嗚呼、天安門

 まずは軽く前座噺を。

《岸田〝長男問題〟追及も「手当」→「テトウ」と誤読連発する立憲女性議員〝テトウ麻衣子〟爆誕で大炎上》

https://news.yahoo.co.jp/articles/752764af060599c2211ef3b2b52eb3a59a276606

 ことさらに論うことはしないけれども、愛知県選出の参議院議員だからね、ちょいと恥ずかしい。令和元年の参院選立憲民主党から出馬し、自民、国民民主に次ぎ、公明党を押えて3位当選だった。それまで愛知県と縁もゆかりもない落下傘候補としては善戦したと言っていい。

「手当」を「テトウ」と読んでもいいじゃないか、人間だもの。もしかしたら老眼で「手当」が「手套」に見えたかもしれないじゃないか、人間だもの。愛知県の一部では方言で「手当」を「テトウ」と言ってるかもしれないじゃないか、人間だもの。

 なにしろ立憲民主党なんですぞ。笑いをとってナンボの政党でんがな。蓮ちゃん、コニタン、有田スターリン、辻本、杉尾、大串各議員などの真打連に比べれば、まだまだ前座もいいところなので、一発かましたのでございます。この「テトウ」連発についても、クソ真面目に論評している方がおられるが、ギャグでんがな。「手当(てあて)」を「テトウ」などと読むバカが実際にいるわけがありまへんがな。ボケでんがな。みんなに笑(わろ)うて楽しんでもらえれば、芸人としてこれに尽きる喜びはありまへん。

 皆さん、大爆笑してテトウ麻衣子の顔を覚えておくれやっしゃ~ぁ。

 そういうことではないだろうか。そんなわけないか(笑)。

 

 ここからは真面目な話を。

 1988年(平成元年)6月4日、北京で大虐殺が行われた。「天安門事件」である。この虐殺の直後に支那共産党の報道官がアメリカNBCのインタビューに答えた数字は学生の死者数23人だった。これに対してホワイトハウスの首席補佐官は「すべてのデータを総合した結果、死者数は4000人以上」と言っている。

 天安門事件の後、日本に帰化した評論家の石平さんは、先日、ネットの番組で「天安門」の話をしていて、泣き出してしまった。石平さんの言を借りよう。

「彼らはかつて、私の目の前に座って、私に向かって夢と理想を語り、私に青春の笑顔の明るさと、男同士の握手の力強さを感じさせた。彼らは確かに生きて、存在していた。そしてあの日突然、彼らは殺された。彼らは死んだ!何の罪もないのに、素晴らしい理想に燃えていたのに、祖国への熱い思いを胸一杯に抱いていたのに、彼らは殺されたのである」

 支那という巨大な国家が民主化をするターニングポイントだった。民主化に理解を示していた総書記胡耀邦が亡くなり、一気に民主化勢力が排除されていく。その後、民主化を叫ぶ、支那でもっとも賢明で開明的だった学生、市民を北京に集めて、最終的に大虐殺した日、それが6月4日なのである。

 現在の支那共産党の台頭が、世界秩序の危機を招いていると言っても過言ではない。1990年代に、支那民主化していたら・・・と考えてごらんなさいよ。アメリカはアジアから撤退し、自衛隊は災害救助隊に変身し、北朝鮮は崩壊してめぐみさんはご両親と再会していただろう。ロシヤは支那の後ろ盾がなく、ウクライナへの侵攻も断念したし、支那民主化を見せつけられれば、世界の独裁者たちは一気におとなしくなったでしょうね。

 それを鄧小平が阻んだ。1990年以降の世界史を書き換えてしまった大虐殺の忌まわしい記憶を、平和を愛し、人権を貴ぶリベラル系メディアならばトップで取り上げて当然だろう。

 そこで6月4日、本日付の朝日新聞である。ワシャは執念で紙面を読み込んだが、「天安門」というワードは一切出ていなかった。下手な「天声人語」はマスコミ人が巻き込まれた普賢岳火砕流の話だし、「日曜に想う」は立憲民主党の泉代表を「窮鼠」に例えて「猫(自民党)を噛め噛め」と言っているだけだし。それに「窮鼠」というよりも沈没船から逃げ出す「脱鼠」でしょうが(笑)。

 社説は「ゲノム医療法案」とジュゴンの話で、支那共産党に慮ってか、天安門はなかったかのような扱いになっている。

 これでいいのか?親中朝日。