夕ざれば雪となりけり榾(ほた)の火の 燃ゆる囲炉裏に酒をあたゝむ

 夕方になって雪になった。その雪を窓越しに見上げながら、囲炉裏の木屑の火で和服の紳士がのんびりと燗をつけている。小津安二郎の歌である。
 彼は酒を愛した。そして美食家でもあった。彼の映画は、北鎌倉や大船で酒を酌みながら、その構想を練った。酒が活きていた好例であろう。

 残念ながら、勝谷誠彦さんは、酒を愛しつつも、酒の魔力に引きずられて逝ってしまった。そのあたりを小説家の花房観音さんが的確に指摘しているのだが、その手記は悲しみにあふれている。

 今朝の朝刊の1面に、暗黒の空間を行く探査機ボイジャー2号のイメージ図が掲載されていた。41年前に打ち上げられた探査機がついに太陽風の届かない「星間空間」に入ったのだそうな。10年後くらいにはデータ送信用の原子力電池が尽きるということなので、その時点でボイジャーは役目を終える。あとは、未知の生命体に向けたメッセージレコードが偶然に拾われるのを待つばかりであるが、ボイジャー2号が太陽系外に出るのに30000年かかるという。おそらくそれでも銀河系の一点から離れることができない。地球というのは宇宙の孤児であり、人の一生というのはあまりにも儚い。

 ううむ、小津の命日と、花房さんの追悼文と、ボイジャー2号のニュースで「無常」を痛感するのだった。

 昨日は昼過ぎに顔を出せませんでした。申し訳ありません。