ほほお、今日は「津波防災の日」だったんですね。
ワシャが三陸海岸気仙地区に行っていてことはご存じだと思います。今週の月、火、水で気仙沼、陸前高田、大船渡とお邪魔してきた。もちろん東日本大震災、防災関連の仕事でバタバタと走り回ったわけだけれども、向こうの方々と打ち合わせをする前に、ワシャから愛知県の災害対応の話をしてきた。その時にね、安政南海地震の話もしていたので、おやまぁ、11月5日の大津波だったのね。
ワシャは凸凹商事の災害対応部局にいたので、阪神淡路大震災から、中越、能登半島、中越沖、熊本とあちこちの災害現場を見てきた。しかし、やはり東日本大震災の被災現場(陸前高田、大船渡)に震災直後に入った時には度肝を抜かれた。
陸前高田の北の住田町に凸凹商事の災害支援基地がつくられていて、そこから車で国道を南下して陸前高田に入った。峠を越えて、目の前に陸前高田の平地が広がった時、あまりの変貌に鳥肌が立ってしまった。
ワシャの知っている陸前高田の町がないのだ。目の前にあったのは瓦礫の山と化した平地に、霧のような靄のようなものが幽鬼のように立ち上っているばかりだった。
ワシャのわずかばかりの知見では、まったく想像だにできない現場だった。
「これが福島から青森まで続いているのか・・・」
ワシャの中の災害の概念が大きく変わってしまった。ここ何年も、何を学んできたのだろう。ある種の空疎感のようなものをひしひしと味わった記憶がある。
久しぶりに気仙地区を訪問して、復興は鳴り物入りでやったので、道路も区画整理も見ごとに出来上がっていた。
しかし、街がないんだ。陸前高田の町は消えていた。
いずれ南海トラフでの地震も起きる。これは周期がそうなっている以上、人間の力では止めることができない。
じゃあ人間はなにをするのか。大地震が起きた時、大津波が押し寄せた時、一人でも多くの住民を救うための最善の手を尽くすべきである。災害対策本部機能も重要だ。ここがまともに機能しなければ、助かる命も助からない。陸前高田の市庁舎は7階建てのまっさらなものに変わっていた。
南海トラフの危険エリアの中にありながら、古びて手狭な庁舎にしがみついているのは、地震災害に対して何の手も打っていないのと同様である。愛知県なんて、他の地域に比べれば、裕福な地域なんですね。その地域にあって、高度成長期に地盤の悪い場所に建てた庁舎が、役に立つわけがない。
ここはトップが大英断をしてでも、住民の命を守るために、災害直後から本部機能を発揮できる場所を確保するべきではないのか!
たかが100億円程度で住民の安心安全が買えるなら安いものだ。
津波の日にこんなことを考えていた。