ウズベキスタンの桜

 昨日の続き。

 

 中山恭子さんは、本を出しておられる。ネットで調べた限りでは2冊だけであった。その内の一冊の『ウズベキスタンの桜』(KTC中央出版)は、ワシャの書棚にささっている(エッヘン)。ご本人同様に品のいい装丁で、内容も静かに優しく語られているにも関わらず、一本筋が通ったまことに良い本でございました。と、つい下品なワシャまで、口調が丁寧になってしまう、そういう本なのであ~る。

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 写真の右上の本が『ウズベキスタンの桜』ですね。

 そこに、こんなエピソードが紹介されている。中山さんがウズベキスタン大使として赴任した際のことである。

ウズベキスタンの人々の顔つきは私達日本人とよく似ていると聞いていましたが、そのとおりです。仕種も日本人と同じ、いや、もっと穏やかでもっと素朴でした。》

 中山さんは、日本人と区別がつかないとまで言っている。その上でこう言われる。

《すれ違う時、話しかける時、待合室への出入り口の時、ウズベクの人々は遠慮します。》

 さりげなく先を譲るんでしょうね。それがアホ大使なら気が付かないのだろうが、中山さんほどの気配りの人には、その謙虚な行為がありありと見えるわけですね。だからそういったシーンに遭遇した時、中山さんは「どうぞご遠慮なく」と、つい声を掛けてしまったそうである。

《ヨーロッパで生活した時も、アメリカで過ごした時も「ご遠慮なく」という言葉を使った覚えがありません。「躊躇する」ことはあっても、相手のことを慮って自身の行為を押しとどめる「遠慮する」態度には出会いませんでした。ほかのアジアの国々に滞在した時でも「どうぞご遠慮なく」という言葉は殆ど使いませんでした。外国に出て、遠慮することを身に付けている人々に初めて出会いました。》

 繰り返すが「ウズベキ人の遠慮」に気が付く大使は中山さんだけだと思いますよ。他の外交官たちが中山さんほどの感性と知性と鋭さを持っていたなら、日本を取り囲む外交環境は、これほど不自由にはなっていなかったはずです。でも、その役所にもエースはそれほどいるものではない。中山さんは稀有の例であり、中山さんが議員になっても、それは稀有の議員だった(泣)。

 中山さんは、ウズベキスタン大使として、邦人の人質を救出するなど八面六臂の活躍をされ、3年の任期を終えられて帰国される。

 中山さんは講演で言われた。

ウズベキスタン親日国です。日本人抑留者の墓地を造り、日本人抑留者の資料館を建てて、その人たちの霊を慰め、その人たちの事歴を検証してくれているんです」

 近所で、反日を国是として銭をせびることばかり考えている国もあるが、中央アジアに日本を目標とし、日本人を敬してやまない国があるのだ。日本は、そういった国にこそ力を注ぐべきではないのか。

 

 昨日の日記で、中山さんが話された「モースのエピソード」がワシャの持っている1巻になかったことを書いた。当然のことながら、2巻3巻を入手して(図書館で借りてきたんでヤンス)、そのエピソードを確認した。第3巻第21章「瀬戸内」にその話があった。

 広島の宿での話である。取材で岩国に出かけることになったモースは、《岩国では日本人達のお客様になることになっているのだから、そう沢山金を持っていく必要もない。》ということで、宿の亭主に、自分が帰るまで金時計とかなりの所持金を「預かってくれ」と頼んだのである。亭主は快く承知し、まもなく女中が蓋のない浅い塗り盆を持ってモースの部屋に現われたのだそうな。

《それが私の所有品を入れる物だといった。で、それ等を》それ等というのが金時計や金子ですね。《それ等を彼女が私に向かって差し出している盆に入れると、彼女はその盆を畳の上に置いたままで、出ていった。》

 貴重品を部屋に置きっぱなしにされてモースは焦り出し、亭主に抗議をするのだが、亭主は「ここに置いても絶対に安全である」の一点張りだった。鍵も閂もなく、客にしても従業員にしても出入の自由な和室にただ放置をしておくだけという保管方法に不安は感じたが、そこはモース、科学者だった。「では日本人の律義さを量ってやろう」ということにして、そのまま旅に出た。

 一週間して旅から宿に戻った時、《時計はいうに及ばず、小銭の一セントに至る迄、私がそれ等を残して行った時と全く同様に、蓋の無い盆の上にのっていた。》これを発見したモースは、日本人の正直さに驚愕した。

 というような話を、中山さんから聴き、さっそくモースの『日本その日その日』の2巻3巻を読んで、ワシャもモース同様に日本の良さ、日本人の賢明さに驚かされている。

 

 また、日本大使としてフランスからやってきたポール・クローデルも、日本の「能」を愛し、その中でも「道成寺」を好んで観たそうな。日本に原爆が投下されたことを聞いたクローデルは、連合国側の人間にも関わらず「日本は世界の中で絶対になくしてはいけない国だ」と言ってくれたのである。

 

 こういった日本の本質を見ぬいた外国人の話をされ、日本文化をそういった方々に発信していくことの重要性を説かれた。ワシャもそのとおりだと思う。そして、ウズベクの人や、モースやクローデルの足元にも及ばない、祖国を嫌いな「日本人」がいまだに蔓延っていることに悲しさすら覚えた。

 

 ウズベクの人や、台湾の人、親日の外国人が高く評価をする日本人。それを捏造記事で足元から腐す朝日新聞、モースに代表される来日外国人でも理解できた日本人の本質を見極めきれずに、日本人を、日本人の象徴を貶める展示をやって憚らない日本人のいることに、そこの知れない不快感を感じている。