ルワンダ中央銀行総裁日記

 昨日、読書会。

 課題図書は、服部正也『ルワンダ中央銀行総裁日記』(中公新書)である。ワシャの持っている新書は、奥付に「昭和50年11月30日6版」とある古いものです。これはワシャが求めたものではなく、博物館で働いていた頃に、お世話になった読書家の歴史学の先生から譲り受けた数百冊の新書群の中にあったもの。もらった当時、パラパラとはめくったんだけど、ルアンダという国そのものに興味がなかったんですね。それに、目次をみると「国際通貨基金」「外貨管理権」「経済再建計画」「通貨改革」などなど経済・金融関係の用語が羅列されており、ついつい敬遠してしまった。

 で、十数年はワシャの蔵書の中に埋もれていたものが、読書会のパセリくんの提案でついに陽の目を見ることに相なった。

 読むのにそれほど苦労はしなかった。内容は・・・一人の日銀マンに、最貧国の「中央銀行」に出向し、経済再建のために何かをしろという課題が与えられ、、時期にも恵まれたこともあって成功を収めました・・・というもので、一種のサクセスストーリーとなっている。類似物では「プロジェクトX」が近いでしょうか。

 読書会のメンバーの感想も、著者の服部正也氏の偉業に敬意を示していたし、そういった日本人が1960年代にアフリカにいたことを誇りに感じているようだった。

 でもね、天邪鬼なワルシャワは、少し意地の悪い見方を披露した。まぁ議論の切っ掛けをつくろうという目論見もあったんですがね(笑)。

 まず、著者の服部氏の人となりを見てみよう。東京帝国大学法学部卒業で、その後、海軍少尉としての軍令部特務班(通信、暗号、情報を扱う機関で、「腐れ士官の捨てどころ」とも言われている)に勤務し、そこで終戦を迎えている。戦後、日本銀行に奉職するわけだが、東大法学部のエリートとは一線を画している人物のように感じる。

 さらに、軍令部特務班の士官だった時のことを、作家の阿川弘之さんが『海軍こぼれ話』(光文社)の中に書き残している。この本もワシャは所蔵してまっせ。

 そこには、《猛烈にきびしいウルサ型で、殴る方も一切容赦しなかった。》とあって、典型的な海軍のいやな上官ですね。

 阿川さんの同期が、日銀に復職した服部氏を訪ねた時にも、相変わらず横柄な対応だったという。

 阿川さん自身も、世界銀行の副頭取をつとめていた服部氏を訪ね、40年ぶりにワシントンで再会したんだけど、横柄さはちっとも変わっていなかったと記している。傍におられた奥さんが何度も何度もお辞儀をしながら「皆さまには大変ご迷惑をおかけしましたそうで・・・・・・。家庭ではうるさいこと、何も言わない人なんでございますが」と弁解していたそうな。

 そういった人物の類型を多く見てきた天邪鬼には、服部氏が自分で書いた成功譚を鵜呑みにすることはできなかった。部下にはやたら強気だけど、家に帰ると善良な夫、父親になる二重人格者。家庭のため、己の自尊心を守るためには、部下をガシガシと使っていく。リーダーというよりも独裁者と言ったほうがいい人物と見た。

 学校でも、部活でも、地域の集団の中でも、暴力を当然のように使う男が、その後、何年か経過したら素敵な人に変身していましたとさ・・・なんてことはない。

 司馬遼太郎は戦車部隊の上官だった時も、格好いい素敵な漢(おとこ)だったし、格好いい漢は、そもそも暴力で言うことを聞かせようなどと発想しない。

 そして読んでいて随所に感じるのは、日本銀行からやってきたエリート意識というか、上から目線のようなものであった。例えば「ルワンダ後進国だからこそ経済は簡単」と言い切ってしまうところや、ルワンダの商業を担っている外国商社員を「あの無能な外人連中は二年後には、半数が本社から首を切られていますよ」と断言したり。

 これが一例なんだけど、こういった鼻につく話が随所に出てくる。そしてこれを自身で書いているということろに臭みを感じてしまう。

 

 今、この本が再びブームになっているという。NHKの番組で取り上げたこともその一因なのかもしれない。しかし、このグローバリズムの魁のようなこの話はあまりにも上手くいきすぎていて、「だから世界に目を向けようよ」という「SDGs」とか「国際機関」の正当性を国民に信じ込ませようという底意があるような気がしてならない。なにしろ「NHK」発信ですからね(笑)。

 とにかく、リテラシーを持って、冒険譚、成功譚として「桃太郎」を読むような気で読めばおもしろい本ではあった。