教祖様が言っている(笑)

 公明党の母体である創価学会の頂点に君臨する池田大作氏が『箴言集 四季の語らい』(聖教新聞社)を平成14年に上梓している。その中に「平和・教育」という章があって、そこからちょいと引きたい。

《日本の文化や伝統、価値観のみで、それぞれの国を評価してはなるまい。世界の多様性を認識し受け入れていく。それが、世界市民への第一歩である。》

《権力の悪に対して「寛容」であってはならない。どこまでも「人間」と「民衆」の側に立って、徹底的に非暴力で戦う、対話で「善」を拡大する――そのダイナミックな「すべての人々への開かれたかかわり」の姿勢こそ「寛容」なのです。》

 突っ込みますね。

まず「民衆」は、日本の文化や伝統、価値観のみでそれぞれの国を判断していい。日本国民として根差してきた文化・伝統の重みは大切だ。そして価値観、日本で培われてきた「和」、つまり民主主義、人権尊重主義、そういったもので他国を評価する、そんなことは当たり前である。

「世界の多様性を認識し受け入れていく」って、世界には個別に造られた文化、伝統、習慣、制度などが長短ないまぜにして、世界中に林立している。林立ではないな、ジャングルのように生い茂っている。

 そんな複雑怪奇なものを「日本に受け入れろ」というのは、あまりにも世界を知らないと言っていい。

 現在の日本では人が死に、荼毘にふされ、お骨にして墓に入れる。しかし、多様性を慮ってイスラム教徒は土葬ということがまかり通れば、狭い日本にイスラム教徒の土葬墓が犇めき合うことになるだろう。日本人は、2000年に渡って単一の政治制度の下で培ってきた文化、伝統、制度などがあるわけで、それに従って静かに穏やかに社会を形成すればいい。「多様性」という胡散臭いフレーズに踊らされて、「世界市民」になる努力など無意味だ。

 独裁国家、人権蹂躙体制、全体主義権威主義、残滓共産主義などが溶けてなくなるのに、果たして何百年かかるだろう?

 予言しておくが、「世界市民」なんてものが成立するとしたら、ガミラス星から、地球が侵略され、地球人類が一団となって戦わなければならないときだろう。

 おっと、教祖様の言をイントロで使おうと思ったら、長くなってしまっただ。しまった。

 今日は朝日新聞の地方版に載っていたこのニュースを書こうと思って、前書きが800字を超えちゃった(笑)。

衆院16区 両党本部は公明現職擁立へ》《自公すきま風 県内も》

https://news.yahoo.co.jp/articles/f49e49ac1e8d815817329bed1490d4b2dfbeaba7

(ネットのほうは新聞記事と若干違っているのでご容赦。ワシャは新聞のほうで書いています)

小見出しに《自民県議「納得せず」》《独自候補は難航》《他選挙区みすえ》とあるが、要するに、東京で大もめにもめていた自公の選挙区調整を愛知県に持ち込まれたということ。それでも自民党愛知県連は腰砕けなので、茂木幹事長や森山選対委員長に「愛知県16区に自民の候補者を擁立するのは見送るように」と言われれば、それに逆らう根性のある県連のメンバーはいない。せいぜい陰でグチグチ言うか、すきま風を吹かせて積極的に選挙運動をしないくらいの抵抗だろう。

 党本部に逆らってでも自民候補を立ててみろよ。愛知16選挙区は犬山市江南市小牧市北名古屋市西春日井郡、丹羽郡から構成されている。この保守層の強い地域に保守政党である自民党が候補者を立てずしてどうする。保守志向の有権者はどこに投票すればいいのか?

 厚顔無恥にもこの状況を選挙区の保守層に押し付けてくる自民党本部、これを唯々諾々と受け入れる愛知県連の不甲斐なさ。当然のことながら立憲民主党はここに候補者を立ててくる。16区保守層の選択肢が「公明か立憲」って、有権者をバカにしているのか!

 辛うじて、国民民主党が候補者を擁立するので、大方のまともな保守層票はここに流れるだろう。しかし、16区の自民党はここで終わる。

 記事の後段を引く。

《ある衆議院議員(自民)は「16区を見送る代わりにほかの選挙区で議席を得るという考え方もできる」と話した。こうした自民側の動きに公明関係者は「ただにガス抜きだ」と余裕を見せる。》

 国政で絶対多数を誇る自民党が、なぜ下駄の雪である公明党にここまで遠慮する必要があるのか。これが自民党の不甲斐なさなのだけれど(泣)。

 ここで冒頭の教祖様の言が使える(笑)。

《権力の悪に対して「寛容」であってはならない。どこまでも「人間」と「民衆」の側に立って、徹底的に非暴力で戦う、対話で「善」を拡大する――そのダイナミックな「すべての人々への開かれたかかわり」の姿勢こそ「寛容」なのです。》

 公明党、党利のことしか考えていない。16区のもっとも多数である保守層という民衆側に立てば、立候補を断念するのが「寛容」ではないのかニャ。「権力の悪」側に立っている自分たちには「寛容」なんだね(蔑)。

 すべての人々に開かれたかかわりの姿勢を重んじて、「寛容」なりなさいよ。