に立候補した時、その事務局を支えていたのは、明確に高卒が多かった。事務局長こそ大卒だったが、副事務局長3人は全員高卒。さらにポスター張りや街宣に付き添ってくれた主力メンバーは地元の有志達で、そりゃ皆高卒だった。T君の大学時代の友人は、陣中見舞いくらいには顔を出したが、実質、選挙活動を支えていたのは高卒の皆さんだった。それもT君のやや保守的な政治信条に共鳴しての支援である。

 おい、日経のヘタレ、どこをどう突けば、高卒層が政治参加に尻込みをしているって言うんだ!どこを見て駄文を書いているのか?

 3段落目に、投票率の大卒と高卒の比率が、全国では4:6、東京に限っていえば、6:4で「東京は大卒が多い」と言いたいらしい。どうも、このコラムの通奏低音は「高卒はバカ、大卒は優秀」というものらしい。でね、3段落目の最後で、「バカな高卒は日本保守党を支持した」というようなことを書いてしまう。あららら。

 日経をはじめ朝日も毎日も、いわゆるマスコミと呼ばれている職種で記者なるものには大卒でなければなれないだろう。そのことがこのコラム屋のベースにはあって、《それでも若者の高卒層と大卒層の断絶は深く、政策でも学歴を考慮する時期かもしれない。》って、あんたバカ?

 実社会に高卒、大卒に断絶などない。ワシャの尊敬する職場の先輩たち、概ねモノがよかったのは高卒の人たちで、ワシャが一番尊敬する上司は地元の高校卒だった。

 もちろん大卒の先輩・上司もいたが、まぁこれが箸にも棒にも掛からないのが多くて困ったものでした。

 大学を出て、新聞記者という一応は胸を張れる職種に就き、嗚呼、それから勉強らしい人生勉強をしてこなかったんだね。

 4段落目も書き散らしているが、いったいこのコラム屋が何を言いたいのかがまったく解らない。

《若い高卒層は日本の課題を最前線で支える》って、お~い、中堅の高卒層も、大卒も院卒も、中卒だってみんなで日本を支えている。

《その苦境は政治に届かない。》

 それはね、東大を三浪早稲田大学ご卒業のキッシ―が政治を知らないからでしょうが!さらに言えば、キッシ―を支える東大卒の財務官僚どもが頭が悪いからに他ならない。

 また今日も長くなってしまったが、これでもまだ1時間程度しかパソコンの前に座っていないのだ。どうしてもバカの論評をすると筆が走ってしまう。

 司馬遼太郎さんがこんなことを言っていたことを思い出した。

「この無謀な戦争(大東亜戦争)を起こしながら、陸軍の高級参謀(陸大卒の「軍刀組」、今でいうところの東大卒「財務官僚」)は、戦闘の敗北を自らの責任とは考えようともせず、現場の人間に腹を切らせた」

 先の大戦の時から、答えの必ずあるテストでは高得点を取れる記憶力秀才、つまり学歴だけはある連中が国家を危うくしているのだ。そのことを知らない新聞紙者がもっともらしいことを書く、これも陸軍高級参謀らと同じ過ちを犯していると言っていい。政治にも、戦争にも、決まった回答などないぞ。そのことを知らない「今軍刀組」が日本を牛耳っていくことの恐ろしさを、この駄文を読んで感じた。