司馬遼太郎は、《武士という人間像は、日本人がうみだした、多少奇形であるにしても、その結晶のみごとさにおいて人間の芸術品とまでいえるように思える。「名こそ惜しけれ、恥ずかしいことをするな」という坂東武者の精神は、今も一部のすがすがしい日本人の中で生きている。ヨーロッパで成立したキリスト教的な倫理体系に、この一言で対抗できる。》と言っている。
彼は、小説でもエッセイでも公演でも、つねに「名こそ惜しめ」というニュアンスで発言をし、それが日本人の最高の美学だと我々に言っている。
鎌倉期の坂東武者から生まれた倫理観、美意識が令和の今、どれほど日本人の中に残っていることだろう。
命よりも「名」が大切なのだという価値観が、それでも僅かに残っていると信じたい。
ワシャが嫌いなのがこれですわ。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFD104450Q0A211C2000000/
ネーミングライツという「名」を金に換えるという下品なアメリカシステムである。朝日新聞にはナゴヤドームを横から撮った写真が載っているが、バンテリンドームでこの写真を見ると、肩に貼った湿布のように見えるのはワシャだけだろうか?
ナゴヤドームでいいじゃん。「貧すれば鈍する」と言うけれど、拝金主義がここまで浸透すると日本の伝統的な美学がもろくも崩れていく。
ワシャは「メーミングライツ」という下品なやり方にずっと異を唱えていきたい。
そこにいくとこの横綱は立派だ。
《鶴竜 名前は本名のまま日本国籍取得「“そのままでもいい”と言われて」》
https://news.yahoo.co.jp/articles/760d8a74a533f74a8c2a4dcf7f320eca460e6604
モンゴル人、マンガラジャラブ・アナンダをそのまま名乗るという。まぁ親方になれば年寄名で生涯を過ごすわけだから、本名はマンガラカンガラナンダラカンダラ・・・でいいと思う。すいません、名前でからかってしまいました。
父祖からの名を惜しめ。地域で愛着のある名を惜しめ。微々たる銭と名を換えるな、バカタレどもめ!