春の例大祭

 いやはや~土曜、日曜と地元神社の例祭で忙しかった。金曜日の夜もその打ち合わせで3時間ばかり拘束されたので、結局、延べ3日間にわたってお稲荷さんのために働いたことになる。

 金曜日の夜から、氏子総代の様子がおかしかった。なにしろここにきて愛知県がコロナ対策に動き「まん延防止等重点措置」の適用を受けた。このために、神社の例祭を実施するかどうかで悩んでいたのだ。

それこそ例年であれば、屋台も出るし、餅投げも人気があって、どっと人出が出る地域の行事だ。地域住民は楽しみにしている。やるべきか、やらざるべきか、それが問題だった。

 ワシャは初期の打ち合わせの頃から、神事は行うが、屋台、餅投げなどは人が押し寄せるので反対をしていた。参道には、印をつけて距離を取らせる工夫をしたほうがいいということと、境内にはパイロンなどで誘導路をつけて一方通行にしたほうがいいと主張した。長老たちからは「面倒くさいことを言う」と白い目で見られていたが、とりあえず「屋台の中止」と「境内の一方通行」は押し通した。徹底した感染対応をして規模縮小で実施ということで決着したのだが、責任者として見れば、やっても責められ、やらなくても責められるという状況は変わっていない。

 しかし、準備は進めて来ていて、突然に愛知県の「まん防」が発令されたからと言って「はいさいでっか」と簡単には止められない。

 そんな苦汁の決断を総代がして実施したんですね。某都知事は気楽に「外出禁止令」などを口にするけれども、地域はそんな簡単な話では済まされない。直に住民と向き合っているんだ。こういうとき、上の方々は実にお気楽ですな。

 さて、土曜日である。この日は朝から町内の役員が集って、総出で準備を始めた。準備といってもまずは広い境内の掃除からやらなければならない。無人の神社なので、以前は、近所の奇特なお爺さんが日課として境内の掃除をしてくれていたんだけど、その人が高齢でやれなくなってからは、清掃がなかなか行き届かなくなった。神社の近所にも役員はいるんだけど、仕事を持っていたりして、なかなかやれるものでもない。こんなところにも地縁の希薄性のようなものを感じるのう。

 ということで、役員総掛かりで本殿、境内の清掃を行い、それが2時間ほどかかった。それから、神楽殿を開いて、中に詰まっている物品を外に搬出して、掃除をして紅白幕や神社の垂れ幕などで化粧をする。それだけでは御神楽ができないので、畳を敷き、座布団を運び、神子さんが昇る階段を設置して、さらに転倒防止の手すりまで造りつける。また境内には4つのお社があって、そこも清掃しておかなければならない。これがまた2時間。さらに大のぼりを立てて、400mほどの参詣道(一般道)沿線にぼんぼりを立てるのも大騒ぎだ。

 夕方になって禰宜さんがやってきて、ようやく前夜の神事が始まった。終わればもうとっぷりと暮れている。例年なら、ここから直会(なおらい)ということで、一宴始まるのだが、これは絶対禁止。長老の中には、どうしても飲みたい風情を醸す人もいたけれど、ここはきつく注意をして解散となった。

 翌朝も、早朝から会場準備であった。餅投げをやらないので、餅配り用のテントを張らなければならない。境内には、社殿からそのテントまでの誘導路をパイロンとプラスティックのバーでつくった。

 別働隊は、本殿で餅配り用の餅と菓子の袋詰め作業で、ここでは古参役員と女性役員の間で、紅白餅の数のことで大喧嘩が起きてしまったそうな。暇なやつらだなぁ(笑)。

 そして一連の神事を挙行し、御神楽が奉納され、餅投げならぬ餅配りを行った。ちょっと神殿前で、蜜が形成されたが、それでも消防団員の協力もあって、なんとか事無きを得た。

 餅投げが終了したのが午後4時40分、ここから片付けが始まる。昨日準備したことの反対をやるわけだ。終われば、お日さまは西の建物の向こうに沈んで行ったのでした。

 それにしても感心したことがあってね、神事の際に、地元の日本共産党の市議会議員が呼ばれていたんだけど、社殿の中に入ったし、「君が代」斉唱の時も起立していたし、真榊奉納も手順通りやっていた。神道には拒否反応を示しているのかと思いきや、きちんとやっておられたので「ほう」と感心したものだった。

 あ~忙しかった3日間だった。