「東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな」
菅原道真が左遷先の九州大宰府で詠んだ歌である。ワシャはこのなよなよとした歌があまり好きではない。配所でこんな歌を創って憤死している場合かよ。道真の死後、たまたま都で落雷が相次いだために北野天満宮に祀られたけれども、現実的には自分でなにもすることなく、大宰府で梅を愛で、都を懐かしみながら、不遇の中に没した。
それじゃだめじゃん。どんな手を使ってでも、道真を左遷した藤原時平に仕返ししなければ。例えば和歌なんかのんびり創っている場合ではなくて、時平の悪行を後世に書き残すとか、あるいは大宰府で私兵を集めて反乱を起こすとか、男を立てる方法はいくつかある。しかし、この天下第一等の学者は、和歌を詠むばかりなりけり~すぎちょびれ~。
現代川柳に秀逸なものがある。
「東風(こち)ふかば転勤辞令島流し」
現実は厳しいのであった。しかし、根性のある漢(おとこ)は、必ず自力で仕返しをするのだった。半沢直樹のごとく。