ワン青年はどこへいった?

 1986年6月5日、天安門広場前で1枚の写真が撮影された。両手に荷物を抱えた若者が人民解放軍の戦車の前に1人立ちはだかっている。この写真、現在の共産党体制の支那、香港では見られなくなってしまった。支那人の中では「天安門の大虐殺」はなかった話なのだ。

 しかし現実に6月4日には天安門で大虐殺があり、民主派の学生たちが多数殺された。そのことを全世界に知らしめた象徴的な写真が、アメリカのカメラマンの手で全世界に配信され、その後、世界報道写真賞を受賞することになる。

 写真は全世界が知ることになったが、戦車の前に無防備で立っている青年、一説によればワン・ウェリン(19)といわれるが、その後、彼の消息は杳として判らない。

 こんな証言もある。

「囲みを突破した3000人余りの学生・市民のうち、最後に外までたどり着けたのは、わずか1000人にも満たなかった。軍用小銃が背後から追いかけるように逃げる学生を打ち殺し、学生たちは折り重なった死体の山を踏みつけて前に進むしかなかった」

 いったいどれほどのワン・ウェリンが犠牲になっただろう。もちろん支那政府は一切を闇に葬って、その事実すら隠蔽している。

 この時の報道をしたテレビ朝日の記者は、「学生・市民の尊い犠牲はその後の中国の民主化・改革路線の礎となった」と語ったそうだが、アホか。

 習近平は、専政独裁体制を確立し、自由と民主主義を謳歌していた香港は「黒暗法」で全ての人権を剥奪された。自由の女神の周庭さんの言葉を奪ったのも、天安門で大虐殺をした支那共産党なのである。

 西側自由主義陣営、とくに日本という優柔不断な情けない国は、ワン青年を見捨て、そして香港では周庭さんを見捨てた。さらに、ウイグルの人々を見捨て、台湾まで見捨てようとしているのか。今、海洋進出をするために軍事力を太平洋に向けている支那共産党、その軍事力の前にワン青年同様に立ちはだかっているのはタイワンという小さな国家なのだ。

 グズチンの岸田総理は、北京冬期五輪の政治的ボイコットすら決断できない。少なくとも安倍政権、菅政権の時にはこんな情けない思いには囚われなかったが、岸田政権になったとたんにこの体たらくである。恥を知れ。日本のクソ政治家は、ワン青年の爪の垢でも煎じて飲むがいい。

 未来を守るというのは命懸けなのだ!