梅の花

 我が家の小さな庭の白梅が一輪二輪ほころび始めている。
「雪見れば いまだ冬なり しかすがに 春霞たち 梅は散りつつ」
 万葉集の第十巻にある作者未詳歌である。この歌は二つの季節が同居している。「雪」「冬」と「春霞」、そして「梅」である。万葉びとはどうやら冬と春の間に、梅の花を感じていたらしい。万葉集では四季を配列した第十巻で、冬のところにも春のところにも、梅の花の歌があるもんね。
 ワシャの庭でもそうさ。日差しはもう春めいているのだが、隣家との間を抜けてくる伊吹おろしには震え上がる。冬と春の狭間の時期に咲く可憐な花、それが梅の花だ。

 梅の花の歌といえばこの歌ほど知られているものもないだろう。
「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」
 菅原道真の名歌である。
道真という人物、平安中期、第59代の宇多天皇の信任を受けて、辣腕をふるう。当時、藤原摂関家(北家)の権勢が高まり、相対的に天皇の影響力が低下していた。このことを憂えた宇多天皇は、藤原摂関家の長子である時平が若年であり、すぐに政界を牛耳ることができそうもないだろうと踏んで、北家の影響力を押さえるため、自分の息のかかった優秀な地方官僚を登用した。それが道真であり、藤原保則(南家傍流)だった。
 ここから宇多帝派と北家との熾烈な権力闘争が始まるのだが、鎌足不比等のDNAを濃厚に残している北家である。ことごとく宇多帝に対して政治的な圧力をかけていく。このことに単なる山っ気のある趣味人でしかない帝は飽いてくるのである。そこでさっさと退位をしてしまう。残されたのは道真だけである。彼はたった一人で時平に代表される北家という主流派政治勢力と対峙しなければならなかった。後立てとなってくれるはずの、宇多上皇は退位をしているので廟議になんの影響力も発揮できない。ここで道真は謀反の疑いをかけられて「太宰権帥」(だざいのごんのそち)という閑職で九州に追い払われることになる。権力争いということでは北朝鮮の「張成沢事件」に類似している。
 ただ古代日本のほうが進んでいた。道真もその一族もそれぞれ別の任地へ地方官として左遷されただけである。一家離散の憂き目にあったけれども命までは取られなかった。
 古代日本の状況と比較しても、彼の国の後進性はいかばかりであろうか。