定年の愚痴

 池袋の喫茶店「ブルーマウンテン」。ここはアルコールも提供する店だった。

 初老の常連客の服部とマスターの会話である。

 

服部「いやア、勤勉かどうか、わたしも来年でいよいよ定年でさあ」

マスター「そうですか。何年ぐらいお勤めだったんです?」

服部「恰度(ちょうど)三十一年になりまさぁ」

マスター「じゃ、退職金も相当ありますな」

服部「イヤ、それがね。わたしア昔ッから、停年になったら、どっか小学校の近所で文具店でもやって、子供相手にのんびり暮らしたいと思ってたんだが、なかなかそんなにはよこしませんや。税金も引かれますしなア。ま、われわれサラリーマンの行末は、退職金を前にして寂しがるのが関の山でさ。三十一年務めて、考えてみりゃア儚いもんだ・・・」

 

 小津安二郎の昭和31年の作品『早春』の1シーンである。服部を東野英治郎、マスターを山村聰が演じている。

 小津作品というのは、作品同士が地下水脈でつながっていることが往々にしてある。このシーンなんかも昭和34年の『お早よう』のおでん屋のシーンに流れていく。

おでん屋で、酔っ払った客の宮沢(東野)が、やはり客の笠智衆に愚痴をこぼしている。

 

宮沢「定年・・・定年ですよ。厭なもんですぞ、生殺しでねえ。会社じゃ定年になりゃァもうおまんま食わないように思っていますがね、おまんまも食ぁァ酒も呑みまさァ、へっへへ。女房(かかア)は煩く云ゃがるし、探しに行けども口はなし、どこまでつづくヌカルミぞでね、天が下には隠れ家もなし・・・儚いもんでさァ」

 

 別の映画なんだが、同じ役者(東野)にまったく同じシチュエーションで愚痴をこぼさせている。

 ある評論家は、「ここに小津のサラリーマン観がよくでている」と言う。しかしワシャはちょいと違った見方をしている。

 明治36年生まれの小津は、昭和31年で53歳である。この時代の定年は55歳であった。昭和11年には三井が使用人の定年は55歳というのを打ち出し、概ねそれが採用されていく。

 だから昭和31年の時期に、小津は定年を間近に控えた世代にいたわけで、東野の口を借りて「来年でいよいよ定年でさあ」と言わしめている。東野を見れば、白くなっている髪も薄くなり、老いが進んでいることが見て取れる。

 今の50代、60代は違いますよ。昭和30年代のその世代と比べれば、栄養はいいし、それほどの苦労していないから、若いですよ。ガキのまんま大人になっているだけだと思いますね。自嘲をこめて。

 小津より4つ若い東野に「儚いもんでさァ」と言わせているのは、年齢的な衰えををひしひしと感じている小津自身の本音であったと思う。

 実際に『お早よう』の4年後に、小津は「儚いもんでさァ」と言い残したかどうかは知らないが、60年という短い生涯を終えている。

 今日は、小津安二郎の誕生日であり、命日である。生誕120年、没後60年、きっちりと60年を生きて、見事な映画を後世に残して逝った。