昨日、国の二つの有識者会議は南海トラフで発生する地震の被害想定を出した。ワシャはこの被害想定は最悪だと思う。いやいや、従来の被害想定に比較して最悪被害の想定が出たと言っているのではない。東京大学名誉教授の阿部勝征座長らが出した被害想定が最低最悪のものだということが言いたかった。
はっきり言う。こんな被害想定は屁の突っ張りにもならない。東海地方で大きく被災した場合に32万3000人が死ぬ、と言っている。そりゃぁ発生地震のマグニチュードの値を上げれば津波の高くなり、内陸部まで侵食する。震度も高まるから、建物の崩壊も多くなり、必然的に死者は増加する。そんなことは当たり前だのクラッカーなのだ。
ここまで大きな被害想定は、要するに「極端な最大数値を出しておけば、実際の被害がこの数値を上回ることはない。ということは責任追及されずにすむ」という保身・責任転嫁のための被害想定なのである。だから最悪だ。
そもそも想定は想定に過ぎない。大自然には予測ができない「ゆらぎ」というものがあって数式では必ずしも説明できないことがまま起きる。そして住民は有識者に弱いから、浸水深が色分けされた「浸水想定図」を示されれば、「ほう、そんなもんかいな」と納得してしまう。例えば自宅の場所が浸水深の色が着いていなければホッとするわけだ。
釜石で起きたことを思い出そう。釜石市は、震災前に津波ハザードマップを市民に提示していた。しかし、実際に襲来した津波は、市の想定した浸水範囲を大きく超えて、内陸部まで食い込んできた。釜石市鵜住居地区の津波による死者は、あらかじめ浸水する地区とされていたところではなく、浸水想定の外の地区で多く出てしまった。
「オレのところは想定区域外だから安全だ」
そう思ったまま亡くなった方もいたに違いない。これは想定による死者と言ってもいいだろう。
何が言いたいかというと、いくら最悪の想定をしたところで、自然は気まぐれだから、想定どおりに災害は起きてくれない。また想定自体がどうしても被害の内と外をつくってしまうもので、被害地域の外になった住民は必要以上に「安堵」し警戒を解いてしまうことにもなりかねない。また、内になった住民はいつ来るともしれない大地震に「危惧」を抱き神経を病んでしまうかもしれない。
先日、群馬大学の片田教授の講演を聴いてきたことはこの日記に書いた。その片田先生がこんなことを言っていた。「脅しや知識だけの防災教育は間違っている」と。
片田先生の『人が死なない防災』(集英社新書)から引く。
《人間は、脅えながら生きていくことなんてできません。だから、そうした脅えはちゃんと忘れるようになっているのです。また、「ここに津波が来ると、こんなに死者が出ますよ」という教え方をしていると、教えられた人は、その地域のことが嫌いになります。釜石のことが嫌いになってしまう。こういう防災教育は何も残りません。》
はっきり言おう。今回、国の有識者会議で示された「南海トラフ地震最悪被害想定」には何の根拠もない。やって来る時期が判らないような想定は意味がない。また、この笛に操られ、東海地方の住民が地震踊りを踊らされるのだろうか。
1970年代に、東京大学の偉い先生が、「南海トラフは東の一部が割れ残っている。いわゆる東海地震震源域で、そこでは明日大地震が起きてもおかしくない」と言いだし、静岡県は灰神楽が立つような大騒ぎになった。しかし、あれから40年、明日起こってもおかしくなかった東海地震は未だにやってこない。東海地震よりはるかに安心のはずの阪神淡路、新潟中越、能登、そして東北では激烈な地震が襲来して、多くの人命を奪っていった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120829-00000095-mai-soci
南海トラフの地震想定に衝撃を受けるのも結構だが、40年前の東海地震説と同様で、根拠もなく大騒ぎをするばかりではだめなのである。片田先生の言う子供の頃からきちんとした防災教育を施して、いざというときに適切な行動を取ることのできる人間を増やす。そのことにより人的被害を少なくする地に足の着いた防災・減災施策を打っていかなければならない。
32万人が死ぬ、これは衝撃的な数字だから騒ぎ屋のマスコミは大喜びで取り上げる。そんなものに騙されてはいけませんよ。冷静に冷静に……。